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2011年3月

2011年3月30日 (水)

会えてよかった

「会えてよかった」

職場での昼休み。ロッカールームに入った私をひとめ見るなり、にっこりほほ笑みながら彼女が言った。彼女というのは、私が勤める健康診断の施設で身長体重の計測を担当してくださっている、以前、記事にしたこともある私の大好きな人だ。

健康診断はたいてい、年度で区切る方法で行われる。私の勤める施設では、きのうが22年度最後の健診日だった。年度変わりの関係で、きょうから4月初旬までの数日間、健診はお休み。計測担当の彼女もお休みする。一方健診予約係の私は、企業さまからの1年分の予約受付が集中する1年で最も忙しい時期に突入するから、お休みはしない。

だから彼女とは少しのあいだお別れになる。毎朝あいさつするときに、にっこりと素敵な笑顔を見せてくれる彼女に会えなくなるのはちょっぴり(かなりかな)さみしい。

でもきのう、本当にタイミングよく帰り際の彼女に会えて、最後に言葉を交わすことができた。いつもは廊下で2回くらいすれ違うだけなのに、きのうは奇跡的に会えたのだ。

「ほんとう、会えてよかった」

私も同じ言葉を返した。

以前も書いたけど、彼女とは笑顔の交わし合いで結びついている感じだ。年齢とか結婚しているのかどうかとか、お互いに知らない。知らなくてもいい。携帯電話の番号とかメールアドレスも知らない。知らなくてもいい。彼女とのやり取りは、毎朝の笑顔と、ときどきお互いのロッカーにこっそり貼りつけるお手紙なのだ。

最初にお手紙をくれたのは、彼女だった。私の出身が岐阜県であることを知り、「岐阜の娘なのね。よく来たねえ。いつも笑顔をありがとうね」と書いてくれた。それ以来、頻繁ではないけれどお互いにそうやって心を送りあうようになった。彼女がくれる言葉は、彼女のその笑顔のように、いつもとても優しく、私の心を温めてくれるものばかりだった。

「お休みだから、支援物資の仕分けに行ってくるよ。」そう言ってから、彼女はまたとびきりの笑顔を見せてくれた。私もとびきりの笑顔を返してみせた。

「会えてよかった」

いい言葉だなぁと思う。きのうからずっと心のなかで響き続けている。彼女が出勤しない数日間も、彼女は心のなかにいてくれる。あらためて、彼女の心からの笑顔と言葉がどれだけ私を救ってくれているのかがわかった。ありがとう、私もあなたみたいに、人をそういう気持ちにさせられる人になりたいです。

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2011年3月29日 (火)

ある看護師さんの記録

私がよく読んでいるほかの方のブログに、ある看護師さんのブログが紹介されていました。

http://blog.goo.ne.jp/flower-wing

医療チームとして被災地に赴き看護にあたられた10日間の記録です。

すでにいろいろなところで広まっているようなので読まれた方もいらっしゃるかもしれませんが、まだ読んでいない方がいらっしゃいましたらぜひ読んでほしいと思い、紹介させていただきました。

壮絶な被災地の状況に、言葉を失ってしまいました。そこで必死に生きるひとたちの強さと優しさに心を打たれました。

ほんの一部分のカケラのようなテレビの映像を見ただけで、ほんのちょっとしたことだけで不安ばかりを口にしていた自分がとてもはずかしくなると同時に、ここにいる自分こそもっともっと心を強く持って、人に少しでも力を送れるように生きていかなければと思いました。

この看護師さんを、心から尊敬します。

伝えてくださったことに、心から感謝を申し上げます。

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2011年3月27日 (日)

心細さと人への愛しさについて

「泣いて泣き疲れた夜は 誰かに心から甘えてみたいのさ どんなに強く生きていくでも 優しさを知らずには眠れない」(レミオロメン『小さな幸せ』作詞 藤巻亮太 より)――こうやって歌にうたわれていることに、少し安心する。強いように見える人でも、心細いときには誰かに甘えてみたくなることがあるのかもしれない、ということに。

2週間前の震災。被害を受けたわけではないけれど、地震後の数日間、少し心細くなってしまうことがあった。そんなときに周りの人たちがくれた優しい言葉や励ましの言葉。不安をとりはらってくれる言葉。そのひとつひとつに、とても支えられた。こんなに不安がってる場合じゃない! 元気がわき起こってきた。みんな、ありがとう。

人って大切。当たり前だけどあらためてそう思った。自分をこうやって支えてくれる人がいること、それだけで涙ぐみたくなる。私のメソメソ負の感情も突っぱねることなく受けとめ、励ましてくれたこと、ほんとうに感謝している。

心細さの裏返しとも言えるのかもしれないけれど、この数日間で、私の心のなかの「人への愛しさ」が倍増した。こんなふうに私とつながっていてくれる友人や家族はとても大切で、私の好きな人たちばかりだ。普段から、好きな人たちには気持ちを直球で表現してしまうほうなのだけど、最近ではその愛がますますふくらんで、やや過剰になってしまっていたかもしれない。ゴメンね。

