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2011年1月

2011年1月27日 (木)

見えない星を見上げながら、見えない春を見つめながら。

冬の青空が好き。どこまでもどこまでも澄んだ青。その青の行きつくところを見つけようとどんなにがんばっても見つけられない。どこまで行っても、その青にたどりつけない。その青をつかみきれない。だからだろうか、冬の青空を見ているとなんだか切ない気持ちにさせられるのは――。

職場の最寄り駅の改札を出て陸橋を渡る。上に広がる青空を眺める。
きょうも雲ひとつない冬の青空。

陸橋を降りすこし遠くなってしまった空を、今度は思い切り見上げながら歩いていく。その青空を背景に、上を走っていくモノレールが見える。ちょうどカーブするところで朝日が反射し、キラキラっと輝く。高層ビルも一緒になってキラキラっと輝く。山と川を眺めながらチャリンコ通勤していた田舎の朝も好きだけど、満員電車から降りてゆっくりと歩く、こんな都会の朝も好き。

冬は夜空も美しい。真っ黒に澄んだ空に輝く星。冷たい空気にさらされて、より一層輝いて見えるような気がする。

*** 

 星とたんぽぽ   金子みすゞ

青いお空のそこふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまでしずんでる、
昼のお星はめにみえぬ。
   見えぬけれどもあるんだよ、
   見えぬものでもあるんだよ。

ちってすがれたたんぽぽの、
かわらのすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根はめにみえぬ。
   見えぬけれどもあるんだよ、
   見えぬものでもあるんだよ。

『わたしと小鳥とすずと』 金子みすゞ JULA出版局

***

夜が来るまで見えない星たちを思いながら、青空を見上げてみる。どうしても手が届かないと思っていた深い深い青空に、ほんのすこしだけ、近づくことができたような気がした。

春が来るまで会えない花たちを思いながら、はだかの木々を見つめてみる。幹のなかに眠っている春に、ほんのすこしだけ、近づくことができたような気がした。

あたたかい春を待ちこがれながら、きょうもあしたもあさっても――冬が過ぎ去るその日まで、切ない思いで空を見上げるのです。

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2011年1月22日 (土)

凍える断捨離から得たもの~誕生日を迎えて

週の真ん中に誕生日があって、私はひとつ歳をとった。
何よりも嬉しいのは、みんなからの「おめでとう」の言葉。直で、手紙で、メールで、贈りもので・・・いろいろな形でみんなのあったかい気持ちをいただきました。本当にありがとう。

++

昨年、大晦日の朝。実家の居間でくつろいでいた私に母が言った。
「いま、うち『断捨離』やっとるで、あんたもいらないものあったら、どんどん捨ててって」

2階にある私の部屋の掃除をしなさい、ということである。
「ほら、これ着ていいで。これ、ほんとうにあったかいから、貸してあげるで」
そう言って、母は自分のダウンジャケットを私に手渡した。大晦日であろうが容赦ない。久しぶりに帰省したかわいい娘に、ゆっくりしていきやぁ、なんて言わない。恐るべしうちの母。仕方がない。これがうちの母なのだ。

2階に暖房器具はない。外は雪。室内気温2度。ダウンジャケットにマフラー、ひざには分厚い毛布。万全の態勢で断捨離に挑む。

それにしても、捨ててよいものは山ほどあった。そもそも、私はもうこの家には住んでいないのだから、残されているものは必要のないものばかり。ざくざくざくざく、気持ちいいくらいあっさりとゴミ袋に入れていく。

・・・そのとき、学習机の奥から4冊の大学ノートが出てきた。それというのも、もう10年も前に書いていた日記帳――なんて言える美しいものでもなく、心のままに思いが吐き出されたどろどろぶちまけ帳――である。

