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2011年4月

2011年4月26日 (火)

わたげをとばす

たんぽぽが、わたげをつくりはじめた。

***

 ねがいごと   たんぽぽはるか

あいたくて

あいたくて

あいたくて

あいたくて

  ・・・

きょうも

わたげを

とばします

『のはらうたⅢ』 くどうなおこ 童話屋 より

***

あいたくて、あいたくて、遠くにいるだれかにあいたくて、わたげのようなその気持ちを春の風にのせてみる。

大変な状況にある今、このような思いを抱いているひとたちが、たくさんいるのではないだろうか、と思う。

遠くにいるだれか、自分の知らないだれかに対して、何かをしたいという気持ち。

元気で頑張っているよ、元気で頑張ろうねと、力強く伝えようとする気持ち。

まわりのひとやものに対する訴えかけるような強い願い。

強く切実な願いや、やさしくて心をあたためるような願い。人びとの思いはさまざまだけれど、どれもこれも、心の奥底に根をはる深い思いなのだと思う。

わたげは、やわらかなように見えてとても強いものなのだ。不安定な春の空気が、ときに突風を巻き起こそうとも、それに耐え、自分が想いを馳せるところへしっかりと着地する。その地中にしっかりと根を伸ばし、濃い緑の葉を広げ、いつか必ず、明るいほほ笑みのような花を咲かせるときが来る。

いま、たくさんのひとがわたげをつくりだして、飛ばしている。世界は、わたげでいっぱいなのだ。

ひとつでも多くのわたげが望んだその地にたどりつき、新しいいのちが芽生えることを願います。想いが届き、あたりを明るく照らしてしっかりと見守ってくれるような、やさしく強い花が咲きますように。

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2011年4月22日 (金)

一日ぶりの弁当箱

昨日の朝、電車に、弁当箱を置き去りにしてしまった。

毎日、2回の乗り換えをして職場に行く。1回目の乗り換えのため電車を降り次のホームへ向かう途中、ふと何かが足りないことに気づいた。

・・・あっ、荷物がひとつ少ない!

網棚に置いたまま、忘れてきてしまったのだ。財布や定期やハンカチハナカミなどが入ったメインのバッグはちゃんと肩にかかっているけど、もうひとつのサブバッグが私の手元から消えていた。

いつもは、網棚に荷物をのせることはあまりしない。でも今日は、ほんのちょっと、のつもりでのせてしまった。

電車に乗っている約1時間のあいだ、たいていは本を読んだり、音楽を聞いたり、あるいは立ったまま眠ったりして過ごすのだが、今日は翻訳の資料を読みたくて、その場合に左手に資料、右手に鉛筆となると、どうしても荷物がじゃまになってしまった、というわけだ。

ホームの途中の駅事務室というところに行く。乗車駅、発車時刻、何両目に乗ったか、ドアから入って右手か左手か。荷物の特徴と中身、などなどこと細かに話していく。「では、こちらから終点の駅に連絡をとっておきますね。お昼ころ、このお客様センターに電話をして確認してください」駅員さんはそう言って、電話番号が記載された紙を私に手渡した。ああ、見つかるといいなぁ。

ずい分時間を費やしてしまった。乗り換えホームに急ぐ。なんとか会社には間に合った。

昼休み、さっそく電話。「それらしきものが、Y駅で見つかりました。Y駅に電話してみてください」お客様センターの女性が伝えてくれた。Y駅に電話。少々ご年配かと思われる男性駅員さんが出た。「ああ、いま持ってくるから、ちょっと待ってくださいね。・・・・・・ピンク色のトートバッグね。鳥の模様で、持ち手はグレー。中身は赤いチェック柄の布で包んである、弁当箱。それからこれは、銀色かな、水筒」――ええ、ええ、それです! 間違いなく私の荷物です!

「それでは、上野駅の忘れ物センターでお預かりしておきます。明日の午前中には届きますから、取りに行ってくださいね。ただ、食品が含まれていますから、こちらで処分させていただきますが、よろしいですか?」

「ええ、お昼どきですし、よろしければぜひ召し上がってください」・・・と言いたいところだったがぐっとこらえて、素直にはい、わかりましたと返事をした。

*

そして今日。19:00までに、上野の忘れものセンターにたどりつかなくてはならない。弁当箱たちに早く会いたい。最近職場が忙しさのピークを迎えていて、まだまだ居残りしなくては仕事が片付かなかったけれど、どうにか無理やり最低限のことを済ませて18:00すぎに職場を飛び出した。

その場所はなかなか複雑な場所にあった。19:00数分前にギリギリセーフで到着。

係の方が、棚から荷物を持ってきてくださった。ああ、間違いなく、私のものです! たった1日ぶりなのにとても懐かしい気持ちにさせられた。感動の再会だ。置き去りにして本当にごめん。お弁当も、結局食べられなかったよ。白飯、キャベツやニンジンやモヤシ、ホワイトブナピーを炒めたもの、そして必ず週に1回は登場する、大好きなシャケ入りだったのに。

でも、お弁当箱はすっかり空になっていた。よかった! きっとY駅の駅員さんが、残さず平らげてくれたのだ(・・・そんなはずないか)。しっかり処分されて、弁当箱もきれいに洗っておいてくださったようだ。赤いチェックの弁当包みが、たたまれずにくちゃくちゃっと無造作にバッグに押し込まれていたのが、なんか愛らしく思えてしまった。お手間をかけさせてしまった。本当に、ありがとうございました。

それにしても、よく帰ってきてくれたものだ。おなかのすいただれかが、お弁当のおいしそうなにおいをかぎつけて、持ち去ったっておかしくないのに(だから、そんなはずないって・・・)!  