いまが大事。そういう気持ちでいっぱいになってしまうのだ。おしゃべりをしたり散歩に出かけたりおいしいものを食べたり――そういうことがたまらなく大切に思えて、それを求めたくなってしまうのだ。

***

 地球へのピクニック   谷川俊太郎

ここで一緒になわとびをしよう ここで
ここで一緒におにぎりを食べよう
ここでおまえを愛そう
おまえの眼は空の青さをうつし
おまえの背中はよもぎの緑に染まるだろう
ここで一緒に星座の名前を覚えよう

ここにいてすべての遠いものを夢見よう
ここで潮干狩をしよう
あけがたの空の海から
小さなひとでをとつて来よう
朝御飯にはそれを捨て
夜をひくにまかせよう

ここでただいまを云い続けよう
おまえがおかえりなさいをくり返す間
ここへ何度でも帰つて来よう
ここで熱いお茶を飲もう
ここで一緒に坐つてしばらくの間
涼しい風に吹かれよう

『谷川俊太郎ヴァラエティブック』 マガジンハウスより

***

ただただとなりを歩けたら。小さな春を見つけて喜び合えたら。ベンチにすわっておしゃべりできたら。あるいはだまって、空をながめ続けられたら――。これまでとまったく変わらないなんでもないような時間を、一緒に積み上げていきたいな。そういうものを大切にしたいなと、心から思う。

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東京外国語大学、多言語・多文化教育研究センターからのお知らせを貼り付けさせていただきます。

今回の地震で被災された外国人のかたで、情報がなくてお困りのかたなどいらっしゃいましたら、こちらから探すことができます。ライフライン、原発についてなど多言語に翻訳されています。

■東日本大震災に関する被災者向け情報<多言語版>をウェブサイトで提供しています
http://www.tufs.ac.jp/blog/ts/g/cemmer/

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2011年3月22日 (火)

笑顔を求めて!

今日は久しぶりに、いつもどおりの一日を過ごすことができた、と思う。

地震が起こってからこれまでは、心のほとんどの部分が地震のことで占められていて、気持ちが沈みがちになったり、なかなか物事に前向きに取り組めなかったりした。「いつもどおり」に過ごすことができていなかった。

私は、健康診断の施設で、電話での予約受付、問い合わせ対応の業務をしている。地震直後の数日間は電話もほとんど鳴らず、予約していた受診者さんも来られない方が多く、とても静かな日々だった。

ところが連休明けの今日、息を吹き返したかのようにジャンジャン電話が鳴った。予約のFAXが大量に届いた。いつもワンコールでとりたい電話だが、久しぶりに今日は追いつかなかった。

意識的に、いつもよりももっと元気いっぱいの声で電話に出る。「こういう状況ですから、キャンセルを…」という電話も多かったが、「新年度の予約、80名くらいお願いします!」などという春からの予約の電話もたくさん来た。嬉しい!  

会社の健康診断担当者の方は、20代の若い元気な男女をはじめ、とても気さくなおじちゃんや優しいお母さん(イメージ)、まれに代表取締役の方までさまざまなのだけれど、そういう方々と話をして健康診断の計画を立てているうちに、どんどん元気が出てきた。そしていつの間にか、すっかり普段のペースを取り戻していた。自然な笑顔を作れるようになっていた。いつものように、ちょっときついことを言ってしまって反省する自分も出てきた。元気になった証拠だ。

これまで自分を元気に保つことができなかった分、これからはもっともっと元気に過ごしたいと思う。泣いた分だけ、笑ってみよう。いや、泣いた分だけじゃ足りない。泣いた分以上、泣いた分の数十倍笑うんだ。
それから、もともと自分は孤独に強いと思っていたけど、この数日間でそうでもないことにも気づいた。すごく心細くなったり、どうしようもなく人恋しくなったり。でも、こういう気持ちを持てるということはたぶん、私にとって大切なひとが増えたからだと思う。そういう周りのひとたちに感謝したい。

*

地震 笑顔になる話 

地震 笑顔でいること

このブログの、最近の検索ワードのなかにあったもの。どこかの誰かがこの言葉を入力して、このブログにたどり着いてくれたわけだ(結果、たどり着いていたのはこの記事。笑顔になるような話ではなくて申し訳ないのですが)。

この言葉を入力したのは、被災地の方なのか、被災地の方に笑顔を送りたいと思った方なのか、私のように、なかなか笑顔になれずどうにかしたいと思った方なのかわからないけれど、笑顔を求めていることだけは間違いない。

ものすごく大変な状況なのに、それでも笑おうとする被災地の人たちの姿に心を打たれる。被災地の人を応援しよう、元気にしようと力強い笑顔をつくる人たちの姿に感動する。

私も、もっともっと笑顔いっぱいに、元気よく歩いていかなければ!

