« 2010年10月 | トップページ | 2010年12月 »

2010年11月

2010年11月30日 (火)

落ち葉 その3

レミオロメンの『蒼の世界』という曲がとても好きだ。

土のうえに重なりあう落ち葉。秋の雨に濡れ土に還り、そしてまた生まれ変わる。
朽ちていく落ち葉は冷たくて寂しいものとしてではなく、あたたかくやさしく、蒼く輝くようなものとして描かれているように思う。

その『蒼の世界』(藤巻亮太 作詞・作曲)からの
抜粋です。

***

飽和な時代 満たせぬ想い 
矛盾の森に雨が降り 
心の落ち葉の中で僕は土に還る

泥にまみれて生まれ変わろう 
君の呼吸を聞きながら
葉を落とし未来に根付くよ落葉樹

***

満たされすぎている世界にいるはずなのにそれでもまだ、満たされたい、満たしたいという欲望はあふれるばかり。時々気づかないうちにそれが自分の限度を超えるところまでいっていて、パンクしそうになることさえある。

ここでうたわれている落ち葉のように、時に、土に還って静かに静かに自分を見つめ、生まれ変わり、そしてまたゆっくりと歩んでいけたらとても素敵だ。

明日から12月。いよいよ冬がやってくる。その前に一度、湿った土の中に身を横たえ、厳しい寒さを乗り越えられるよう心をしっかりとあたためておきたい、と思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2010年11月29日 (月)

落ち葉 その2

***

  秋      R.M.リルケ(オーストリア)

木の葉が落ちる 落ちる 遠くからのように
大空の遠い園生が枯れたように
木の葉は否定の身ぶりで落ちる

そして夜々には 重たい地球が
あらゆる星の群から 寂寥のなかへ落ちる

われわれはみんな落ちる この手も落ちる
ほかをごらん 落下はすべてにあるのだ

けれども ただひとり この落下を
限りなくやさしく その両手に支えている者がある

『リルケ詩集 富士川英郎訳 (新潮文庫)』より

***

「落下はすべてにある」――自分のこれまでの人生を振り返ってみてもやはり落下は何度もあった。そして、これから先、生きようとするなかでまた何度となく繰り返されていくのであろう。

落下を避けることはできない。決して、決して、避けることができないものなのだ。

だけど――

「ただひとりこの落下を 限りなくやさしく その両手に支えている者がある」。

受けとめてくれる存在。

ただひとりでもそういうひとがいればいい。
自分を受けとめてくれるひとがいる、というただひとつの実感を胸に抱きしめていられれば、生きてゆけるのだと思う。

重力に逆らえず落下を繰り返してしまうこの地球(それさえも落下するのだけれど)の上であっても――。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2010年11月27日 (土)

落ち葉 その1

***

落葉       草野心平

言葉なく。
鰯雲のまぶしい日には。
そよ風にのって華やかに。

唐松のさびた縫針が言葉なく。
ししししおちる。
おちて重なり。

ズミやカエデはひらひらひらひら。
言葉なく。

晴れた日の天はセルリアンブルー。
曇は鉛。
明暗の縞模様になって秋はふかまる。

林のなかを。
時間がいそぎ。
半年生きてきたもみじ葉たちは。
最後の別れを告げようとする。

言葉なくそして未練なく。
枝々に別れを告げて地に落ちる葉っぱたちの。
未練のないその。
樹木の倫理の当然さ凛々しさ美しさ。

透きとおった沈黙の深みから沸く。

天然の。
金の竪琴。

『草野心平詩集(ハルキ文庫)より』

***

見上げればどこまでも透きとおるブルー。見下ろせば地面におしゃれな模様をつくる赤、黄、オレンジ。

いつの間にか、葉っぱたちはこの地面に舞い降りていた。
「言葉なく」、そして「未練なく」。

潔い、と思う。
その枝に生まれ緑の葉となり、日の光を浴びながら、そよ風にのって大勢の仲間たちと歌いながら、風雨に耐えながら、自分だけの色を作り出して体をしっかりとその色に染めあげた。
だから、いいのだ。

「今までありがとうございました。行ってまいります」

枝にそう告げ、あとは静かに舞い降りる。

枝のほうもまた、未練なく。
自分につかまっていたたくさんの子どもたちを手放すのだからすこし寂しい心地もするのだろう。だが、旅立っていくわが子の背中を静かに押してやる。「さあ、お行きなさい」と。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2010年11月25日 (木)

年中無休でおつかれさま

「右腕を、ひじが下につくまでお入れくださいね」

今日一日、このフレーズを何度繰り返したことだろう。その入れられた右腕は、筒状のものによって徐々に徐々に締め付けられ、その右腕が「うぅ、苦しい、助けて・・」とうめき声をあげはじめそして・・・

