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2011年1月22日 (土)

凍える断捨離から得たもの~誕生日を迎えて

週の真ん中に誕生日があって、私はひとつ歳をとった。
何よりも嬉しいのは、みんなからの「おめでとう」の言葉。直で、手紙で、メールで、贈りもので・・・いろいろな形でみんなのあったかい気持ちをいただきました。本当にありがとう。

++

昨年、大晦日の朝。実家の居間でくつろいでいた私に母が言った。
「いま、うち『断捨離』やっとるで、あんたもいらないものあったら、どんどん捨ててって」

2階にある私の部屋の掃除をしなさい、ということである。
「ほら、これ着ていいで。これ、ほんとうにあったかいから、貸してあげるで」
そう言って、母は自分のダウンジャケットを私に手渡した。大晦日であろうが容赦ない。久しぶりに帰省したかわいい娘に、ゆっくりしていきやぁ、なんて言わない。恐るべしうちの母。仕方がない。これがうちの母なのだ。

2階に暖房器具はない。外は雪。室内気温2度。ダウンジャケットにマフラー、ひざには分厚い毛布。万全の態勢で断捨離に挑む。

それにしても、捨ててよいものは山ほどあった。そもそも、私はもうこの家には住んでいないのだから、残されているものは必要のないものばかり。ざくざくざくざく、気持ちいいくらいあっさりとゴミ袋に入れていく。

・・・そのとき、学習机の奥から4冊の大学ノートが出てきた。それというのも、もう10年も前に書いていた日記帳――なんて言える美しいものでもなく、心のままに思いが吐き出されたどろどろぶちまけ帳――である。

見れない。見たくない・・・。

20代前半、自分のことが嫌いで仕方なかったあのころ。どうして自分はこんなんなんだろう・・・自分の嫌なところばかりが見え、落ち込んでばかりの日々。「自分が好き」だと言える人がうらやましかった。自分や友人、家族への思い・・・さまざまな日々への思いがズラズラと書きつづられているノート。嬉しいことよりも、苦しいことがあったとき、自分のなかで消化できないことがあったときにそれを書いていたから、そのノートはどろどろぐちゃぐちゃ、本当に見苦しいものなのだ。

いま思えば、どうしてそこまで自分を責め、自分で自分を苦しめながらしか生きられなかったのだろうと不思議に思う。いまの自分じゃ考えられない。私、人格が変わったのだろうか。がんじがらめで身動きがとれず殻のなかにうずくまっていた私が、「もうどこへでも飛んでいきますよ~、まあまあ、のんびり行こうじゃないか」 なんて私に変貌したのはなぜなのか、そしていつの瞬間だったのだろう。

さて、そんなことを考えつつ、それを一通りパラパラっとやってから(やはり読めない)、思い切り破いた。かじかむ手に力をこめて、細かく細かく、破いた。それまでの思いをすべて粉々にして、これまでの自分にすっぱりさよならできるように。

もう私は、いまの私でいいのだ。いまの私がいいのだ。あの苦しい日々を越えて、もう何度も誕生日を迎えたけれど、広げて読み返すわけでもないのにしつこく取っておいた4冊のノートとすっぱり縁を切った今回の誕生日は、これまでとはまるで違っていたような気がする。

うじゃうじゃと膿を出しどろどろを吐き出し、時間をかけて傷を治し、そうしてやっと出来たかさぶたがずっと心の奥底にくっついたままだった。ようやく、そのかさぶたは剥がれおちた。幼いころ転んだ膝小僧の傷跡がいまでも残っているように、かさぶたが剥がれたあとも、心の奥底に傷跡だけは残るだろう。

でも、それでいいのだ。それこそが、いいのだ。ああやって膿を出し苦しみ続けていた日々はどうしても私に必要だったのであり、だから私はいまの私でいられる。その傷跡を大事になでてやりながら、生きていきたいなと思います。

***

 ぼくがここに  まどみちお

ぼくが ここにいるとき
ほかの どんなものも
ぼくに かさなって
ここに いることは できない

もしも ゾウが ここに いるならば
そのゾウだけ
マメが いるならば
その一つぶの マメだけ
しか ここに いることは できない

ああ このちきゅうの うえでは
こんなに だいじに
まもられているのだ
どんなものが どんなところに
いるときにも

その「いること」こそが
なににも まして
すばらしいこと として

『ぼくがここに』 まどみちお 童話屋 より

***

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コメント

どんぐりさん、こんばんは^^

当時の自分と今の自分があまりにも違っていて、そのきっかけがなんだったのか心底不思議に思うこと、私も本当によくあります。たった一つのきっかけというわけではなくて、全てのことに影響を受けて少しずつ変わっていったのかな。そう思うと、ますます感謝の気持ちがわき出てきます。そして、他人から見ると意外と変わってなかったらしいというのもまた不思議だったり(笑)。いい変化、これからも続けていけたらいいですね。

お誕生日おめでとうございます♪ これからの一年が素敵なものになりますように。

投稿: くまぼぼ | 2011年1月23日 (日) 23時30分

改めて、誕生日おめでとう!

この日記を読んで涙が出そうになりました。昔の私とおんなじ!!
自分のことが大嫌いで自信のかけらもなく、外を歩くときはいつも背中を丸めて、みんな自分のことを見て笑ってるんじゃないかと、そんなことばかり考えてた。(なんて自意識過剰!)

果たして私はいつ変わったんだろう。なんて思うのに、昔の同期生に会うと『変わってないね!』の一言。
くまぼぼさんがおっしゃる通り、不思議です(笑)

どんぐりさんにとって実り多い一年になりますように(^人^)

投稿: ミクリ | 2011年1月24日 (月) 19時59分

くまぼぼさん、

あたたかいコメントをありがとうございます。とっても嬉しいです!

くまぼぼさんのコメントを拝見して、そうか、きっとそうなのだ、と思いました。一気に劇的な変化をしたわけではなく、「全てのことに影響を受けながら、少しずつ変わっていった」! それまでひっそり隠れていた自分をこんなにも引き出し変えてくれたのは、周りのひとやものたちだったのだ、と。私も、私をとりまく全てに感謝の気持ちを持ちたいと思いました。

まだまだ潜んでいるかもしれないいろいろな自分に出会えるのを楽しみに、これからもいい変化をしていけたらと思います。素敵なお祝い、ありがとうございました!

投稿: どんぐり | 2011年1月24日 (月) 21時22分

ミクリさん、

お祝いありがとう!! とても嬉しいです。
私も、笑っちゃうくらいの自意識過剰だったよ。(まあ、いまでも自意識過剰なのだけどね!)
あれは、ずぶずぶはまってしまうと本当に恐ろしいよね。でもあれだけ自分をずたずたに切り刻んであげたからこそ、いつの間にか新しいかたちで生まれ変わることができたのかも。

そうそう、周りからは、変わってないよねって言われる! 不思議なことに。
変わらないところも、変わったところも大切にしながら、また新しい自分を作っていけたらなと思います。

投稿: どんぐり | 2011年1月24日 (月) 21時43分

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