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2011年4月18日 (月)

散りゆく桜と葉桜と

あっというまに、ピンクの花のすきまから、緑の葉っぱが伸びはじめた。

葉桜は、近くで見るととてもいい。うすいピンクとやさしい黄緑。寄り添いあってやさしく揺れている。

小さな小さな、ひとさし指のつめくらいの大きさの花びらが、次から次へと地上に舞い降りてくる。

「ちりちりちりちり……」「カラカラカラカラ……」

アスファルトのうえで、かわいた桜の花びらがかすかな音をたてる。散ったあとでも、こんなに嬉しそうな声をたてながら、花びらたちが追いかけっこをしているよ。

耳をすますと、まだまだいろんな春の音が聞こえてきます。

 桜花 時は過ぎねど 見る人の
          恋の盛りと 今し散るらむ  『万葉集 詠み人知らず 巻10-1855』

散ってゆく桜の花の気持ちを詠んだ歌。散る時がきたわけではないけれど、見る人が恋しく思ってくれているうちに、散ってしまおう。愛でてくれている気持ちが衰えないうちに、今、この真っ盛りのときに散ってしまおう。

(読む人によって、感じること、解釈の仕方はさまざまだと思いますが、ひとつにこういう解釈があるようです)

咲ききったから散っていくのではなく、一番輝いているこのときに散ろうという桜。散ってゆく姿がますます愛おしく思えてしまう。前向きに、散ってゆく桜。そのあとにはすぐ緑の葉っぱがキラキラ輝く季節がやってくる。桜の散るのを、さみしいなんていう気持ちで見られなくなる。

こんなにも美しく散ってくれる桜、ありがとう。もっともっと愛でてあげたいな。

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2011年4月11日 (月)

桜のしたで

桜は、どうしてこんなに嬉しそうに咲くのだろう。

見つめれば見つめるほど、桜がうふふと笑っているように思えてくる。嬉しくて嬉しくてたまらない。春が来たね、あったかいね、隣のお花と顔を見合せながら、にぎやかにおしゃべりしている声が聞こえてきそうだ。

桜は、どうしてこんなに切なげに咲くのだろう。

見つめれば見つめるほど、なんだか切ない気持ちにさせられて、ほろりと涙がこぼれそうになる。桜たちの、どこまでも純粋な心、美しすぎる心。そういうものにふれたとき、自分の心が洗われると同時に、どこへも持っていきようのない切なさに襲われる。

桜は、どうしてこんなにやさしく咲くのだろう。

満開の桜の樹の下に立つ。桜をひとり占め。花々たちに体をすっぽりとおおわれて、とても心地よい。湯船につかることで体の疲れが癒されるように、花たちのやさしさに包まれて私の心は解きほぐされていく。大丈夫。桜たちがやさしく、やさしく見守っていてくれる。

桜は、どうしてこんなにたくましいのだろう。

いつからそこにいるのだろう。どっしりと構える幹、しっかりとした枝っぷり。そういうものに支えられているから、花たちは思う存分花を咲かせることができるのだな、と思う。やさしいだけじゃない。心の奥底にしっかりとした芯を持っているのだ、と思う。そういうのが、本当のやさしさだ。勇気づけられる。

震災から1カ月。

桜が咲くのをこんなに待ちこがれた年は、これまでにあっただろうか。

これから毎年桜が咲くたびに、この気持ちを思い出すだろう。

これから桜が散り、葉が出て、色づき、落ちて、また季節はめぐるけれど、桜がどんな姿であろうと、桜の樹を見上げるたびに、3月11日のことを思い出すだろう。思い出そう。決して忘れてはならない、その日のことを。

安心して生活できる日が一日でも早くやってきますように。

そして、ひとつでもたくさんの笑顔が生まれますように。

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2011年4月 4日 (月)

桜の道をたどりながら―翻訳そぞろ歩き 桜のICUキャンパス~深大寺編

日曜日に、「翻訳そぞろ歩き」というものに参加させてもらった。これは、仕事、学習など何らかの形で翻訳にかかわっているひとたちが集まり、ただただおしゃべりしながら一緒に街を歩くという企画である。

翻訳者になることを夢見て約4年前から学習を続けている私。一昨年の秋、実務&出版翻訳者のイワシさんによってはじめられた「翻訳そぞろ歩き」に私はこれまで数回参加させていただいたのだが、そのたびに「また参加したい!」と思わせてくれる、それはそれは素敵な企画なのだ。