なんてことになるはずはなく、これは単なる血圧測定である。

私は昼間、健康管理センター(健康診断の施設)で仕事をしている。ジャンジャカ鳴る電話をとり、会社のご担当者様や個人の受診者様からのご予約やお問い合わせを受ける係なのでいつもはそうしているのだが、今日は血圧測定担当者がお休みだったため私が血圧係に。

秋はなぜだか健康診断が大人気。会社ご担当者様の11月中に健診をすませたいという気持ちからか、面白いことに11月30日と12月1日とでは予約者数が格段に違う。その最終ピークで今日も大賑わい。順番を待つ受診者さんたちで椅子はぎっちり埋まっている。さっきまでは、しっかり背広を着ていた社長さんも、現場での汗がしみこんだ作業着を着ていた工事現場のかたも、おしゃれなスカートをはいていた女性もみんなみんなおそろいの健診着を着ておとなしくすわっている姿はなんだか不思議。

「今日は低いなぁ~。昨日よく寝たからね~」と、笑みをうかべる方。「おっ、最高記録だ!」と、はしゃぐ方。(いやいや、この最高記録の数値、はしゃいでる場合じゃないですよ!) 当たり前だけど、人によって血圧は違う。でも、心臓が圧力をかけ全身に血液を送り出し、だから生きていられるということはみんな同じ。

本当に、心臓ってよく休みなく動き続けていてくれるものだなと思う。ちょっと間違えちゃったとか、ちょっと休憩だとか、そんなことは今の今まで一度もなかった(から今も私は生きていられる)。自分自身はといえば、毎日必ずなんらかの間違いをおかし、十分すぎるくらい休憩しながら生きているのに、心臓君は絶対そんなことしない。年中無休、完璧に働いてくれている。本当にえらい。ご主人さまを生かしてやるために、思いっきり力をこめて。ほめられることもなく、そうやって頑張っていることさえわすれられながらも・・・。

***

  いき    まどみちお

いきを とめたら

だれだって しぬ

でも わすれていても

いきは じぶんで

いきを している

ああ なんでだろう

かみさまが

いきに そう させて

みんなを いかして

くださってるんだなあ

みんなを ほんとに

だいすきなので・・・

『まどさんの詩の本 かんがえる』より

***

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2010年11月23日 (火)

並んであるく、輪になってすわる(翻訳そぞろ歩き横浜編)

日曜日に、「翻訳そぞろ歩き」というものに参加させてもらった。これは、仕事、学習など何らかの形で翻訳にかかわっているひとたちが集まり、ただただおしゃべりしながら一緒に街を歩くという企画である。

翻訳者になることを夢見て約3年半前から学習を続けている私。ちょうど1年前の秋、実務&出版翻訳者のiwashiさんによってはじめられた「翻訳そぞろ歩き」に私はこれまで数回参加させていただいたのだが、そのたびに「また参加したい!」と思わせてくれる、それはそれは素敵な企画なのだ。

今回は、私も以前翻訳学校でお世話になっていた「夏目先生と歩く横浜編」。横浜にお住まいの先生のご案内にしたがい、総勢27人でゆったりと街歩きを楽しんだ。

夏目先生がいつも歩いていらっしゃる散歩道や公園――きらきらと輝くイチョウ並木も、洋館が立ち並ぶ落ち着いた街並みも、そしていつもの場所でちゃんと待っていてくれた猫の小次郎に出会えたことも、どれも素敵で私の心をときめかせてくれた。氷川丸の上から見渡せる空や、港の丘公園から眺められる広々とした景色。そして、美しい姿で羽ばたくカモメたちを見ているうちに、私の心は解き放たれ、思わず私も羽ばたいていきたいような気持ちさせられた。

*素敵なお写真がいっぱい! 夏目先生のページ、横浜翻訳生活「翻訳そぞろ歩き-横浜編」です。先生、ありがとうございました。

*そして、横浜の街、こんなふうに歩いてきました! そぞろ歩きの楽しい記録。主催者iwashiさんのページ、翻訳そぞろ歩き「夏目大さんと行く横浜編開催レポート」です。iwashiさん、ありがとうございました!

ところで、この27名様、仕事のつながりや翻訳学校のクラスメイト、そのほかですでに顔なじみの方々もいらっしゃったのだが、大半の方同士は初対面である。もともと緊張しやすい私、こういう場ではやはりとてもドキドキしてしまう。