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2011年3月20日 (日)

春の訪れと不安について

うぐいすが鳴き始めた。

きのう、ぽかぽか陽気のなかを歩いていたら 「ホーホケキョ」 と聞こえてきた。この子、上手だな~とじっと耳をすましていたら、今度は私の鼻が沈丁花の香りをとらえた。この一週間なかなか気分が晴れなくて、そういえば春を感じることさえ忘れていた。無意識のうちに「ほら、春ですよ」と教えてくれた鳥や花たちにはっとする。

うぐいすは、「春告鳥(はるつげどり)」とも言われる。「ホーホケキョ」弾むように軽やかなその声はきっと、花が咲いたよ、春が来るよといううぐいすたちのおしゃべりなのだろう。

そして、あしたは春分の日。うららかな春の陽射しとともに鳥や花などの生き物たちが動きだし、わたしたちの心を少しずつあたためてくれるにちがいない。

*

今日はちょうど地震から10日目。地震が起こってからこれまで、余震がこわかったりいろいろな不安があったりと、心の大半が地震のことで占められていた。それでも、「笑顔で、元気に!」 という気持ちは忘れないようにした。

でも、不安というものは、なくそうとしてもなくせるものではない。だから不安には、向き合っていくしかないのだ。大事なのは、その不安が引き起こす行動に気をつける必要がある、ということだと思う。

先週木曜日、「大規模停電の恐れがある」という発表があり、帰りの電車が大混雑した。私は午後5:00ころ上司からそれを聞き、即座に帰宅できることになった。駅に着けば既に人でいっぱい。自動改札も階段もホームも、みなわれ先にと足を速めている。乗り換えの駅でも、みんな電車を降りた途端、次の電車へと走る。大混雑のなかだからとても危険だ。

みんな不安なのだ。自分は帰れなくなってしまうのではないか、少しでも早く電車に乗らなければ、という焦りでいっぱいなのだ。

「大規模停電」という言葉の恐ろしい響き。そして11日の地震当日に歩いて帰った人ならその大変さが重なって、不安がますますふくれあがっていくのだろう。

でも・・・と、思う。私はわざと、ホームをゆっくりゆっくり歩いてみる。2,3本あとに出発するホームを選んで並んでみる。パニックになって二次的な事故を招いたなんて、そんなことにはなってほしくない。帰れなかったらまた、何時間かかってでも歩いて帰ればいい。自分には、帰る家がある。食事をとることができあたたかい布団が用意された家がある。それだけでものすごく満たされているのだから。たとえ電力がなくなっても、自分には2本の足があるのだ。

*

もう一つ。いま、スーパーでは品物が不足している。こういう光景を見ると、買い物客は不安になる。そして余計に、わずかに売られている品物を買っておきたい気持ちに駆られるのだろう。買い占めも、いまとても問題になっている。

でも・・・と思う。品物不足の大きな理由のひとつは、品物を運ぶトラックの燃料不足であるから、それが解消して流通がうまくいくようになれば、必ず品物は戻ってくる。いまこの時だけ我慢すれば済むことなのだ。大丈夫。焦って買う必要なんてない。購入できない品物はあるものの、きちんと食卓を埋められる食料品、支障なく生活できる日用品は、こんなに揃っているではないか。必要な分だけあればいいのだ。

毛布もなくストーブも燃料もなく寒さに凍えながら、食事もできない被災地のかたのことを思えば、わずかにある品物を買い占めようなんて思いは出てこないはず。ひとつでも多くの品物を、燃料を必要としているのは何よりも被災者の方々なのだから。

*

どうしても不安になってしまうのは、しかたがない。でも、その不安に突き動かされるままにすぐさま行動をとってはいけない。不安の恐ろしいところは、不安そのものではなく、不安が引き金となって起こるこのような行動なのだと思う。
まずはゆっくり深呼吸。あふれる情報のなかからどれが真の情報なのかを見極め、自分がすべきことは何なのか、しっかり考えてから動きたい、と思う。

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東京外国語大学、多言語・多文化教育研究センターからのお知らせを貼り付けさせていただきます。

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2011年3月14日 (月)

笑顔で、元気に!

テレビに映される被災者の方々の様子を見ていると、本当に心が痛む。その方々の抱えている想像を絶するほどの苦しみ。どうか一人でも多くの方が無事であってほしい、一日も早く、安心した生活が送れるようになってほしい――そう強く願う一方、その光景に目を覆いたくなったり、ひとりでに涙がこぼれてきたりもしてしまう。回数は少なくなってきたけれど、いまも余震が続いている。余震がくるたびにこわくなって私はまた不安になる。

地震が起こってからの私の心は、こわいとか不安とか大変とか、そういう負の感情ばかりで占められていたような気がする。心細くなって友人にもそんな言葉ばかりこぼしてしまっていた。そうしたら、「こわいけど、なんとか頑張ろうね!」「みんな頑張ってるから、きっと大丈夫だよ!」などのあたたかい返事をくれた。

はっとした。被害を受けたわけでもないのに、こんなにメソメソしていてどうするんだ。テレビに映る被災者の方々の様子や言葉にどうしても胸が痛くなるのは避けられないけれど、被災していない私がこんなに暗い気持ちでいてはいけない。被災地の方々は、とてもつらい思いを抱えながら、歯をくいしばって必死で頑張っているのだ。復旧作業や支援活動に携わる方々は、一日でも早くという思いで、危険を伴いながらも必死で頑張っているのだ。

いま私ができることをしたい。そのできることの一つ、いますぐにできることの一つが、元気に過ごす、ということだと思った。元気でいること、笑顔でいること。ひとりひとりの元気が集まれば、絶対に大きな力となって被災地の方々に届くと思う。