見れない。見たくない・・・。

20代前半、自分のことが嫌いで仕方なかったあのころ。どうして自分はこんなんなんだろう・・・自分の嫌なところばかりが見え、落ち込んでばかりの日々。「自分が好き」だと言える人がうらやましかった。自分や友人、家族への思い・・・さまざまな日々への思いがズラズラと書きつづられているノート。嬉しいことよりも、苦しいことがあったとき、自分のなかで消化できないことがあったときにそれを書いていたから、そのノートはどろどろぐちゃぐちゃ、本当に見苦しいものなのだ。

いま思えば、どうしてそこまで自分を責め、自分で自分を苦しめながらしか生きられなかったのだろうと不思議に思う。いまの自分じゃ考えられない。私、人格が変わったのだろうか。がんじがらめで身動きがとれず殻のなかにうずくまっていた私が、「もうどこへでも飛んでいきますよ~、まあまあ、のんびり行こうじゃないか」 なんて私に変貌したのはなぜなのか、そしていつの瞬間だったのだろう。

さて、そんなことを考えつつ、それを一通りパラパラっとやってから(やはり読めない)、思い切り破いた。かじかむ手に力をこめて、細かく細かく、破いた。それまでの思いをすべて粉々にして、これまでの自分にすっぱりさよならできるように。

もう私は、いまの私でいいのだ。いまの私がいいのだ。あの苦しい日々を越えて、もう何度も誕生日を迎えたけれど、広げて読み返すわけでもないのにしつこく取っておいた4冊のノートとすっぱり縁を切った今回の誕生日は、これまでとはまるで違っていたような気がする。

うじゃうじゃと膿を出しどろどろを吐き出し、時間をかけて傷を治し、そうしてやっと出来たかさぶたがずっと心の奥底にくっついたままだった。ようやく、そのかさぶたは剥がれおちた。幼いころ転んだ膝小僧の傷跡がいまでも残っているように、かさぶたが剥がれたあとも、心の奥底に傷跡だけは残るだろう。

でも、それでいいのだ。それこそが、いいのだ。ああやって膿を出し苦しみ続けていた日々はどうしても私に必要だったのであり、だから私はいまの私でいられる。その傷跡を大事になでてやりながら、生きていきたいなと思います。

***

 ぼくがここに  まどみちお

ぼくが ここにいるとき
ほかの どんなものも
ぼくに かさなって
ここに いることは できない

もしも ゾウが ここに いるならば
そのゾウだけ
マメが いるならば
その一つぶの マメだけ
しか ここに いることは できない

ああ このちきゅうの うえでは
こんなに だいじに
まもられているのだ
どんなものが どんなところに
いるときにも

その「いること」こそが
なににも まして
すばらしいこと として

『ぼくがここに』 まどみちお 童話屋 より

***

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2011年1月18日 (火)

ゴリラが好き。

『福岡市動物園、国内最高齢のゴリラ死ぬ』 ――サッカーの勝利や芥川賞・直木賞の発表などとともに飛び込んできた今朝のニュース。

そのゴリラは「ウィリー」という名のオスのゴリラで、推定年齢は45歳以上だった。人間の80歳以上に当たるのだという。
昨年の暮れにも、名古屋市の東山動物園でメスのゴリラ「オキ」が死んでいる。オキの推定年齢は53歳。人間では100歳以上に当たり、当時は世界で2番目の長寿だった。

本当に、よく生きたね。

私はゴリラが好きだ。

黒い黒い大きな背中。三角にとんがった頭。いつも何やらふむふむ考えていそうなあのお顔。なんか、いいんだよね、ゴリラって。

数年前、友人と動物園に行ったとき。私たちはゴリラの前からしばらく動けなくなった。ずーっとずっと、見ていたかった。「立ち止まったらその場から動けなくなってしまう動物ランキング」、第2位かな。(ちなみに第1位はシロクマ。ふらふらになりながらも、よたよたと同じところを行ったり来たりしつづける2頭のシロクマがおかしくて、せつなくて・・・。歩くのをいつやめるのか、それを見届けたかったのだけど結局2頭はいつまでも歩き続け、見届けることができなかった)