ところがこの「翻訳そぞろ歩き」で歩き始めると、不思議なことに、私の緊張は瞬く間に解かれていくのだ。なぜだろう――。その秘密はきっと、「並んであるく」ところにあるのではないかと思う。たとえば、初対面の2人が、部屋の中に用意された向かい合わせの椅子に座っておしゃべりしましょう、という設定だったとしたら。・・・リラックスするのに努力と時間が必要になりそうだ。少しばかりの沈黙に焦り、どうにか会話をつづけなければというプレッシャーさえ感じてしまうのかもしれない。けれど、「翻訳そぞろ歩き」のように素敵な散歩道を並んで歩いていると、会話がみるみるふくらんでいく。解放された空の下、肩を並べ同じ方向を見て歩いていると、いつのまにか歩調がそろいそして呼吸のはやさまでもがそろい、会話のリズムが生まれてくる。目に映る風景や街並みを美しいと思う気持ちや、食事をともにしておいしいと感じる気持ちなど、同じ気持ちを味わうことでまたいっそう、やわらかであたたかい親近感のようなものがわき起こってくるのかもしれない。

そうそう、それまた楽しみなお食事は、夏目先生おすすめの中華料理のお店で! 円卓をまわして大皿の料理をとりわけながらのなごやかなひととき。「輪になってすわる」・・・ああ、いいものだ。みなさまのお顔が見え、なんだかウキウキ。円卓をまわすのも楽しい。向かいの人がいままさに取り分けている最中に、こちらからこっそり動かしてみる。すると「あー! 料理、待ってー!」 となり、笑いがわきおこったりしてまた楽しい(←いじわる)。まるい机は、心までまるく穏やかな気持ちにさせてくれるみたい。

翻訳そぞろ歩き。何よりもまず、「翻訳」というつながりで出会った方々と、翻訳のことを思う存分お話できるということ(修行中の身であるわたくしに、いろいろ教えてくださる本物の翻訳者さんや翻訳にかかわるお仕事をしていらっしゃる方々、本当にありがとうございます。私と同じように学習中の方々、私ももっと頑張ろう! って思わせていただいています)。そして、そのような自然な交流を生み出してくれているのが、ゆるゆるとした素敵な街歩きであること。そもそも、この企画を生み出したiwashiさんのお人柄が、そのままこの会のあたたかい雰囲気にあらわれているのではないかと思う。

「この『翻訳そぞろ歩き』も、20年、30年後にはきっと『老人の会』となっていることでしょう(笑)」(iwashiさんより)。・・・でも本当に、いつまでも、こんなふうにおしゃべりしながら並んで歩けたらとても素敵だと思います。iwashiさん、これからもずっと、よろしくお願いします!

横浜編、とっても楽しかったです! 

夏目先生、iwashiさん、そして一緒に並んで歩いてくださったみなさま、本当にありがとうございました!

| | コメント (4) | トラックバック (0)
|

2010年11月20日 (土)

家に帰るまでが遠足です (帰省の記録⑦)

友人に駅まで送ってもらい、名古屋駅までの私鉄電車に乗りこむ。空いていた席に腰かけ、流れていく景色をのんびり眺めながら帰省3日間のことを振り返ってみた。家族や懐かしい友人との再会を胸に、また都会で頑張ろう。あとは新幹線に乗るだけだ。目を閉じ余韻にひたってみる。電車の心地よい揺れにつられてしばしうとうと・・・

おや? どうしたんだろう・・・さっきから電車は駅に止まったままのような気がする。扉を開け放ったままピクリとも動かず、ちっとも出発しようとしない。どうも様子がおかしい。即座にいやな予感が沸き起こる。でもそんなの信じたくはない。ここは何も気づかないふりをしておかねば。

と思った瞬間。

「○○駅付近で人身事故が発生しました。この列車は当駅で運転を見合わせます」予感的中。「この電車、ずっと動かないってことですよね・・・」「たぶん・・・そうですよね」隣にすわっていた女性に言葉をかけられ、私がそれに答える。認めたくなかった現実。もう覆すことはできない。でもこうして、隣の彼女――さっきまで互いに別々の方向を向いてそしらぬ顔をし合っていた彼女――と、どこへもぶつけようがないやるせない思いを共有できたことがせめてもの救いだ。

新幹線の切符をこれから買うのなら、別によかったのだ。今日中に家に到着できればまったく問題ない。ところが、新幹線の切符はすでに鞄のなかにある。日付と時刻と座席ナンバーが印字された、世界に一枚しかない切符が。

それまた人身事故ということで、運転再開までに少なくとも1時間はかかるとのこと。ストップしたのは小さな駅で、他社の電車に乗り継ぐこともできない。何事もなかったかのようにすわって文庫本を読み続ける人、ホームに降りて電話をかける人、駅員に詰め寄る人たち。乗客の反応は様々だ。さて、私はどうしようか。新幹線の発車時刻より約1時間前に名古屋駅に到着するよう余裕をもって友人の家を出てきたつもりだが、果たして間に合うのだろか。どうにかこの駅を脱出しなくては何もはじまらない。