テレビのニュースを見るのはつらいけれど、それでも、笑顔で、元気に過ごしていこう、と思う。明日も元気に頑張ろう、と思う。

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2011年3月13日 (日)

地震(3)

集団にまぎれることができたので、精神的には楽になった。どちらへ向かったらいいのかわからずにひとりで歩くのは本当に心細かった。しかし今度は、足の痛みがどんどん増してきた。太もものつけ根、太もも、ふくらはぎが痛くて仕方がない。途中、ベンチや少しの段差に腰かけて足をさすっている人もたくさんいる。みんな本当につらいのだ。それでも、少しでも早く家に着きたくて、足を止めることができない。

時刻は午前0時をまわった。なんとか東京を出てM市には入っていたけど、私の住むところまではまだ15キロくらいある。もう足を動かしたくないくらい痛い。でも歩かなくては。周りの人たちの流れによって、なんとか歩いているといった感じだった。痛い、痛い、もう歩くのをやめたい。

と、そのとき。「休憩所を設けております! トイレや休憩、ご利用ください!」という大きな声が耳に入った。M市の公共の体育館を開放しているらしい。早く帰りたいし、と迷ったが、足の痛みと相談して少し休憩させてもらうことにした。

職員さんがものすごくあたたかく迎えてくれて、「おなかすいていないですか?」とわかめごはんを手渡してくれた。ほかほかだった。また、涙が出そうになる。しばらくすわって休憩し、再出発することにした。出口で職員さんにお礼を言うと、「どちらまで行かれるんですか」と尋ねられたので行き先を告げる。すると、「まだまだ遠いじゃないですか。朝までお休みになったほうがいいですよ、さあどうぞ」 と言ってくださった。朝までここで眠ることに決めた。

毛布がいただけた。体育館の床に、大勢の人が眠っている。余震が繰り返し起こっていたこともありほとんど眠れなかったけれど、毛布にくるまって横になれたことがとてもとてもありがたかった。

朝5:30。再出発。足の痛みはひいていなかったけれど、休んだら元気が出た。あと2時間も歩けば着くだろうか。職員さんがやさしく見送ってくださった。人のやさしさにふれて、本当に心がふるえた。

朝陽がまぶしい。もう、昨日のような暗闇ではない。大丈夫、歩ける。人の集団はもう見当たらなかったけれど、ぽつりぽつりと歩いている人がいる。足をひきずるようにしている。みんな、つらいのだ。

足の痛みと闘いながら、午前8時15分ころ、ようやく家にたどり着いた。よかった。本当に。本当に、私はこうして無事であったことに感謝して、頑張っていかなくてはと強く思う。余震もこわい。ひとりでいるときに、夜に起こったら・・・いろいろ考えてしまうと心細く不安になる。でもこんな気持ちじゃいけない。被災地の方々が抱えているものすごいつらさや不安や不自由な生活を思ったら、自分はこんなふうに思っていてはいけない、と思う。本当に、一日も早く復興し、安心した生活が送れますように、お祈りします。

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地震(2)

午後6時に会社を出た。大通りに出ると、歩いて帰る大勢の人で歩道が混雑していた。私もその流れにまぎれる。順に通過していく駅は、ものすごい人であふれていた。JR線は完全な運休が決まり、シャッターが下ろされていた。タクシーや公衆電話にはとても長い行列ができている。

私も、姉に電話をしたかった。ホテルに泊まってねという母への伝言はつたわったのだろうか、そして、ホテルは見つかったのだろうか。母をひとり残して私はいつものアパートへ帰るなんて、本当によかったのだろうか。母からはいまだにメールが届かない。
けれど、公衆電話の行列はあまりにも長く、もうすこし先にすることにした。

気づくと、それまで一緒だった大勢の帰宅する人たちの集団がいつの間にか散っていて、わたしはひとりになっていた。山手線からはずれたからだろう。地図を見て、行くべき方向を確認する。

しばらく歩いたところで、すいている公衆電話を見つけた。「お母さんから連絡あった?」 あまりに気が急いて、叫ぶように言ってしまう。「ホテルのロビーで寝かせてもらえることになったって」 ああ、よかった。ここまで、母が確実に夜を明かせる場所が定まらないまま、母を知らない土地にひとり残したまま、自分だけ家に帰る後ろめたさをひきずって歩いていた。それがすこし軽くなってほっとした。姉の声を聞いて、ほっとした。

と、そのとき。ポケットに入れていた携帯がブルブルふるえはじめた。15件ほどのメールが一気に入ってきた。現在の時刻は午後8時30分。午後4時ころからのメールがいまになってやっと、届いたのだ。「なんとかするからいいよ」「フジテレビ前」「わかった」母からのたくさんのメール。私の送ったどのメールへの返事なのかももうわからない。私も必死で送っていたけど、母もとにかく必死だったのだ。どうやら母へは私のメールがリアルタイムで届いていたようだ。

母のメールにまぎれて、同じ東京にいる友人からのメールや、実家のある岐阜の友人から、私の安否を確認するメールが届いていた。思わず、涙があふれた。地震がこわかったのと、いつまでかかるかわからない、道もわからないひとりの帰り道の心細さのなか、急にあたたかいものにふれて、本当に泣けてきた。

