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2011年7月

2011年7月30日 (土)

また歩き出す

大切な人に、ひどいことを言ってしまった。

いつも私のことを励まし応援してくれていたのに、そういう気持ちをふみにじるひどいことを言ってしまった。

ふだんとても心がやさしくて怒りの感情なんて持たないようなその人を、怒らせてしまった。私が、あまりにもひどすぎたのだ。

そして、私を叱ってくれた。ほんのひとことだけど、それは私の胸につきささった。当然だ。どんな言いわけも効かない本当のことを指摘されたのだから。

叱ることというのは、誉めるよりも励ますよりもなぐさめるよりも、もっともっと労力がいるものだと思う。お互いに、できればしたくはない。

でも、それでも、叱ってくれたのだ。気持ちのやさしいその人が、この私に。私の心を奮い立たせようとするために。一体、どれほどの思いで言ってくれたのだろう。

とても尊敬していて大切な人だったからなおさら、叱られたそのひとことに私はショックを受けた。でも、次の瞬間、すごく悔しい気持ちになった。なにくそ、と思った。もう絶対に、二度とこんなこと、言わせてはいけない。言わせるものか。

振り返ればこれまでにも、その人を思いやることができない行動をとってしまっていたように思う。

ここまで言われなきゃわからなかったなんて。

これまでの関係が取り戻せるのかどうかはわからない。私がわるい。本当に本当に、申しわけないと思った。

でも、それでも、その人は言ってくれたのだ。

 信じているから、強くなって前に進んでほしい。

 ずっと応援してるから。

と。涙が出た。その人のように強く大きくなりたいといつも思っていたけれど、またあらためて強くそう思った。

私は、しっかりと決意をした。まっさらな気持ちでスタート地点に立った。こうやって、何度でも何度でもやり直すのだ。

どうか信じていてください。

しっかりと前を見て歩いていきます。

その人がこれまで私にくれたたくさんの熱い思いと、それから、私が持っている、感謝しても感謝しつくせないほどのその人への思いを、絶対に離さずに、歩いていこうと思う。

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2011年7月24日 (日)

つぼみ

ママのてっぺんに、つぼみがつきました。

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<身長 7月24日現在>メメ・・・64cm ママ・・・77.5cm モモちゃん・・・56cm 

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2011年7月23日 (土)

人を元気にする力(前回のつづき)~どんぐりの場合~

中学時代、私はバレーボール部に所属していた。

運動があまり得意ではない私(なのに無謀にもバレー部を選んだのでした・・・)、エースで活躍するような選手ではもちろんなかった。試合では、自分たちのチームがかなり点差を広げてリードした状態で、「いまなら、どんぐりを少しだけ出させてやっても被害はないだろう」と顧問の先生が判断したときにはじめて出ることができた。

顧問の先生は、市内の大会ではどんなチームでも(もちろん、私たちの代も)必ず優勝に導く、とても技術が高くて熱意のあるお方だった。

その分、練習は厳しかった。ランニング、ダッシュ、腹筋・背筋・腕立てメニュー数セットなどをこなしたあと、コートの中を全力で動き回る練習によってビシバシ鍛えられる。いま考えると、よくあんなことやっていたなぁと思うくらい激しいものだった。いつ逃げ出してもおかしくないくらいだった。

でも、バレーは好きだった。下手くそだけど、好きだった。うまくなりたくて、とにかく練習に励んだ。朝と放課後の部活動時間だけでなく、昼休みもバレー。土曜日も、場合によっては日曜日も、先生が練習試合を組んでくだされば、部活に出る。中学校生活の中心がバレーだった、といえるくらいかもしれない。

*

前回の話に戻るけれど、なでしこJAPANは見事世界一に輝いた。最高だ。それ以上のことはない。やはり、スポーツの世界で目標とすることとは、頂点に立つことだ。優勝、金メダル――それしかない。最近の学校教育では、順位をつけるのはよくないことという考え方もあって、運動会のかけっこで順位をつけないというやり方も聞いたことがあるけれど、そうではないんじゃないかと思う。一番になるために努力することや、一番になったからこそ得られるものが必ずあると思うから。