・・・と、作戦を練りはじめていた私の耳に素晴らしい吉報が飛び込んできた。振替輸送だ。向かいのホームに次に来る電車に乗れば、JRに乗り継ぎができる駅に行ける。そうすればもうゴールは見えたようなものだ。間に合うかもしれない。ホームでその電車を待ちながら携帯電話で時刻を検索する。おっ、これは・・・目の前に差し込んだ明るい光は、束の間のものでしかなかったようだ。最短でも名古屋駅到着は新幹線出発の1分前。この大混雑をくぐりぬけて新幹線に乗り込むには(大混雑でなくてもですね)、どんなに頑張っても不可能である。

あきらめるしかない。そもそも、安全に無事で帰宅できればそれで十分なのだ。ただ私は新幹線の切符を買いなおせばよいだけなのだ。悔しい思いになんとか折り合いをつけながらも、鞄のなかの切符の行く末を確かめてやらなければとチケットケースを取り出す。緊急事態のときにしか読まないであろう契約文書のような細かい文字を目で追っていく。すると、「あっ、この子、まだ半分生きている!」 出発時刻前にキャンセルを伝えれば、その半分は返金してくれるとのことである。これがJR線の事故によるキャンセルだったら全額戻るらしかったが、残念ながら私鉄の場合は認められない。私鉄とJR、振替輸送するほどの仲だったら、とことん仲良くしたっていいのになぁ。

1年ぶりの帰省。1年ぶりの帰り道の、まさにその電車がストップして新幹線に乗り遅れるなんて。私のそんなタイミングの良さには驚くばかり。でも本当は、こうして無事に帰宅することができたことこそありがたいことなのだ。人生、いつも安全でスムーズで、無事に生きていられることが当たり前だと思っていてはいけない、ということに気づかされた最終日の最終の出来事でした。

家に帰るまでが帰省です。無事家に帰りついたので、記録もこれでおしまいにします。

帰省3日間、とても楽しかったです。ありがとうございました!

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2010年11月17日 (水)

うれしいうさぎ (帰省の記録⑥)

帰省最終日。夕方には新幹線に乗ってまた都会へと旅立たなくてはならない。でも、私には旅立ちの前にもうひとつ、楽しみにしていることがあった。

今年の2月に出産した友人の家におじゃまするのだ。昨年の春、東京に遊びに来たKちゃん。そのとき、そろそろ子どもが欲しいなって思ってるんだけどね、って話をしてくれた。その春も過ぎ去り夏を迎えたある日、一枚の暑中見舞いが届いた。ドドーンと上がった花火の写真のはがきの裏には、赤ちゃんができたよという嬉しい報告が。 やったー! 私も花火みたいに、嬉しい気持ちが爆発したよ。

あのときから一年。今年くれた暑中見舞いには、「Mが昨日から手の力で前へ進めるようになって、赤ちゃんの進化に日々感動しています。悩むこともあるけれど、保健師さんに言われた『赤ちゃんが生まれて6か月なら、お母さんもお母さんになって6か月、出来なくて当たり前』という言葉で自分を元気づけています!」という彼女の力強い言葉。Kちゃんは、赤ちゃんと一緒に毎日頑張ってるんだね。

早く会いたいなぁ、日々進化するMちゃんに。ママになったKちゃんに。そしてパパになったMくんに。ともに大学の同い年のサークル仲間であるKちゃんとMくん。とても元気で面白くて素敵なカップルで、私はとても好き。今回帰省することが決まり、これは絶好のチャンスとばかりにすぐに彼女に連絡したのだ。

「おじゃましまーす!」 小さなMちゃんを抱いたMくんが玄関で出迎えてくれた。うわぁー、めちゃくちゃかわいい!! くりくりっとした小さな目。小さなプルプルのほっぺ。なにもかもが生まれたてでちっちゃくて愛らしい。とにかく見ているだけで頬がゆるんでしまう。

Mちゃん、初めのうちはやはり不安げな表情である。「このひと、だあれ?」 ちょっとこわいけれど、ものすごく気になる。パパやママとふれあいながらも視線はずっとこちらに向けられ、私が何者であるのか探っているようだ。「抱いてみていい?」 そろそろいいかなと思って手を出してみたけれど、残念ながらまだだめみたい。でも、積み木をお互いに転がしあっているうちに、Mちゃんが少しずつこちらに近づいてきた。そしてついに、カーペットの上に伸ばしていた私の足の上に乗っかって徐々にこちらに歩み寄ってきてくれた。「ちょっと慣れたみたいだねー」 わぁ、嬉しい! 帰る時にはやっと、Mちゃんから抱っこのお許しが出てとても嬉しかった。

それにしても、Mちゃんはずっと動きっぱなしで元気いっぱい。とにかくあっちへこっちへと這ったり、手で何かをつかんだり口にくわえたり頭をソファにぶつけてみたり。「今日は動くねー、興奮してるみたい」 パパとママはそう言っていたけど、Mちゃんきっと、自分の力で動けることが嬉しくて仕方ないんだろうな。