その日ゴリラはおとなしくすわったままで、ごそごそと動くだけだったのだが、でも、ただそれだけのしぐさがたまらなく愛おしかった。普通の家庭の居間にすわってくつろいでいるような感じのゴリラ。隣近所のご家庭をちょっとのぞいているような、ほっとさせてくれるような光景。

いいなぁ、ゴリラ。近所に住んでいてほしい。時々遊びに行って、一緒にお茶を飲む。オセロをする。肩車をしてもらう。いいなぁ、そんな生活。

***

 ゴリラは ごりら   工藤直子

でんぐりがえりの ゴリラ
うでたてふせの ゴリラ
なにをやっても ゴリラ
ゴリラはとても ゴリラ

はっぱをぱくりと ゴリラ
きのみをごくりと ゴリラ
なにをたべても ゴリラ
ゴリラはとても ゴリラ

かぜにふかれて ゴリラ
くもをながめて ゴリラ
こころのそこまで ゴリラ
とてもりっぱな ゴリラ

とてもりっぱな ゴリラ

『ゴリラはごりら』 くどうなおこ☆詩 あべ弘士☆絵  童話屋

***

この詩集は、いつかのクリスマスに友人が贈ってくれたもの。一冊まるごとゴリラでとっても素敵です。
それから、ゴリラ関連本として、『すきです ゴリラ』(アンソニー・ブラウン 作 山下明生 訳 あかね書房)という絵本も好き。

ウィリー、オキ、どうぞ安らかに眠ってくださいね。

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2011年1月15日 (土)

もっともっとおいしくなれる

最近、歩いて5分もかからない近所の八百屋さんによく行くようになった。ご夫婦で切り盛りしていらっしゃる小さなお店で、日によって、おじちゃんかおばちゃんのどちらかが店番をしている。

今日はおばちゃんだった。大根まるごと1本、かぼちゃ1/4切、ねぎ1束を抱えた私を「はい、ありがとうね~」とやさしく迎えてくれ、小さなレジを打ち品物を袋に入れてくれる。
それがおじちゃんの場合は、「はいっ、ありがと~! レシート入れとくよ~!」という感じ。とっても威勢がいい。

そんなおじちゃんの元気っぷりをそのままあらわしているのが、この店の品物である野菜やくだものたちだ。大根も白菜もほうれん草も、みかんもバナナも干し柿もりんごもみんな、生き生きと輝いている。「ねえ、採れたてのぼく、おいしそうでしょ?」「わたしだって、甘くておいしいんだから! ぜひ食べてみて!」なんて声が聞こえてきそうだ。

そんな彼らには、お手製のプライスカードがそれぞれ取り付けてある。

「うまいよ! 100円」「甘いよ! 280円」「ポクポク かぼちゃ 98円」 「味よいバナナ 80円」「中身で勝負! 50円」 ・・・などと、B5サイズの黄色い紙に、赤いマジックで走り書きしてある。字の勢いからすると、おそらくおじちゃん製であろう。

そうか! 野菜たちがこんなに輝いているのは、このプライスカードのせいなのだ。どの子も本当に生き生きと、おいしそうな姿に見えてくる。(実際、新鮮でとてもおいしい)。その店には、スーパーで売っているお菓子や調味料なんかも少しだけ並べてあって、そこにもやはり、「うまい! カリントー」などど書いてあった。それを見ると、普段スーパーで見向きもしないものでも、つい買ってみたくなるほど心惹かれてしまう。

この子たちはきっと、おじちゃんに生かされているんだ、と思う。野菜やくだもの、ひとつひとつのいいところを見つけてほめてやり、大事に大事に店頭に並べてやる。おじちゃんとおばちゃんの毎朝のそんな光景が私の頭に浮かんでくる。だからこそ、野菜やくだものたちは、こんなにうれしそうなのだ。おじちゃん、おばちゃんと同じ素敵な笑顔で、私たちを待っていてくれるのだ。そして何よりも、彼らはとってもおいしい!  

