トップページ | 2010年11月 »

2010年10月

2010年10月27日 (水)

秋のきんもくせいに思うこと

10月も残すところあと数日となった。でも、秋はまだこれから! 木々が葉っぱを色づかせ、冬になる直前の冷たい秋の空気に変わっていく。

***

きんもくせいの香りは 鳥の声のよう

ただよう香り 

オレンジ色の小さな星粒は見えないけれど

鳥も同じで どこからか

聞こえてくるさえずり

小さなくちばしを開いてはさえずる 

その姿は見えないけれど

***

私の気まぐれ日記帳(書きたいときに書く。連続で書いている時期もあれば、半年とんでいることも!)を読み返していたら、上のような文章が見つかった。

「2006年10月10日体育の日 中日ドラゴンズ、優勝!」という言葉のあと唐突に「きんもくせいの香りは…」と綴られている。

きんもくせいは、ある日突然香り出す。今年は10月4日の朝のこと。職場へ向かう途中どこからかふと漂ってくる香りに気づき、しっかり日付を確認した。夕方には「今日、金木犀のにおいがした!」と友人からのメール。間違いない。「そうだよね! 私も今朝思ったよ!」 

でも、その香りは長くはつづかない。オレンジ色の星粒は、あっという間に枝から離れてアスファルトの上に無造作に散らばっていく。雨に濡れた黒いアスファルトと鮮やかなオレンジ色のコントラストがあまりに強いせいで、その粒つぶが蛍光色のような強い光となって見える。はかなくも散り落ちたその小さな一粒一粒を見ていると、まるでこちらになにかを訴えているかのような気さえしてくる。

木々たちは、花を咲かせる時期を知っている。秋のきんもくせいも春の沈丁花も、5月の花水木も8月のサルスベリも。なぜなのだろう――。秋のきんもくせいが、「ああ、この温度ね」と、春に花を咲かせてしまわないことが不思議だ。春の沈丁花が、誤って秋に香り出した例も聞かない。花を咲かせない1年あまりの時間、幹の中に身をひそめながら花たちは一体なにを思っているのだろう。さあ、今度はどんなふうに咲こうかしら・・・。自分の姿を思い描きながらそのための準備を整え、時期が来るのを静かに待つ。そしてその日が訪れると、自分を大きく開花させる。あたためてきた思いが美しい花となって咲き乱れる。

だが私たち人間は、自ら花咲く時期を知らない。ちょうど1年のサイクル、たとえば毎年やって来る誕生日やお正月などに決まって物事が成就するわけではない。努力をつづけていたある日ふとつぼみがあらわれ、それが少しずつふくらみ、ようやく開花するのであって、いつ咲くのか知ることはできない。

「10年計画で行ってくるね~!」と、私は夢を叶えるためこの都会にやってきた。気づけばもう、あれから3年半が経過している。正直なことをいうと、10という数字はなんとなくキリがよくてふっと口をついて出てしまったという感じなのだが、そろそろその漠然としすぎた目標を、もう少し具体的なものに変えていかなければと思う。木々が1年ごとに花を咲かせるように、自分のサイクルを知りそのたびにリセットし、新しい作戦を練りながらときを過ごしていかなければ、いつまでたってもつぼみはつかないだろう。

3年半前の春にまいた種。最近になってようやく、土の上に少しだけ顔を出しはじめたように(自分では)思っている。周りの方々に支えられながら、励まされながら、そしてそのつながりの中で私にとってはものすごく大きなチャンスもいただくことができた。

開花した自分の姿を遠くに思い描きながら、でもしっかりと足元を見ながら少しずつ歩んでいく。自分が咲かせるその花とは深くて強い根をもったたんぽぽのようであるのか、それとも夏の太陽に向かって限りなくのびようとするひまわりのようであるのか――。自分らしい花を咲かせるために。今日もまた、芽を出し育ちはじめた小さなふたばに水をやろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2010年10月26日 (火)