***

 『うさぎ』 まどみちお

うさぎに うまれて

うれしい うさぎ

はねても

はねても

はねても

はねても

うさぎで なくなりゃしない

うさぎに うまれて

うれしい うさぎ

とんでも

とんでも

とんでも

とんでも

くさはら なくなりゃしない

「まどさんの詩の本・あのうた このうた」より

***

Kちゃん、Mくん、Mちゃん、素敵なひとときをありがとう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

2010年11月14日 (日)

どんぐりぼっくりどんぐりあたま

毎年この時期には、どんぐりコレクターの隊長である友人とともにどんぐり採集に行くことにしている。今年は11月6日土曜日、柏の葉キャンパス駅から徒歩20分のところにある千葉県立柏の葉公園へ。さわやかな秋晴れでぽかぽかと暖かく、絶好のどんぐり日和。

公園に一歩足を踏み入れたとたん、早くも木の実を発見! 早速、用意してきたどんぐり採集スーパー袋(単なるスーパーの袋)を取り出す。たちまち私たちはどんぐりモードに。茂みの中にはいりこみ、すでに分厚いクッションをこしらえている木の葉をふみふみ、お目当てのものを探しはじめる。あー!見て見て! どんぐりや木の実を拾いあげてはそのたびに感嘆の声をあげる私たち。なかなか幸先のよいスタートである。

本格的な始動を前に、先にお昼をとることにする。ベンチでお弁当を食べながら周りをみわたせば、家族連れや仲睦まじい老夫婦などたくさんのひとたちが思い思いの時間を過ごしている。陽気は最高! 木々たちもその衣服を赤や黄色に着替え初めたところで、今年はとってもいい時期に来たかもね、とわくわくが増していく。

私の横ではわがどんぐり隊長が、持ってきたどんぐり図鑑を広げている。「これこれ、柏の実!」胴体はコロンとしててまるっこく、先っちょのとんがったところからちょこんと短いアンテナがのびている。彼女の今年の一番のねらい目らしい。何といってもここは柏市。市のシンボルツリーはもちろん柏。そしてその名も柏の葉公園とくれば、ここに柏の木がないわけがない。

探索再開。「あっ!これはっ!」手に取った大きめのどんぐりから短いアンテナがのびている。ふたりで上を見上げれば、見慣れた葉っぱが目の前に。そう、柏餅のあの葉っぱ。すぐに地面に目を戻すと――おお! そこにはさっき図鑑で確かめたまさにその実が散らばっていた。しかし・・・どうやら落ちてから時間が経ってしまっているみたい。肌はつやを失い白っぽくてカサカサになっている。うーん、残念。

ところが、がっかりしている私の横で、隊長がせっせと何かを集めている。見れば、柏の実のあたま。ふさふさヘアがなんとも愛らしい。これをきっかけに、彼女はすっかりどんぐりあたまの虜に。

木々のあいだを縫ってひたすら下を向き歩く。一粒木の実を見つければ上を見上げる。この木なんの木?(気になる木)。ここ柏の葉公園の木は嬉しいことに胸に名札をつけてくれている。アラカシ、シラカシ、スダジイにジュウガツザクラ(そうそう、この十月桜も咲いていました)。さっき図鑑で予習をしたから、木の名前と実の姿はおおよそ把握できている。(わがどんぐり隊、昨年よりもかなり成長したかもね)それがどんぐりの木とわかればもうしめたもの。そのあたりを探れば自ずとどんぐりは見つかるのだ。

小粒でつやつやなのや、赤茶でスラリと背の高いのや、よくみればシマリスのしっぽみたいに縦に縞模様がはいっているやつもいる。そして上等のまつぼっくりも手に入った。そのほかフウやスギの実らしきものや、椿のタネと思われるものや、赤や黄色に染まった落ち葉もスーパー袋の中にしっかりおさめた。隊長の袋の中は、すっかり気に入ってしまったらしいどんぐりあたまたちがいっぱい。→どんぐり隊長のページ、どんぐりあたま木の実たちです。

はじめて行った柏の葉公園、思いがけない拾いものもたくさんで、とっても素敵な空間でした。

眺めてるだけでもううっとり、どんぐりぼっくりどんぐりあたま♪

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

2010年11月11日 (木)

再会のひととき (帰省の記録⑤)

時刻は午後8時30分。結婚式の会場をあとにした私はそのままある場所へと向かった。引出物の大きな紙袋を抱えめったに履かないハイヒールで名古屋の街を駆け抜ける。

「あっ、Pちゃん、Aさん! 久しぶり!」私の目が居酒屋さんの入口付近にいる3名の男性(Aくんにだけ気づかず・・・別人に見えてしまったの、ごめんね)をとらえた。私の大学時代のサークル仲間たち。今夜は、2つ上の先輩であるPちゃんが12月に結婚するというのでそのお祝い会が開催されていたのだ。店内から懐かしのメンバーが次々と出てくる。「えっ!なんでここにいるの!」いるはずのない私が突然現れたものだから、誰もがとびきりのリアクションをしてくれる。こういうの、ちょっと楽しい。飛び上がり手をとりながら互いの近況を報告しあった。