でも、こんなところで泣いているわけにはいかない。少しでもはやく家にたどりつきたい。こうやって無事に生きて歩いていられることに感謝しなくてはいけないのに、私は何をやっているのだろう。

再び歩き始めたが、線路沿いに道がない部分があり、どんどん線路から離れていった。どこへ向かっているのか。不安がどんどん大きくなる。でもとにかく進まなくては・・・歩みを止めることはできない。1時間くらいたっただろうか、ある私鉄の駅にたどりついた。そこに立っていた駅員さんに、「M市方面へはどう行けばいいですか?」 と尋ねた。親切に、丁寧に教えてくださる。この国道に出てまっすぐ進んで行けばつきますよ。ただし、相当時間はかかります、と。

20分ほど歩くと、その国道にぶつかった。そして、大勢の人たちの流れが見え、ほっとした。もう大丈夫だ。これを進んでいけば、確実に家に行ける。

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地震(1)

大地震、本当に恐ろしい。

テレビの映像に衝撃を受け、本当に心が痛む。どうかどうか、助かって、無事でいてください、と思う。避難所で、毛布も食料も不足するなか、家族の安否も確認できないまま、寒い夜を過ごす不安の大きさはどれほどのものだろう。どうか、立ち直るまで負けないで乗り切ってほしい。一日も早く、復興することを願うとともに、自分ができることを実行していこうと思う。

私は、都内で震度5の揺れというものを生まれてはじめて経験した。このことを書こうかどうしようか迷っていて、でも忘れてはならないし、忘れないうちに書いておきたいと思った。

そのとき私は都内にある職場にいた。震度5、どんどん揺れが大きくなる。思わず、近くにいた人のもとへかけよって肩につかまり身を寄せ合った。ガラスの割れる音、ものが落ちる音。いやだ、いやだ、どうかおさまって。
地盤がゆるい地域であるうえ、建物もとても古く危険なのでみんなで外に出た。何度も繰り返す余震。電線も避雷針も大きく揺れていた。

家族は、子どもは大丈夫かしら――。みんな電話で安否を確認しはじめた。

実は、ちょうどこの日、こんなときに、私の母が東京に遊びに来ていた。夜7:00に私の住むアパートの最寄り駅で待ち合わせ。母はその日の朝東京に来て、都内を巡ると話していた。
母は無事なのか。いま、どこにいるの――。必死で母の携帯にかける・・・何度かけてもダメだった。携帯電話は発信規制されているらしい。メールは送信できた。でもいくら待っても返事が来ない。

そうだ、実家に電話しよう――つながった。父が出た。ああ、とほっとした声。姉も休みで家にいた。
「お母さん、どこにいるかわかる?」 姉に聞くと、母から一度だけメールが来た、でもそれ以降はつながらない、とのこと。お台場のビルの中にいたとき地震に合ったが、外に避難して無事だという。

とにかく、ほっとした。でも電車も止まり、陸の孤島といわれるお台場にいる母と、どこで、どうやって会ったらいいのか。お台場では火災も発生している。母にとってはまったく知らない土地、知らない人に囲まれて、どれほど心細いことだろう。

再びメールを送ってみるがやはり返信がない。無事だとわかっているものの、心配でしかたがない。実家に電話をし、姉に母と私の仲介役をしてもらう。会社からお台場は歩いていこうと思えばいける距離だから、行こう、と思った。でも、会社の人からも姉からも止められた。きっとお台場への道も通れないだろうし、無理に行こうとしないほうがいい。今日はそれぞれで過ごしたほうがいい、と。
「じゃあお母さんに、今日はホテルかどこかに泊まるように言っておくね」 姉が言った。

私は、職場のある都内から、自宅のある千葉県へ歩いて帰ることに決めた。

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2011年3月 9日 (水)

しあわせプリン

プリンが好き。今日はちょっと頑張った! というときのごほうびに必ず買ってしまうもの、プリン。どうしてもくたびれてしまったとき、心をふるいたたせるために帰り道に買うのも、プリン。もともとは、お団子、草餅、桜餅、どら焼きに芋ようかん(・・・あげればきりがない)などの和菓子が大好物なのだが、そういう特別な時には、その和菓子たちを追い越して、プリンがトップに躍り出る。

くたびれていた心が、そのとろとろのプリンにやわらかくからまり、ひとくち食べるごとにほぐれていく。一日頑張ったその体と心を、「よく頑張ったね」とプリンがほめてくれているような気がして、うれしくなる。

***

 しあわせプリン

スプーンでうえのほうだけ
ちょこっとすくって
ちょこっとずつくずしていく
ふと油断したすきに
カラメルの洪水がながれ出る

まぜちゃえ

ぐちゅぐちゅかきまぜプリンも
やっぱり しあわせプリンね

(自作の詩・・・といっても、詩なんて言えるものではなく、単なるつぶやきにすぎないのですが)