だから私も、自分たちのチームが一番になるために必死で頑張った。といっても私はほとんど試合に出ないから、アタックを決めたりサービスエースをとったりなど、直接には点数をかせぐことはできない。非レギュラーチームの仲間と一緒に、レギュラーチームが少しでも強くなるように練習を頑張ったりベンチから応援したりすることはできるけれど、「直接」優勝に結び付かせるようなことは、どうしても、できなかったのである。

*

3年生の夏に部活を引退する時、後輩と先生からのメッセージがぎっしり書かれた色紙をもらった。私宛てに、みんなはどんなメッセージを贈ってくれたのだろう。「先輩のスパイク、かっこよかったです」「先輩のミラクルサーブには感動しました」・・・絶対に、そんなことが書いてあるはずがない。みんな、私に対して書くことが見つからず、困ったんじゃないだろうか・・・そんなことを思って、色紙に目を落とすと、そこに書いてあったこととは。

「先輩の、努力する姿を見習いたいと思います」「いつも必死で頑張る先輩の姿が印象的でした」

そして、厳しくもあたたかい、私の大好きな顧問の先生からは、

「人一倍練習熱心。常に努力を怠らない選手だった。体力に恵まれていたらきっと素晴らしい選手になっていたと思う。・・・努力する姿は美しい。努力した者こそ、成功者となれる。それはスポーツの世界に限ったことではない。どんぐりを見ていると、必ず自分の夢や目標を実現させるのだと思うよ。頑張れ!」

と(色紙がそばにあるわけではないのに、好きな文章で何度も繰り返し読んだからとてもよく覚えているのです。ほぼ、これで間違いないはず)。

びっくりした。とにかくいつも必死で頑張っていたけど、周りの人たちが、こんなふうに私を見ていてくれたなんて(まあ、チーム全員頑張っていたけど、私は下手くそだから特に頑張っているように見えたということなのかもしれませんが)。

もちろん、もっともよいのは一番になって輝くこと。それが一番、人を勇気づける。感動させる。誰をも元気にさせる。

でも、どう頑張ってもそれが出来なかった私みたいなヤツの場合でも、必死でやっていれば結果的に何か伝わるものがあったのだと・・・そんな、大発見をしたのでした。前回の記事を書いていて、なでしこJAPANのことを考えていて、スポーツをしていたころの熱い思いが、ふっとよみがえってきたのでした。

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2011年7月19日 (火)

人を元気にする力

朝の電車で、いつものようにサラリーマンが新聞を読んでいる。気づかれないように、そっと記事を見つめ、私もその新聞に目を通す。

大きく出ているのはやはり、私たちに希望を与えてくれたなでしこJAPAN世界一の記事。

本当に、すごいですよねとそのサラリーマンに思わず話しかけたくなったが、そう言わなくともきっと同じ気持ち。日本中の、世界中のたくさんの人たちが、彼女たちの姿に勇気づけられたに違いないのだ。

スポーツ選手や芸能人をはじめ表舞台に立つ方々は、競技場やテレビやコンサート会場やそのほかいろいろな場所で活動するなか、自分が輝くことで日本の人々を元気にしたいというようなことをお話されているのをよく耳にする。

私たちは、彼らまたは彼女らが、一発の勝負を見事に勝ち抜いたり華やかなステージで自らが持っているものを披露している姿を見て、喜んだり、感動したり、勇気づけられたりする。

でも私たちが見ているのは、彼らの人生のほんのわずかな一部分。それまでに、一人ひとりにはどれだけの人生の物語があったのだろう。そういうことがあるからこそ、あのような粘り強さとともに頂点を極めることができたのだろうし、人びとを感動させることができるのだ。

「日本の人たちを元気にしたい」という言葉に込められた強い思いを、私はもっともっと感じて、感謝をしていきたいなと思う。

そんなことを考えていて・・・。

たとえば、今の私には、日本中(または世界中)の人びとの目にさらされる場所で、「私はこうして日本を元気にします」と言えるような活動は、どう考えてもできない。

だからせめて、スケールがとても小さいけれど自分の身のまわりにいる人たちを少しでも元気に出来るような存在になれたらと思う。いつも周りの人たちからいただいてばかりの自分だから、今こそ私も! です。

人に何かを与えたい――これまでなかなかそういうことを考えつかなかった。私はそれほどのことができるような人ではないということは分かっているし、そういう考えを持つことで、相手は何も感じていないのに一方的に自分のほうだけが与えたような気になってしまうのではないかという恐怖感があったから。(こうやって思ってしまうのは、きっとただの臆病者なんだ・・・)。