さむいね

夕方から、急に寒くなってきました。どうやら、寒気(『さむけ』、ではなくて『かんき』)がやってきたみたい。

***

秋の夜の会話    草野心平

さむいね。

ああさむいね。

虫がないてるね。

ああ虫がないてるね。

もうすぐ土の中だね。

土の中はいやだね。

痩せたね。

君もずいぶん痩せたね。

どこがこんなに切ないんだろうね。

腹だろうかね。

腹とったら死ぬだろうね。

死にたかあないね。

さむいね。

ああ虫がないてるね。

『草野心平詩集 蛙のうた』より

***

会話をしているのは、一体だれなのでしょう。(あっ、すぐそばに答えが書いてある!)

土の中に入る時期がまもなくやってくる、秋の夜。

秋って、なんだか切ない気持ちにさせられます。でも、そんな切なさを感じられる冷たい秋の空気が私はたまらなく好きなのです。

周りでも、マスクのなかでゴホゴホやりながら、「寒気(『かんき』ではなくて『さむけ』)がする」という人が出てきています。体調に気をつけながら、秋を満喫したいものです!

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

2010年10月23日 (土)

里帰りの日に

___

里帰りの日の夜、なにを食べるか

①お好み焼きパーティ

②手巻きずしパーティ

③焼き肉パーティ

___

来週末、友人の結婚式のため私は実家に帰る予定だ。それを前に、上のようなメールが送られてきた。姉からである。アツアツのお好み焼き、いいなぁ。普段は魚好きで魚ばかり食べているから、たまにはがっつり焼き肉というのもいい。前回の帰省時には、「なにが食べたい?」という自由回答形式だったから、「鯵の開きと炊き込みごはん」をリクエストしたが、今回は選択式だからそうはいかない。選択式の方法によくある「④その他」という項目も設定されていない。それに、なぜだかすべての設定がパーティになっている。なぞの多い質問に困惑しながらも私が出した答えとは――。

②手巻きずしパーティ

早速姉にその旨を伝えると、それならばと次の命令が下された。私に「すしめし作り」の役割が与えられたのだ。

私は料理が得意なほうではない。言いわけに聞こえるかもしれないが、料理上手な姉の妹である私は、おいしいおいしいと食べていればそれでよく、また姉にとってもそうやって食べてくれる人がいたわけで、とてもよいバランスがとれていたのだ。

身内をこれだけほめるのもどうかと思うが、姉は本当に料理が上手だ。しかもあっという間に作る。そしてお菓子もいろいろ作ってくれる。ベーグルとシフォンケーキ最高。新しい味を作り出そうと日々挑戦中である。いまは、抹茶甘納豆とか南瓜味かな。

一度私も一緒にパン作りをしたことがあるが、私が水の量を間違えて生地を台無しにしてしまい、激怒されたことがある。それ以来もう、どれだけ誘われても一切手出ししないことにした。ただ、料理は一緒に作る。炊き込みご飯の鶏肉を一生懸命切ったら、切り方が上手だったからご飯の味もよくなったと誉めてくれた。

姉妹でこれほどにも料理の腕が違う。でも――。そうだ。姉は料理は大得意だが、ピアノとは相性が合わず、短期間でサヨナラした。譜面にならんだ音符たちとどうもうまくいかなかったらしい。私は料理は苦手だが、ピアノが大好き。音符たちをメロディーに変えていくのが楽しくてたまらない。

***

わたしと小鳥とすずと   金子みすゞ

わたしが両手をひろげても、

お空はちっともとべないが、

とべる小鳥はわたしのように、

地面(じべた)をはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、

きれいな音はでないけど、

あの鳴るすずはわたしのように

たくさんなうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、

みんなちがって、みんないい。

『わたしと小鳥とすずと JULA出版局』

***

私の大好きな大好きな詩。ふとしたときに、いつも心の中からわき出てくる。

・・・さてさて、おいしいすしめしをしっかりこさえなくっちゃ!!