***

日々の暮らしのなかで感じることができるいくつもの小さな喜び。でもそれと同時に、小さな苛立ちや焦り、不安などの感情も、どうしても出てきてしまう。

そういう喜びも、それとは逆の不安な気持ちも、どちらも私は大切にしていきたいなと思っている。

しあわせいっぱいのプリンから、ちょっぴり苦いカラメルのような不安の洪水があふれ出たとしても、ぜんぶかきまぜちゃえば、やっぱりしあわせプリン! なのだ。

というふうに、よくない感情をそんなにうまく処理できるものではないのだけど、でもプリンにはそういう力がある! と思う。今日もそんなふうに、うえのほうから少しずつ、プリンをすくってしあわせな気分にひたったのでした。今日も一日ありがとう。サンキュ! 3、9。3月9日。

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2011年3月 8日 (火)

だいじなおなかまわりの話

最近、毎日、おなかまわりを測っている。自分の、ではなく他人のものだ。

昼間私は、健康診断を行う施設に勤めている。通常の業務は、電話で予約や問い合わせを受けたり、健診キットを送付したりという事務の仕事なのだけど、人員の関係でときどきこうして検査の手伝いをする。

数年前に特定健診(メタボ健診)制度が始まり、40歳以上の人の健診では腹囲測定が義務化された。ちょうどおへその位置でぐるりとメジャーをまわして床と平行に測る。へこませたりしないでね。自然に呼吸をして、息をふぅーと吐ききったところで測るからね。ウエストとは違うので、普段はいてるズボンやスカートの数字と違ってもびっくりしないで、大丈夫。いろいろと議論もあったみたいだけど、現在のメタボ診断の基準値は、男性85cm以上、女性90cm以上とされている。

「おなかまわりを測りますね。おへそが見えるように、まくりあげていただけますか?」と言うと、バッと威勢よく上着をあげて胸まで見せてくれる人や、逆に、メジャーがやっととおるくらいの隙間だけ、ちょこっとあげてくれる人、さまざまだ。普段隠しているおなかだもんね。腹の中には人それぞれいろんなものを抱えているものなのだ。そう簡単に他人には見せられないよね。それに、なんといってもあなたとわたしは初対面だもの。申し訳ないような気持ちになりながら、失礼しますと言っておなかにメジャーを巻きつける。

次々と目の前にあらわれるおなかたちを拝見していると、それは実にいろんな表情をしているものだ、と思う。もちろん、とにかくすばやく測って次の健診へと送り出さなくてはいけないし、少しでも気を抜くとメジャーがくるりとねじれたりゆるんだりしてうまいこといかないから、じっと見つめているわけではなくほんの一瞬のことなのだけど、そのおなかたちがこちらに何かを語りかけているような気さえしてきて、ついこちらもうんうんそうか、とうなずきたくなってしまうのだ。

そんなかわいいおなかさん。だいじにだいじにしながらも、甘やかしすぎには気をつけて! メジャーさえあれば自分でも簡単に測ることができるので、毎日のヘルスチェックに取り入れてみてね(と言っている自分はちっとも実行していない)。

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2011年3月 6日 (日)

つるバラ~横たわればこそ芽は伸びる~

昨日の友人との散歩。池袋駅から目白の絵本ショップをめざしてのんびり歩く。途中に、重要文化財・自由学園明日館を通った。素敵な建物と広々とした校庭。道路に面する部分は花壇になっていて、クリスマスローズや水仙が咲いていたり、まだ咲かないつるバラも、その枝からにょきにょきと新芽を出していたり。

「こういうの、もう嬉しくってさぁ!」 ひとつひとつの新芽をゆびさしては友人がはしゃぐ。そうだよ、うん本当に嬉しいよね。「ねえ、見て見て!」 沈丁花にパンジー、コブシのつぼみ、ボケの花・・・ここに来るまでのほんの数分のあいだにも、そこかしこに春を見つけてはぴょんぴょんと飛び跳ねるようにはしゃいでいた友人。春の散歩は、いそがしいのだ。

まさにつるのように長くどこまでも伸びるそのつるバラの枝は、見れば横へ横へと伸びている(伸びるように仕掛けてある)。そして横に伸びたその枝から、赤い色をした新芽が、いくつもいくつも顔を出していた。

「バラは、枝のてっぺんから芽を出して花を咲かせるんだよ。まっすぐにしたままだと、ひとつしか花はつかない。でも、横にしておくと、枝のどの部分も自分がてっぺんだと勘違いするから、こうやっていっぱい芽を出すの。花もいっぱい咲く」
バラをこよなく愛するその友人が教えてくれた。家はバラだらけ。植物を育てる腕はプロ並みで、毎年彼女は、本当に見事なバラを咲かせてくれる。

へぇ~、なるほど、面白いね! 自分の腕にたとえると・・・手のひらは先っぽにひとつしかないけど、たとえば腕を地面と平行にしてずっと太陽にかざしていれば、手のひらを作り出そうとして腕からにょきにょきたくさんの手のひらの芽が出てくるかも! ってことだな。