今回は、千鳥歩きの会 IT翻訳者Tさんと行く桜のICUキャンパス~深大寺編。参加者12名、午後1時にJR武蔵境駅を出発した。

曇り空で空気はつめたく、4月にもかかわらず冬のような寒さだ。寒い寒いとつぶやきながら、一番の目的地であるICUキャンパスに到着した。

正門から入るとすぐにたくさんの桜の木が私たちを迎えてくれた。どっしりとした太い幹。見上げればごく薄いピンク色をした小さな桜の花がちらほらと咲いている。まだぎゅっと口をつぐんだままのつぼみたちの、その濃いピンク色もまたかわいらしい。満開でいちめんが桜色というわけではなかったけれど、でも、だからこそ、ひらいている小さな花がとても愛おしく思えた。見つけてはじっと眺めてみたり、そのひとかたまりの小さな花たちにカメラのレンズをしっかりと向けてみたり。みんな、思い思いに桜を堪能する。

春の草花たちや趣のある建物を楽しみながら広々としたキャンパスを歩いていく。と、にぎやかな声が聞こえてきた。広場で追いかけっこをする子どもたちだ。そんななんでもないような光景が、どれほど自分の心をほっとさせてくれているのかということに気づく。

キャンパスを出て、清らかな水が流れる川沿いの道や飛行場周辺を進み、閑静な住宅街を抜けて最終目的地である深大寺へと向かう。そのあいだにもたくさんの桜の木に出会った。いまの時期だから、それが桜の木であることを意識することができる。いつもは「木、一般」というようなくくりでしか見ていない私。ごめんよ桜、と思う。

ほんとうに、ほっとした気持ちにさせられるそぞろ歩きだった。満開の桜のしたでわいわい楽しむお花見のしかたもわるくないけど、満開を待つ桜並木のした、咲き始めた小さな花を愛でながらしっとりと歩く、こんなお花見のしかたが私にとってはとても心地よかった。

そしてもうひとつ、みなさまからたくさんの元気をもらった。地震にかかわる話、日々の話。いろいろな気持ちを話したり聞いたりしているうちに、元気が出てきた。そして、やっぱり楽しい翻訳話。その日、2人の翻訳者さんが、私に名刺をくださった。ひとつは、そのかたの数冊の訳書のなまえが入ったもの。もうひとつは、オリジナルデザインのきれいな写真が入ったもの。嬉しくて、ぞくぞくした。いまの私にとっては、翻訳で食べていけるようになるなんてとてつもなくスペシャルなことに思えるけれど、いつかこんなふうになれるように! と、最近すこしおとなしかった翻訳魂が再び燃え上がるのを感じた。ようし、頑張ろう!!

深大寺に到着し、最後にあたたかいお蕎麦を食べていたら、心のなかもすっかりあたたまってきたことを感じた。みなさまと歩いているなかで、今日見た桜のように私のなかで少しずつ少しずつ花がひらき、いつしか満開となって心をあたためてくれていたのだと思う。

散歩の途中でチョコレートを差し入れてくださったTさんSさんI さん、いろいろな事情で実現はできなかったけれど、特大レジャーシートとワインなどをリュックにつめて持ってきてくださった主催者イワシさん。そういうあたたかい心配りをしてくださる方々の気持ちが、とてもとても嬉しかった。

楽しいお話を交えてご案内をしてくださったTさんとFさん、いろいろお世話をしてくださった主催者イワシさん、そして一緒に歩いてくださったみなさま、とても楽しかったです。本当にありがとうございました! 

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2011年4月 1日 (金)

満開になるまえに

あちこちで、桜の花がひらきはじめた。

***

 さくら  まどみちお

さくらの つぼみが
ふくらんできた

と おもっているうちに
もう まんかいに なっている

きれいだなあ
きれいだなあ

と おもっているうちに
もう ちりつくしてしまう

まいねんの ことだけれど
また おもう

いちどでも いい
ほめてあげられたらなあ・・・と

さくらの ことばで
さくらに そのまんかいを・・・

『まどみちお詩集』 ハルキ文庫 より

***

あっというまに満開になる桜。

あっというまに散ってゆく桜。

冬が過ぎ春が近づくと、人々は桜のことを想い始める。桜の咲くのが待ち遠しくてたまらなくなる。想いを寄せ始めてからつぼみがふくらみ始めるまで、その時間はとても長いのに、花がひらき始めてから散り去り葉桜になるまでの時間はあっというまだ。

花を咲かせる春だけではなく、もちろん桜はどの季節も一生懸命生きているわけだが、「ねえ、見て見て!」 と言わんばかりに全身を美しいピンクに染め上げる春という季節が特別であることは間違いない。

だから、ほめてあげたいのだ。一番輝いているそのときのあなたを、そのときにしかない輝きを、すぐそばで受けとめたいのだ。

「きれいだなあ きれいだなあ」・・・あまりの美しさに酔い、ほめることを忘れてしまわないようにしなくてはね。「ありがとう ありがとう」 今年は、咲いてくれた花ひとつひとつに声をかけるような気持ちで桜をながめられたら、と思う。

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