ほめられるほどに、もっともっとおいしくなれる。それは、人間だってそう。よくないところを指摘されてそこを直すってことも当然大事なことだけれど、いいところを認められて、それが嬉しくて自信になってますます頑張るうちに、その人のよさがもっと引き出されてさらに伸びていくのだと思う。

あのお店で、今度は、どんな子たちに会えるかな♪

**

 かぶ   大久保テイ子

はたけって あったかい

はたけって あったかい

と おもっているうちに

かぶはハートのかたちになった

『みえる詩 あそぶ詩 きこえる詩』 はせみつこ編 冨山房 より

**

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2011年1月11日 (火)

新年のホンヤク話

友人との初詣。日曜日に都内の根津神社へ行ってきた。

実は本年度のわたくし、翻訳、ではなく、婚約、でもなく、はたまた蒟蒻、でもなく・・・(なかなか言いたくない)、ズバリ、本厄なのです。

初詣のこの日、ぜひ厄払いも! と決意して朝家を出た。一緒に行った友人と学年は同じなのだが、私は早生まれのため、本厄が一年遅れでやって来たのだ。友人は後厄ではあるものの、一番のメインのところを昨年乗り越えたわけだ。ちょっぴりうらやましい。

住所、氏名などを記入して受付を済ませた。いつもはお賽銭を投げてお参りする場所よりなかなか奥へ行く機会はないが今日は特別。靴をぬいで階段を上がりその場へ行くと、神様にぐんと近づいた感じがして背筋がピンと伸びる。

儀式は厄(変換すると一番にこの文字が・・・)ではなく、約15分。初めての体験でありどうふるまえばいいかわからなかったのだが、幸いなことにもう1名参加されていた方がいらっしゃったので横目で見ながら真似をする。神主さんに合わせて深々とお辞儀を繰り返す彼、に合わせて私も深々と頭を下げる。
低い声で、あの独特のイントネーションでなにかを読み上げていらっしゃる神主さん。必死で聞き取ろうとしていたら、自分の住所と名前がその独特のメロディーになって耳に入って来た。これがとても嬉しく、「神様! それはわたくしのことでございます」 なんて心のなかでアピールしてしまう。

榊を神様にお供えし、二礼、二拍手、一礼。
どうかこの一年、すこやかに過ごせますように。

最後に、お守りと、撤饌(神前にお供えしていたもののおさがり)として白飯と塩昆布をいただいた。

その日は雲ひとつなくあたたかな冬晴れ。厄払いを終えて気持ちも晴れやかになった私と、神社内の散歩から戻った友人とふたり、ベンチに腰かけ、長いことなんということもないおしゃべりをした。背中に陽があたりぽかぽかで、隣で幼い子が飛ばすしゃぼん玉がゆらめきながら空高くのぼっていく。

しゃぼん玉は、はじけてはまた生まれ、生まれてはまたはじけ・・・。ほんの一瞬の命を虹色に輝かせながら、あたらしい命、またあたらしい命を作り出していく。

厄払いを終え、私もあたらしいわたしになっているはず。毎日毎日、いや、日々のどんな区切りにおいても、一瞬一瞬であっても、わたしはあたらしいわたしを作り出し続けている、作り出し続けていけるはず。

***

 あした   石津ちひろ

あしたのあたしは
あたらしいあたし
あたしらしいあたし

あたしのあしたは
あたらしいあした
あたしらしいあした

『あしたのあたしはあたらしいあたし』理論社 より

***

本厄を乗り越えつつ、翻訳をさらに愛し、本訳者(本物の訳者)になれるように今年も日々励んでいこう。あたらしいあたしの、ホンヤクへの願いです。

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2011年1月 8日 (土)