「Pちゃん、おめでとう!」 まもなく奥さんになるその女性もお店から出てきたので、Pちゃんを介してご挨拶。にこやかでやわらかい感じの女性で、思わず私もひとめぼれしてしまいそうになる。繊細で心優しいPちゃんとはとてもお似合いだ。嬉しい気持ちでいっぱいになる。

卒業して何年もたったいまでも、仲間に嬉しい出来事があるたび、もしくはそうでなくてもこんなふうに集まれるなんて、なんと素敵なことだろう。ものすごくご無沙汰していた私が突然登場したって、みんなは何のためらいもなくあたたかく迎え入れてくれた。大学時代と変わらない笑顔。サークル活動に熱中していた日々が懐かしく思い出される。

田舎の小学校を巡回したあの夏の10日間。家庭科室で食事をつくり、お風呂には毎日入れず、広い体育館で虫と闘いながら寝袋で眠ったサバイバルな日々。でも子どもたちの喜ぶ顔を見れば疲れだってなんだって吹き飛んだし、みんながいたから乗り越えられた。

空き時間を見つけては人形の製作をし、練習と公演を繰り返し繰り返し、意見を交わしあい、そしてまた練習し、よりよいものにしていく。ひとつのものを作り上げる大変さと喜びが私たちをさらに強く結び付けていったのだと思う。

小さなサークル部屋に行けばいつでも誰かがそこにいて、おしゃべりしたりギターに合わせて歌ったり。みんなで出かけたり誰かの家に集まったり、ぶつかりあったり笑いあったり恋したり一晩中語り合ったり。ちょっぴり無茶をしたって平気。なにもかも無敵だったようなあの日々とそこで出会えた素敵な仲間たちは、私の大切な宝物です。(私が所属していたサークルは人形劇団です)

***

 ケ・サラ CHE SARA より抜粋

                   作詞作曲 J・フォンタナ/C・ペス/N・イタロ/F・ミグリアッチ

                   訳詞 にしむらよしあき                  

押さえきれない怒り こらえきれない悲しみ

そんなことのくり返しだけど 決して負けはしないさ

泣きはらした夜 迎える朝のまぶしさ

涙の乾くときはないけど 決して倒れはしないさ

ケ・サラ ケ・サラ ケ・サラ

僕たちの人生は 平和と自由もとめて 生きてゆけば いいのさ

***

夏の河原でのキャンプファイヤー、みんなで輪になって歌ったね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2010年11月 9日 (火)

純白の花 (帰省の記録④)

帰省2日目。今日は高校時代の友人の結婚式。名古屋駅のそばにある式場へと向かった。

式場に着くとすでに高校時代の友人3人はみな到着していた。「久しぶり!」なかには卒業以来会っていない友人もいる。みんな変わらないものだなぁ・・・その姿を見てほっとする。

チャペルでの挙式。純白のウェディングドレスを身にまとった友人がお父さんと腕を組んで一歩一歩バージンロードを歩いていく。結婚式に参列させてもらうときはいつも、一番はじめのこの場面が一番泣けてしまう。なぜなのかはっきりとはわからないのだけれど。でも、とにかくまずはおめでとう、本当によかったねという思いが胸の奥からあふれ出てきて止まらないということ。それから、一緒に笑いあったり頑張ったり苦しんだりと何気ない日々をともに過ごしてきた友人が、今日はあまりにも特別にキラキラしすぎていて身震いしてしまうような感覚。どこか特別なところへ行ってしまうのではないかという複雑な感覚にとらわれて、それが喜びとまじりあってなんとも言えない気持ちになるのかもしれない。うまくは言えないけれど。

ふたりのあいだにあふれだしている喜びとしあわせがあらゆるものに光のようにふりそそいでいるのが見えるようだ。彼女たちのこれまで生きてきた日々にかかわったたくさんのひとたちから式場のスタッフまで、その会場にいるひと誰もが「おめでとう」という同じ気持ちで過ごすことができる今日という一日がとても貴く美しい時間に思える。

華やかなドレスを着てまぶしいくらいに美しい友人。普段なら冗談を言ってビシバシ叩いたりできるのに今日はそっと触れることさえはばかられる。ほんの少し会話ができただけで飛び上がるくらい嬉しくなる。

「ちょうちょう(ちょっとちょっと)、また面白い話あるで来やあ!(面白い話があるから来て!)」高校の教室で、いつも私たちを集めては楽しい話を披露してくれた彼女。それはおちゃめな家族の話であったり、日常の心あたたまる話であったり、私たちをいつも明るい気持ちにさせてくれた。感情表現がとても豊かで、ある朝は泣いていたり、またある日にはテニスのペアを組んでいた私のプレーがあまりにも下手すぎて本気で怒ったり。でもほとんどは私のそばで明るく笑っていてくれた。