でもやっぱり、人に何かを与える(やっぱりこの言い方は私には向かないかな・・・うーん)、どこかのだれか一人にでも、私という存在から何かを感じてもらえるような人でありたいなと思う。それが、ひとりきりではなく人と一緒に生きる意味なのかな、と思う。

私が人を元気にできることって、一体何なのだろう。

・・・おや! 気づけばもう日付が変わりそうな時間です。寝なくては。

ごちゃごちゃ書いていてよくわからなくなってきたけれど、またつづきを書けたらいいなと思います。

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2011年7月18日 (月)

元気回復大作戦 整体に行こう&しょうが焼きの巻

今日も、体調はわるくない。でも、背中から腰、肩の辺りのギシギシするような感じは相変わらずだ。

明日からまた会社通いが始まるし、ここらでびしっと、体を整えておきたいなぁ。

そうだ。整体に行こう!

7年くらい前、ちょっとしたマッサージブーム(私だけです)があった。ちょうど、人生で一番仕事に身を捧げていた時期だった。毎日のように鬼上司(でも、100回に1回くらいは誉めてくれる)に怒鳴られ、朝から晩まで頭と体をフル回転させても仕事が終わらなかった泣きそうな(実際何度も泣いてましたが)日々。

休日なのにゆっくりできないこともあったけど、ちょっとしたスキを見つけては心身の疲れを癒すことに力を注いだ。当時住んでいた岐阜市から車を走らせ、村の温泉に行ったり、いろいろなマッサージを試したりした。全身のマッサージをはじめ、背中のアロマオイルマッサージ、タイ古式マッサージ(←これが一番好き)やハーブボールなどなど、至福のひとときを過ごしていた。

ところが最近めっきりマッサージに行かなくなってしまった。あのころは身を粉にして必死で働いている気分でいたから(ほかの人と比べればずいぶん甘いけれど)、自分へのご褒美だと思ってマッサージにお金をつぎこんでいたけど、いまはそう簡単に手が出せるものでもない。

そうはいっても、今年の不調は、ちょっとしつこい。このままのガタガタ状態をひきずっているのはイヤだ! 

心は決まった。いまの私には、マッサージが必要だ。いや、その場の気持ちよさを求めるマッサージよりも、根本から体を整える整体のほうが適しているのではないだろうか。

「ここだ!」という整体院を見つけ、けさ、張り切って電話をかける。

・・・ところが、本日は祝日でお休みとのこと。残念です。
今日行きたかったけれど、一度「ここがいい」と思ったら、やっぱりそこへ行ってみたい。またの機会にしよう。

整体に行けないなら、そうだ! 自分でやればいい。

調べてみると、自分でできる整体の方法がいくつも出てきた。肩や、首や、背中のストレッチ。簡単な動作なのに、とても気持ちいい。固まっていたところが、ぐーんと伸びるのがわかる。一番気に入った方法は、「背中で合掌」するというもの。胸の前で合掌するところを、ただ背中の後ろに変えるだけ。これだけで、姿勢がキリリと伸びる。

++

元気出る出る大作戦、料理の部も引き続き。

夕食(兼あしたのお弁当)は、しょうが焼きにしました。

豚肉の、ではなくて、魚のしょうが焼き。豚肉ももちろん好きだし元気が出るけれど、家にさばがあったからね。

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緑の物体は、セロリです。葉っぱの部分もおいしい。もうすっかり「私の嫌いな食べ物」からセロリは除外されてしまいました。だれかに嫌いなものを尋ねられたら、今度はなんて答えようか・・・。

簡単な料理でも、ちょっと手の込んだ料理(めったにやらないけれど)でも、自分で作ってちゃんと盛りつけて食べると、おいしいし元気が出る。一人だとどうしても「まあ、食べれればいっか」と思って料理自体も盛りつけもだだくさになってしまいがちだから(私の場合です)、お休みの日くらいは、元気出る出る料理を頑張って作っていきたいなと思います。

ストレッチとさばのしょうが焼きで元気回復!!

あしたから、しゃきっと頑張ろう。

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2011年7月16日 (土)

元気回復大作戦 キーマカレーの巻

朝から気持ちのいいお天気! 