花を咲かそうと、いつも上を見てばかりいる・・・わきめもふらず、必死に、必死に。でももしかしたら、ときにはこんなふうに横たわって、寝転んでみたほうがいいのかもしれない。ゆっくり太陽に当たっているうちに、いつの間にか、自分でも気づきもしなかった部分から芽が出てくるかもしれないね。見えなかったものが、見えてくるのかもしれないね。枝のなかで、出たいよ、出たいよー! と叫んでいたエネルギーが、顔を出すのかもしれないね。   

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2011年3月 4日 (金)

沈丁花の花、ひらく

帰り道。歩いていたら、冷たい空気に混じって何かがふっと香ったような気がした。思わずひきかえしてその香りのもとを確かめる。ああ、やっぱり! 期待どおり、そこにいてくれたのは沈丁花の花。白と赤紫色に染められた小さな花が集まってひっそりと咲きつつも、ここにいるよとでも言うように甘く品のよい香りを放つ沈丁花。

秋のきんもくせいと同じように、春の沈丁花も、ある日突然香り出す。昨日今日ととても寒い日だったのに、それでも頑張って咲いてくれたのだ。

ここ数日、冬の厳しさを乗り越えれば春はきっと来る、なんてことばかり書いていて、いいかげんくどいよなぁと自分でも思っているのだけど、でも春がぐんぐん近づいていることが嬉しくてついまた書いてしまう。一気に桜のつぼみが開いて風景も人の動きもにぎやかになる、それを眺めるのももちろん好きだけど、じわじわと近づく小さな春の訪れを、目で、香りで、肌で、耳で、触って確かめていくのがとびきり嬉しくてたまらない。

鼻のなかに覚えた沈丁花の香りを楽しみながら横断歩道をわたり、両側に家々が建ち並ぶ細い路地に入る。すると今度は、どこのお宅からか夕飯のいい香りがただよってきた。こっくりとした濃い味付けの・・・これは豚キャベ味噌炒めだな! おなかぺこぺこ食いしんぼうの私、こういう香りをかぎわけるのも得意なのだ。

春、春、春が待ち遠しい! ということばかり言っていると、まるで冬をわるものにしているようではないか。いやいや、そうじゃないよ。大好きな冬の青空、純白の雪。何よりも、厳しく長い寒さのなかにこそ、冬のよさがある。(ってことを言っておかなきゃあまりに冬がかわいそうではないか)

***

 もうすんだとすれば   まどみちお

もうすんだとすれば これからなのだ
あんらくなことが 苦しいのだ
暗いからこそ 明るいのだ
なんにも無いから すべてが有るのだ
見ているのは 見ていないのだ
分かっているのは 分かっていないのだ
押されているので 押しているのだ
落ちていきながら 昇っていくのだ
遅れすぎて 進んでいるのだ
一緒にいるときは ひとりぼっちなのだ
やかましいから 静かなのだ
黙っているほうが しゃぺっているのだ
笑っているだけ 泣いているのだ
ほめていたら けなしているのだ
うそつきは まあ正直者だ
おくびょう者ほど 勇ましいのだ
利口にかぎって バカなのだ
生まれてくることは 死んでいくことだ
なんでもないことが 大変なのだ

『かんがえる』 まどみちお 長新太 絵 理論社 より

***

暗いことっていいよね! なんてことを言う人はなかなかいないと思う。明るいほうがいい、そうに決まっている、と思う人が多いと思う。でもこの詩を読むと、暗いことっていいことなのかと、暗くてもいいのかと、いや、暗いからこそいいのだと思える。冬があるからこそ、春があるのだ。春には絶対に、冬が必要なのだ。

明日もまた、小さな春を見つけたいな!

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2011年3月 3日 (木)

ひなまつり、菱餅に春を思う

時々、心のなかにある美しくない部分が一気に喉元までこみあげてきて、とても苦しめられることがある。こんなこと、思ってはいけない。自分はなんてひどいやつなんだろう・・・汚い醜い自分に気づいてものすごく嫌な気持ちになる。

他人を憎むことよりも、自分を憎むことのほうが苦しいのかもしれない。だって、自分が一番かわいいから。でもこういうふうに言うと、自分を正当化しているような気もしてまたまた嫌な気持ちになる。ああ本当に、片栗粉を入れ過ぎてどろどろになった大きな塊が、胃の中で消化できずにとどまっているみたい。

一生修行しても足りない。こういう感情――極悪人の私――とひたすら向き合っていくしかないのかな。いつも心穏やかに、やわらかなスポンジのように何もかも受けとめていけたらと思っている。でも、そんなことできやしない。時にはくずをまきちらしながら暴れてしまうのだ。

***

 スイッチ   谷川俊太郎

だまってればもう?
くちがぱくぱくしてるだけだよ
こえがのどからでてくるだけだよ
ことばがぼろぼろこぼれるだけだよ
しゃべっているのはあんたじゃないよ
あんたのかおしたおにんぎょうだよ
あたまのなかでまわってるのは
そこらでうってるろくおんてーぷ
はっきしいってうるさいだけさ
なんどもきいた ただしいいけんを
あいもかわらずくりかえしている
だまってればもう?
じぶんのからだでかんじたいんだ
じぶんのこころでかんがえたいんだ
まちがえたってこわくない
あんたはわたしのまえにいるけど
なんだかてれびでみているみたい
けしちゃいたいけどすいっちがない