すき焼きの奇跡

2010年12月31日、大晦日。あと数時間で新しい年を迎えようとする夕暮れどき、姉が晩ごはんの支度を始めた。

今夜はすき焼き。「里帰りの日、なにを食べたい?」と、姉から聞かれ、私がリクエストしていたメニューだった。我が家にとって、なんともぜいたくなメニューをリクエストしてしまったのだが、それを聞き入れてくれたのだ。

もともと我が家の夕食は魚が多い。みんな魚が好きなのだ。時々肉も登場するけれど、それは焼きそばに入っている豚肉とか親子丼に入っている鶏肉とか、地味で控えめなものなのだった。

そういえば、何年か前のお正月にすき焼きを食べたなぁ・・・。そのことを思い出し、今回、思い切ってリクエスト。
そして、ぜひ今回こそは家族4人で食卓を囲みたい、鍋料理を一緒に食べたいという願いもあった。

*

姉が、棚の奥にしまいこんであったすき焼きの鉄鍋を引っ張りだし、何やらつぶやいている。どうやら、長年使っていなかったせいで錆が出てきてしまっているらしい。「錆は大丈夫よ~。ちょっとこすればとれるから」母が姉に言い、姉は仕方なく鍋を磨く。

「そろそろお皿と卵、準備して」姉にそう言われた私は台所に行き、4人分の器を食卓に置いた。うわ~、本当に、すき焼きだ!

4人が席につき、食事をはじめた。寅年生まれなのに肉が苦手な母も、今日はすこし頑張って肉にも箸をつけている。

――ほっとした。ああ、よかった。こうして家族全員ですき焼きを食べることができて。本当に、よかった。こうして家族全員で食卓を囲むことができて。食卓の4つの席は、全部埋まっている。みんながひとつの鍋を、つついている。
「舞茸、おいしいね。舞茸入れてみてよかったねぇ」「肉、固くなるからはやく食べやぁ!」・・・なんということもない、普通の家庭にありそうな食卓での会話も聞こえる。

何年ぶりかの家族でのすき焼き――、いや、実はすき焼きに限っての話ではない。こうして家族全員で食卓を囲むこと自体、ものすごく久しぶりのことだ。5,6年ぶり、いやもっと前なのかもしれない。何事もなくこうして穏やかな夕食のひとときを家族全員で過ごせていることが、我が家にとっては奇跡的なことなのだ。

うまくみんなで食卓を囲むことができなかったこの数年間。

やっとのことでひとりも欠けることなく――たとえ数十分というほんの短いひとときではあったけれど。そして明日からまた実現できなくなってしまうのかもしれないけれど――、家族全員での食卓を、この日、取り戻すことができたのだ。
2010年の締めくくりである12月31日が、我が家にとっては、いろいろあったけどそれでもギリギリ家族であり続けることができた十数年間の一区切りであったようにも思えた。

帰ってきて、よかった。すき焼きをリクエストして、よかった。

姉へ。すき焼きおいしかったね。おいしかったよ。ありがとう。またちゃんと帰ってくるから待っててね。
母へ。布団敷いてくれてありがとう。デラックスで暖かくてよく眠れました。
父へ。ブリカマの煮付け、おいしかったです。作ってくれてありがとう。

今年の大晦日は、しゃぶしゃぶの奇跡、になるといいなぁ。

 

 

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2011年1月 5日 (水)

体は全部覚えている

2010年から2011年になって、はや5日が過ぎた。
しかし、私の体は、まだまだ2010年設定から切り替わってはいないらしい。

新年、初仕事。
宅配便の宛名を書く。日付を入れる。

「2010年1月5日」「2010年1月5日」「2010年1月5日」・・・。

3件めになって、やっと気づいた。そうか、いまは2011年だ。

私の手は勝手に、握っているボールペンに「2010年と書きなさい」と指示しているのだ。止めることはできない。たぶん、頭でしっかり考えて「2011年と書くのよ!」と指示してやらないと、手のすばやさには負けてしまう。

きっと、明日も同じことをしてしまいそうな気がする。2010年と書くその動きに慣れてしまった1年間の記憶を塗り替えることは、手にとってたやすいことではないのだ。

...