肩から背中、腰にかけてバキバキと音をたてそうなずんと重い痛みはまだあるものの、それでもきょうはずいぶん体が軽い。歩きたい。

窓を開け放ち、洗濯物を干し、掃除機をかけて部屋をすっきりさせてから、スーパーに食材を買いに出かけた。

元気を取り戻しつつある私の体に必要なのは、パワーがいっぱいつまった食べ物だ。

カレーを作ろう。とびきり元気の出そうなやつを。料理の本をめくりながらきのうのうちに、そう決めていた。トマトたっぷり赤い色をしていて、スパイスのきいたキーマカレー。

材料を確認する。・・・おっと!

気になる材料がふたつあった。

ひとつは、セロリ。
もうひとつは、ナツメグ。

セロリといえば、まったくといっていいほど好き嫌いのない私が、たぶん苦手とする食べ物だ。小学生のころ、給食のコンソメスープに細かく刻まれて入っているそれが、確かに苦手だった。でも食べられないほど嫌いではなく、もしかしたら大人になった今食べれば案外おいしいと思ってしまうのかもしれないけれど、敢えて手を出そうとしたことはない。だれかに「嫌いなものは何?」と聞かれた時、ほかに答えるものが見つからないけど「ない」と答えるのも癪なので「セロリ」と答えておく、というような曖昧な位置にいる食べ物(意味のわからない説明でゴメンナサイ)だ。

だから、そのレシピからセロリくんをはぶき、代わりにナスくんを入れてやろうかとも考えた。でも、このレシピを考え出したのはお料理のプロだ。もし私がナスくんに変更したことでおいしさが半減してしまったら、もったいない。
それに、このまえのそらまめくん(幼いころ苦手だったが、最近おいしく食べることができた)のように、セロリくんも大人になった私の口に合うようになっているかもしれない。試してみたい。

ナツメグは、それがナツメグであることを意識して食べたことも、使ったこともない調味料だ。30年以上生きているからきっと、何かの料理に混ぜ込まれたそれを口にしているとは思うのだけど。
塩・コショウや七味唐辛子のように、料理の苦手な私が私の思う用法・用量で毎日使っても大きな被害にはならない調味料とは異なり、なんだかハイレベルで恐れ多いお方のように思える。

以前、マーボー豆腐か何かを作る時に豆板醤やら甜麺醤やらを購入したことがあるが、使用したのはたった一度きり。冷蔵庫のすみっこでさみしそうにしていた記憶がある。だからナツメグくんが私の家に来てまた同じようなことになったら申し訳ない。ほかにナツメグくんをうまく利用できる料理はなんだろう(あ、でもカレーを何度もつくればいいのか! カレー、好きだから)。

レシピからナツメグくんをはぶこうか、ちらっとそんな考えも浮かんだが、いやいや、ナツメグくんこそきっと、キーマカレーの味の決め手となる一番大事なスパイスに違いないと思って買うことに決めた。

献立を決めて買い物をするのはとても楽しい。いつもは、納豆やりんごや大根やアボカドなど私の食卓に欠かせないものと、その日お値打ちな肉や魚を買うという方法が多いから。

セロリを手に取り、ほかの人に見つからないようにすばやくにおいをかいでみた。独特の香り・・・でも想像よりもずっとさわやか。きっと大丈夫だろう。

ナツメグくんはどこかしら・・・おや? ナツメッグ、と書いてある。ナツメグ、ナツメッグ・・・? つぶやきながら、しっかりとかごに入れる。

そうやって気合いを入れて購入したナツメッグなのに、調理のとき、入れそびれてしまいそうになったのでした(本当は、にんにくと赤唐辛子→玉ねぎと豚肉を炒め終えたところで入れるはずが、それよりもっとあと、トマト水煮を入れてぐつぐつ煮込み始めたあとに気づいて急いで入れたのでした)・・・。

でもね、ちゃんと、おいしいのが出来ましたよ!