そんな彼女のことが大好き。本当に本当におめでとう、そしてありがとう。これからもずっとよろしくね。

***

  ウエディング・ソング   作詞:一倉宏 作曲:斎藤和義 より

あぁ 白い花が 揺れて笑う  

とてもきれいだ

あぁ 出会う不思議 愛する不思議 

扉を開けて

そのひとを選んだ 

人生がいまはじまる

誰もしあわせしか 

いらないだろう

それだけを祈るだろう

しあわせのその日に

ひとはなぜ震えて泣く

あんなに輝いた 笑顔のあとで

こんなに愛されながら

***

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2010年11月 8日 (月)

山の上から (帰省の記録③)

おいしい食事におなかも心も満たされた私たち。少し歩こうかと近くにある寺院、犬山成田山へ行くことにする。到着して車から降りこれから向かうべき方向を見ると、目の前には本堂へと続く長い階段が待ちかまえていた。でもしっかり昼食をとったあとだから怖くはない。軽快に駆け上がっていく。・・・ことはさすがにできなくて、ゆっくりゆっくりとのぼっていった。

本堂で参拝を済ませクルリと振り返る。そこでようやく、高い所に来たことに気づいた。そうだった、あれだけ階段をのぼったのだ。その眺めは最高! 眼下には木曽川、遠くには山々が連なっているのが見える。あの辺りが岐阜市だろうか・・・岐阜市に住んでいた数年間のことが一気によみがえる。いつもすぐそばに山と川がいてくれたあの日々。早起きして、よく長良川の河原を散歩したっけ。山を眺めながら川沿いの道を自転車で走るのも大好きだった。

さあ戻ろうか。階段を降りようとした私たちの目にとまったのは、両側にずらりと並ぶ狛犬たち。階段の上から下へと10段ほど、さまざまな表情を見せながら行儀よく座っている。行きにはのぼることに必死で全く彼らに気づかなかった。片方が「あ」と口を開けていればもう一方は「うん」のはず。左右の狛犬たちを、一段一段、「あ!うん!」と確認しながら姉が嬉しそうにおりていく。私も姉のあとにつづき一緒になって「あ、うん」とやってみる。私は3組目までいったところでおしまいにしたのだが、飽きない姉は先のほうでまだ「あ、うん!」とやっている。

犬山市を出たあとは、ショッピングセンターを見てまわり、お茶をのみ、そして帰宅した。

家に着くともう夕暮れどき。さてさて、計画していた「手巻きずしパーティー」の準備を!――できたらよかったのだが・・・残念ながら、都合によりパーティーは延期になってしまった。

築30年の我が家は最近になっていろいろと傷みが生じてきたため、少しずつ修復作業をしているところであった。ちょうどその土日は居間の床の補修作業が入っており、居間のあらゆる家具や小物、ソファもテーブルもピアノもテレビも全部別の部屋に移さなければならなかったのである。狭いのに物が多い我が家。移動されたそのものたちにより台所は占領され、ほとんど封鎖状態に。・・・パーティは無理ね。

手でくるくる手巻きずし!ではなくて機械がぐるぐる回転ずし店へ行ったのでありました。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2010年11月 5日 (金)

なんでもないようだけれど (帰省の記録②)

多治見の街を出た私たちが次に向かったのは、愛知県犬山市。そこへ行くには、ひと山、ふた山、越えていかなければならない。都会では電車と徒歩が中心の生活であり、こうして車に乗るのは久しぶり。窓からは気持ちよく風が吹き込み、山道のカーブで車が傾いたり揺れたりするのがなんとも心地よい。

いつの間にか周りが見渡せる広々とした田んぼの風景に変わり、さらに犬山市の中心部へと車を走らせていく。細い道に入りこみ、到着したところは小さな和食のお店。食べることが好きな姉おすすめのお店である。ただしメニューは強制で、日替わり定食一種類のみ。嬉しいことに、その日は姉も私も大好物の「チキン照り焼き」だった。店内はカウンター席がいくつかと、家庭の食卓のようなテーブル席が4つ。私たちはカウンター席に並んですわる。にこやかな女性が迎えてくださり、あっという間に料理が運ばれてきた。

チキン照り焼きに、レタスとブロッコリーが添えられた一皿。ごはん。豆腐のかきたま汁。切干大根煮。お茶。やわらかくてでも歯ごたえのあるチキンは、あっさりとしてやさしい味。かきたま汁も切干大根も、心にまでしみわたるような、ほっとした気持ちにさせてくれる味だった。なんでもない家庭料理のように見せかけておきながら、実はこれはとてつもなくすごい料理なのではないか。こんなふうにいつでも人をあたたかい気持ちにさせるような料理をつくることは、並みの技ではないはず、ということを、姉の話を聞いて私は実感したのだった。