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

2010年10月20日 (水)

遠く遠く

高校時代の友人からの嬉しい知らせ。

「赤ちゃんができました! それから、小さい家だけど引っ越しをしました。こっちに帰ってきたときには遊びに来てね」

うわぁー! 嬉しい。友人がこういう報告をしてくれることが嬉しくてたまらない。

今年になって、友人がくれる結婚や出産のお知らせがとても増えた。おそらく平均すると月に1度はあると思う。そのたびに、本当に本当に私の心も喜びでいっぱいになる。愛するひとと一緒になり新たな道を歩いてゆくこと。そして新しい命を紡ぎだしてゆくこと。友人が見つけた友人なりの人生の幸せ。それを私にわけてくれたということがとても嬉しい。それこそが、私がいま歩いている大きな力になっているのだ。

私はいま、故郷からはなれた都会にいる。なかなか会えないけれど、こうやって連絡をくれる友人たちがいる。だから私は、私なりの道を見つけ出すためいまも力強く歩み続けることができるのだ。みんなありがとう。

***

遠く遠く       作詞・作曲 槇原敬之

遠く遠く離れていても

僕のことがわかるように

力いっぱい 輝ける日を

この街で迎えたい

___

どんなに高いタワーからも

見えない僕のふるさと

失くしちゃだめなことをいつでも

胸に抱きしめているから

遠く遠く離れた街で

元気に暮らせているんだ

大事なのは

“変わってくこと”

“変わらずにいること”

僕の夢を叶える場所は

この街と決めたから

***

ビルの間に挟まれて息苦しくなったら空を見上げることにしている。田舎では、空は見上げなくても無意識に視界に入っていたけど、都会にやってきたいま、空は見上げなくてはならないものとなった。でも、積極的に見上げるということこそ実は必要なのかもしれない。

空はどこまでもつながっている。なにものもそれを隔てることはできない。ああ、どこまでもつながっている・・・そう思うと強くなれる。大丈夫だと思える。遠くにいる友人を、家族を、そして大切なひとを思いながら―。

| | コメント (6) | トラックバック (0)
|

2010年10月17日 (日)

大根おろしのように

先日友人と魚定食のお店へ行った。その辺りでも評判のお店のようで、店の外には数人の行列。外に貼り出してあるメニューを見て待つことにする。定番のさば塩焼きやブリの照り焼きもいいけれど、そのほかにもいろいろあるね。煮付けもおいしそうだし、何にしようか・・・などと話していれば、行列なんてあっという間。

席につき、友人は銀だらのみそ焼きを、私は銀だらの照り焼きを注文。

料理が運ばれてきた。早速ひとくち・・・、おお、銀だらよ、なんておいしいんだろう! 甘くて程よくやわらかくて上品で、極上の味がする。

友人と私はあまりのおいしさに感激し、店を出たあとも魚のおいしさについて話し合った。そこで、あの銀だらのおいしさは、銀だらそのもののおいしさには違いないわけだけど、もうひとつ、決定的な存在があったことに気づいたのだ。それというのは―。

そう! 大根おろし。

魚の隣に添えられたそれに少ししょう油をたらし、なじませる。すると銀だらの甘みがよりいっそうひきたつのだ。あの大根おろしがなくては、私たちを感動させるまでには至らなかったに違いない。水分が多すぎてべちゃっと寝そべっている(私が家で作るとこんな感じ)のではなく、程よい水分を保ったそれは力強く凛とした姿で銀だらの脇に立っていた。

大根おろし。決して華やかではない役柄だけど、主役の脇でそっとひかえて待ち、ここぞという時に主役のよさを最大限に引き出す。でも決して彼女(または彼。性別不明)は脇役ではないと思う。こうして私たちの心に感動をもたらしてくれた彼女(または彼)の存在は大きい。魚となじんた時点で、彼女(または彼)も同時に主役になったに違いない。