数日間実家で過ごして戻った日。体が覚えているせいで、どうしてもやってしまう行動がある。

それは、水道の蛇口の使い方を間違える、ということだ。

実家の水道も、このアパートの水道も、レバー式(シーソーみたいに上から押したり下から押し上げたりするもの)である。
困ったことに、バーの上げ/下げと、それに対応する水を出す/止めるの設定が、実家とアパートとではまったく逆なのだ。

実家に帰って数日はアパートの癖がついているから、間違える。
アパートに戻ってくると、実家での使い方を覚えているから、間違える。

水を止めようとしたのに、急に「ジャー!!」っと勢いよく水が出て何度びっくりしたことでしょう。

ほかにも、体が覚えているためについやってしまうことはたくさんある。めがねをはずしたのに、かけていると思って鼻の上部を手で押し上げてしまう(めがねを押し上げたつもり)。腕時計をしていないのに、何度も腕を見てしまう。階段があと一段あると思ってそのように足を下ろしたら段がなく、足に変な衝撃がはしる・・・などなどきりがない。そしてどれもこれも、人前でやってしまうと(ひとりでも)かなりはずかしい。

...

体って、変化する季節の流れや毎日の空気の違いを受けとめることは得意だけど、ひとが決めた区切りや、突発的な変化には弱いみたい。

***

 くるあさごとに  岸田衿子

くるあさごとに
くるくるしごと
くるまはぐるま
くるわばくるえ

詩集『あかるい日の歌』

***

くるくるめまぐるしく変化する時間の流れに、なかなかついていけなくて・・・。

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2011年1月 3日 (月)

はじめまして2011年

あけまして、おめでとうございます。

***

 だっぴ   へびいちのすけ

「だっぴ」すりゃ
ちょっぴりおとなで
ぼく しんぴん
あたらしい としがはじまる
きぶんだよ

だから そのときゃ
「だっぴー、ニュー、イヤー」

『のはらうたⅣ 工藤直子』 童話屋 より

***

2011年が、やって来た。

こんにちは。はじめまして。

だっぴしてしんぴんの私は、新鮮な気持ちで2011年と握手する。
「今年こそは」と、その手に強い力をこめてみるけれど、2011年のほうはそれと同じだけの力で握り返してくれるわけではなく、「僕はもう2011年1月3日で、しんぴんってわけじゃないんだ」と、ただ淡々と返すだけ。

なんでもない日がまた積み重なっていく。「今年こそは」と願ったそのことを叶えるために、特別な毎日をこしらえようとはしない。なんでもない毎日だけど、あとから振り返ってみたら実は特別だった、気づいたら願いに近づいていた、というような日々を過ごしていけたらと思います。

++

昨日の朝、ふるさとからこちらに戻り、さっそく、近くの神社へ初詣に行った。地域の小さな神社なのにすごい行列。昨年のお守りを納め、しんぴんの神様に会いに行く。40分待ち、ようやく神様のもとへたどりつきお参りをすませた。
おみくじ、どうしようか・・・。ひとりのときは、おみくじをひくかどうかとても迷う。もしよくない結果だったら、フォローしてくれるひとがいないため、つらい帰り道となる。最近はひとりのときでもえいやっと引いてしまうことが多いけれど、今回はなんといっても、一年分の運勢が重くのしかかってくる新年のおみくじなのだ。

でもやっぱり、周りの人たちがわいわいと楽しむ様子を見ていると、引かずにはいられなかったのでした!

++

今年もよい一年になりますように・・・。よい一年になります、きっと。

今年もよろしくお願いいたします。

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