姉は何度かこの店で食事をしている。おでんにサバの塩焼き、鮭チャーハン、だし巻きたまご、などなど。一番最初に食べたのはおでんだそうだ。姉は、メニューを見たとき「なーんだ・・・おでんか」と地味なメニューにちょっぴりがっかりしたが、食べてみてその味に感動! 見た目はなんということもない平凡な姿でも、実はただものではなかった。いつでも揺るがないしっかりとした同じ味が出せるのは、それこそ土台がしっかりとあるプロだからこそ。私から見れば姉は料理がとても上手に思えるが、姉はどうやら、自分の料理の味が気まぐれであることに満足していないようである。

「そうそう、鶏むね肉が安くてよく買うんだけど、調理法がわからずいつも親子丼ばかりになっちゃうんだよ」と姉に話したら、それなら「鶏ハム」がおすすめよ! と教えてくれた。砂糖と塩コショウをまぶして1,2日つけこみ、その後水に入れて塩抜き、茹でてそのまま汁の中で冷ませば出来上がりなんだそうだ。「おお! 私にも出来そう!」

そんな話をしながらのんびりと食事を楽しんでいる私たちのそばで、カウンター越しにすわる一人の常連客が店員さんとのおしゃべりを楽しんでいる。このお店では、みんなが、おいしいお食事を味わいながらゆるゆるとしたくつろいだひとときを過ごしている。

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

2010年11月 2日 (火)

うつわのこころ (帰省の記録①)

午前5時40分。まだ薄暗いその日の早朝、私はJR多治見駅に降り立った。東京から夜行バスでおよそ6時間。実家のある岐阜県多治見市に約1年ぶりの帰省、今回は3日間滞在する。

初日の今日は、一日を通して姉と過ごす予定。姉は私のために、そして私は姉のために休暇をとり、ほかには一切予定を入れていない。

一度家に帰ってひとやすみした後、早速姉の車でお出かけ。多治見市の中心部へ向かう。多治見市は美濃焼の産地であり、街なかには小さいけれど魅力的なギャラリーやうつわやさんが点在している。幼いころはあまり足を運ぶことのなかった場所だが、大人になってじっくり散策してみるといろいろな発見があって面白い(ということにこの日初めて気づいた)。

うつわのお店に入る。中は和室になっており、すぐわきにある手入れされた美しいお庭も眺められる。展示されたうつわの姿を見ていると、その作家さんの息吹がこちらにずんずんと伝わってくる。そのひとの思いがその手を通じてうつわを形づくり、ひとつの作品となる。釉薬の加減で白くやさしい仕上がりを見せる志野や、濃い緑の色合いが美しい織部焼き。一応焼きものの街で育ったからであろうか、私たちはうつわを見るのが好きだ。いまは百均でゆのみや茶碗やお皿を買うことができてしまう時代になったけれど、やはり本物を見たい、使いたいと思う。陶器市などに行くと、手になじむ私だけのうつわを探すのに必死になってしまう。小学校の授業では、ひとかたまりのぜいたくなほど大きな土粘土を与えられ、半日かけて思う存分作品づくりをさせてもらえたことを思い出す。あの土の感触。焼き上がりの喜び。

お店をのぞきながら街散策を楽しんだ後、久しぶりに多治見修道院へ行ってみる。ワインに使用するために育てられている葡萄園の下をほうきで掃いている人たちがいる。もうすぐ年に一度のワイン祭りらしい。よい天気で、青空を背にした修道院の建物が一段と美しく見えた。

こんなふうに、多治見をじっくりと味わうことではじまった帰省初日の朝。今回こそは、きっといい帰省になりそう・・・! 姉が運転する横でそんなことを思いながら、私たちは次の目的地へと向かっていった。

最後に、私の好きなまどみちおさんの「ゆのみ」の詩を。

***

  ゆのみ

にがい茶をいれられようが

にえたぎる湯をいれられようが

うっかりおっことされようが

そのへんにころがされていようが

まるきりへいちゃらでくつろいでいる

いってみればゆのみはまあ

小さな土のかたまりでちきゅうが

大きな土のかたまりなのと同じなんだ

中にいれるものも空気でなかったら

水みたいなものだから

これとてちきゅうなみなんだ

人間たちがなんと名づけようと

ゆのみはゆのみでもなんでもないんだ

ちきゅう一かの一ばん小さな

身うちなんだあわてることはない

たかぶることもないまあこのひろい

てんちのなかでゆうゆうかんかんなんだ

『うめぼしリモコン』 理論社 より

***

| | コメント (6) | トラックバック (0)
|

« 2010年10月 | トップページ | 2010年12月 »