『谷川俊太郎詩集 いしっころ』岩崎書店 より

***

どろどろの心を持っているときはきっと、その感情がまわりの人にも伝わってしまっているに違いない。はだかの心で生きていくことは、なんて難しいことなんだろう。いろいろと着飾っているほうが楽なこともあるし、そうしたほうがその場がうまくおさまることだってある。大人社会のなかでは、そうすることのほうが正しい、そうするべきだということが暗黙のうちに決まってしまっているのかもしれない。そうすることで誰かを救えるのなら、自分を押し殺してでもそうしたほうがいい場合もたくさんある。でも、そうすればするほど、それを無視できない自分の良心がブレーキをかけては心をどこまでも苦しめる。

・・・いけない、いけない、タイトルもしっかり決めて、今日はひなまつりの話題を書くつもりだったのに! もう十分長くなってしまったけれど、じゃあここからほんの少しだけ。

*

仕事帰りに区立図書館に寄ったら、カウンターに本物のひな人形が飾ってあった。お内裏さまとおひなさま。ぽっちゃりとした丸顔に、肩の下まであるおろした髪(おふたりとも)。あまりにかわいくってすぐそばで飽きるまで眺めていたかったけれどそれでは怪しい人物になってしまうので、貸し借りに並ぶあいだ(ほんの数秒だった)目を離さずにうっとりと眺めた。昔は家でひとり、飽きるまで眺めていたもんなぁ。五人囃子がとびきり好きだった。

児童書コーナーにある子ども新聞を読んでいたら菱餅の色の意味が載っていた。(上から順に)赤は桃の花で、厄除けの意味もある。白は、穢れをとりはらう純白の雪。緑は新芽。今日はまた空気が冷たかったけど、こんな寒さとぽかぽか陽気を繰り返しながら、この不安定さを乗り越えながら、やがて強い新芽が顔を出し木々がピンク色に染められていくに違いない。

こうやって春を待つうきうきって楽しいね!

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2011年3月 2日 (水)

くちびるにあめんぼ、足もとにヒル

今日の夕方、職場を出て最寄り駅まで歩いていたとき。

私のくちびるに、突然あめんぼが貼りついてきた。
ほそ~い糸のような、でも水の上をすべるしっかりとした数本の長い足。それが私のくちびるをしっかりととらえた。

と、思った。

あまり勢いよくやるとあめんぼがつぶれて手とくちびるに跡を残しそうだから、ゆっくり、おそるおそる自分のくちびるに手をやってみる。私の手にふれたもの、それは――。

やはりあめんぼ・・・ではなく、マフラーの端の細いひらひら(フリンジ)だった。

そう、だよね。よく考えてみればわかることなのだ。ビルに囲まれた都会の夜の帰り道、ひとりの女性のくちびるに突然あめんぼが食らいつくなんて、絶対に、あり得ない。あるはずがない。でもあの感触は、確かに、確かにあめんぼだった(まだ言うか!)。

時々こんなふうに、どう考えてもあり得ないようなことを、あると信じこんでしまうことがある。

「足もとにヒル」も、その例だ。

なんということもない数年前のある日のこと。

朝、いつものように布団の中で目を覚ました。「ん? なんだろうこの感触・・・」 両足の足首のあたりになにかねっちょりとしたものが貼りついている。両足を動かしてその部分を探り、はがそうと試みるがなかなかうまくゆかない。何だろうこれは、この感触は――。

「ヒルだ!」

間違いない。これはヒルだ。山や水辺に住んでいて、ヒトの血を吸って止まらなくさせる、あの恐ろしいヒル。黒くて細長くてねばねばするその体が、私のまぶたの裏に映った。これは絶対にヒルに違いない!

と言っても私は、それまでヒルに出会ったことがなかった。どんなものなのかもよくわからない。本のなかのヒルしか知らない。小学生のころの夏の課題図書に登場し、ありありと描かれていたヒルの様子はあまりにも強烈で、小学生の私の頭のなかに強いインパクトを残していた。夏のある日、川遊びをしていた主人公とその仲間たち。いつの間にか彼らの海水パンツのなかにヒルが侵入し血を吸ったという場面だ。

ヒルってどんな生き物なのだろう。黒くてつやつやで、触った感触はねちょねちょで…。こわいと思う反面、ヒルという生き物を想像すればするほど、それはあこがれのような気持ちに変わっていった。もうずっと何年も、私はヒルに思いを馳せていた。

やっと出会えたヒル! ヒルよ、おまえはどんな姿をしているの。

すでにたっぷりと血を吸われてしまったあとだろうか・・・。
こわごわ布団をめくり上げ足もとを確認する。そして私が目にしたもの、それは――。

湿布だった。なんの変哲もない真っ白い湿布。ぐにゃりとしておかしな形になりながらも必死で足もとにへばりつく2枚の湿布。

そういえば昨晩、足に湿布を貼って床に就いたのだった。「足がだるいときは湿布を貼って寝るといいよ。足が軽くなるで」 母のすすめだった。

笑っちゃうよね、本当に。どうしてどうして、ヒルがここにいるんだい。
どうしてどうして、私はこんなにもおバカなのかしら。  

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