美しい、大根おろし。私も大根おろしのようでありたい―。

***

ふゆのさくら     新川和江

おとことおんなが

われなべにとじぶたしきにむすばれて

つぎのひからはやぬかみそくさく

なっていくのはいやなのです

あなたがしゅろうのかねであるなら

わたくしはそのひびきでありたい

あなたがうたのひとふしであるなら

わたくしはそのついくでありたい

あなたがいっこのれもんであるなら

わたくしはかがみのなかのれもん

そのようにあなたとしずかにむかいあいたい

(後略)

詩集『比喩でなく』 より

***

あなたが旬を迎える秋刀魚であるなら

わたしはその傍らにひかえる大根おろしでありたい

―秋刀魚のおいしいこの季節。こんなことを思いながら・・・。

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

2010年10月16日 (土)

どんぐりの季節

  こいつ

じゃらじゃらどんぐり

こいつだっておもったのを

ひとつ

てのひらのうえでくるんとまわす

ぴゅっとたたせてみる

たいせつにポッケにいれとく

         どんぐり 作

***

どんぐりの季節。

どんぐり好きの私にとってはうれしくてたまらない。毎年、どんぐりコレクターの隊長である友人とともに、どんぐり採集に行く。さて今年はどこへ行こうか。

これまでのヒットは、都内の光が丘公園である。

その年、どんぐり採集に出掛けたのはすでに秋が終わろうとしている11月下旬であった。果たしてどんぐりは見つかるのだろうか、と友人と私はやや不安を抱えながらも必死で湿った木の葉をかき分ける。・・・と、背後から、「何してるんですか」という声がする。ふり返ると、作業着のようなものに腕章をつけたおじさんが立っていた。どうやら光が丘公園の係員らしき人のようである。友人と私が少々ためらいつつもどんぐり拾いに来たことを告げると、「早い時期に小学生がみんな持って行っちゃったんですよ。見つからないでしょう。でも、まだ拾えるところはあるから、案内しますよ」そう言って、広い光が丘公園のはずれの茂みまで連れて行ってくださったのである。

ある、ある! そこは魅惑のどんぐりゾーン。いいどんぐり(クヌギやアベマキなどのまるくて大きいどんぐり)は残念ながら見つからなかったが、私たちは夢中でどんぐりを集めた。おじさん、ありがとう! そのあとベンチでどんぐり披露。さすがは隊長、どんぐり図鑑持参である。今年もいいどんぐりが拾えたねと2人で大満足。

どんぐり採集のことを周囲の人に話すと、ほぼ決まって「拾ったどんぐりはどうするの?」と聞かれる。こう聞かれるたびに、私は少しがっかりしてしまうのだ。私にとっては、拾うことそれ自体がどんぐりを楽しむこと。何かをするためにどんぐりを集めているのではないのだ。でも、それがなかなか伝わらないからつい面倒になって、「どんぐりコマ作ったり・・・それから、今年は料理にも挑戦してみようかな~」なんて言ってしまう。

だが、どんぐり活用法としてひとつ興味深いこともある。それは、「どんぐり銀行」。香川県が運営する銀行(森づくり活動)で、誰でも通帳を作って預金できる。単位はD(どんぐり)。小さなどんぐりは1個1D。大きなどんぐりは1個10D。貯まったら、苗木やグッズなどによる払い戻しができるというものである。ただし、限度額は年間5000D。『どんぐりは森の生き物たちの大切な食料です。拾いすぎには注意しましょう』と注意書きがある。

そう、どんぐりは動物たちの大切な食料。                             

最近、人間が熊に襲われる被害が増加している。これは、今年木の実が不作であることにも原因があるようだ。

自然と動物と人間と―。どんぐりの季節に心を弾ませる一方で、とてつもない大きな問題を投げかけるどんぐりに、今年は真剣に向き合ってみなければならない。

***

 どんぐりたんか  こねずみしゅん

どんぐりよ おおどんぐりよ

どんぐりよ

ぼくの どんぐり

どんぐりの ぼく

  『のはらうたⅣ』 工藤直子 より

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

トップページ | 2010年11月 »