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玉ねぎ、セロリ、にんじん、トマト、ひき肉、にんにく、赤唐辛子、枝豆入り。
ナンの代わりに、白パンと一緒に食べました。

小学生のころ、小さなかけらなのにものすごく主張してきたセロリくん。でも今日は、同じくみじん切りにされた仲間たちや、にんにくや唐辛子やカレールウ、それからなんといってもナツメッグくんなど香りの強いものたちと一緒になったせいか、ほどよい香りと歯ごたえを私に伝えてくれました。

セロリくん、ナツメッグくん、レシピ通りに準備して本当によかった。ありがとう! おいしかった。そして、体と頭が活性化されて、元気になってきた気がする。

2人分のレシピ、少なめに作ったつもりなのに、たっぷり3人分くらい出来てしまった。明日また、違う姿にして食べることにしよう。

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2011年7月14日 (木)

後悔、後悔・・・そして明日への決意と願い

ここ2週間くらい、体の動きが鈍くなっている。

特に、朝。

もともと歩くことが大好きなので、家から乗車駅までと、降車駅から会社までの合わせて30分ほどの道のりは、いつもならとても楽しいものだ。

ところが最近、そんなふうに感じられない。

5キロくらいの米が入ったリュックを背負い、手首足首にもそれぞれ500グラムずつの重りをつけているような、そんな感じ。足を前に出すのが面倒にも思えてくる。これはおかしい。散歩好きの私にとっては、一大事なのです。

会社に行きたくないわけではない。行きたくなくなるほどの、仕事への悩みを抱えているわけでもない。

きっと、突然やって来た暑い夏に、体が追いついていないのだ。

朝、今日は会社に行かないでおこうか、と思う日がある。でも、寝込んでしまうほどの具合の悪さではない。高熱があるわけでもない。胃腸をこわしているわけでもない。休まなければどうしようもないという事態ではないから、思い切って決断できずに結局、重い体をひきずるようにしながら玄関の扉を開けることになる。

なんとか会社にたどりつき、仕事を開始。ますますぐったり・・・少し後悔する。一日しっかり休めば、きりっと元気を取り戻せるかもしれなかった、と。ほんの小さな決断ができなかったなんて。小さな勇気が出せなかったなんて。

・・・などと考えていても、容赦なく仕事はめぐってくる。出勤した以上、目の前のことに対応しなければならない。

ところが不思議なことに、無理やりにでも元気を出して仕事をしていると、実際に本当に元気になってくる。体の重さはとれないものの気力がわいてきて、あぁもっと仕事したいという気持ちになってくる。今日も頑張って来てよかったと思えてくる。

そんなふうに最近では、一日の終わりに向かってみるみる元気がわいてくる。帰り道もやはり一歩一歩が少ししんどいけれど、家にたどりつけばもう安心、元気(いまも)! だからいつもとやることは変わらず、寝る時間も(少し早めるようにはしているけれど)あまり変わっていない。

そうすると、次の朝は元気になっているでしょうか?

・・・答えは×。また「ぐったり」の状態に戻っているのです。またまた後悔・・・。毎朝、後悔。

早く眠ろうとしない私がわるいのだ。

朝は元気いっぱい→夕方ぐったり→眠って元気回復、が本来の健康な体であるはず。それが、乱れてしまっている。

だから今日こそは、早く布団に入ろうと決意した。

明日は元気で目覚めることができますように。

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2011年7月12日 (火)

カリカリ梅と、カンタンカンテンクッキング

友人が、手作りの梅干しをわけてくれた。

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カリカリ梅です。一緒に漬けてある赤紫蘇も、友人が種から育てたもの。

口に入れるとキューンとすっぱい。カリカリした食感が心地よい。一粒で元気が出るよ(一粒じゃ足りず、カリカリカリカリいくつも食べてしまうんだけど)!

昨年は、カリカリではない梅干しをつくって分けてくれた。ほかにも、マーマレードやいちごジャム、甘夏ピールなど、手作りのものをつくっては私にわけてくれる。どれもこれも、じわじわとした手作りのおいしさがたっぷりつまっていて最高なのだ! 

先日、その友人が私の家に立ち寄ってくれたので、少し張り切って、ちょっとしたおもてなしをしてみた。(ものすごくささやかだけど、私としては頑張った)。

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グレープフルーツ寒天だよ。

くりぬいて、しぼって、粉寒天をとかして固めるだけの、とてもシンプルなおやつ。

なのに、こんなに簡単なのに、型(グレープフルーツの皮の器)に流し込むまえに固まってしまうという事故が起きた(少しだけ冷ますはずが、油断して時間を置きすぎたのでした)。ひゃ~ぁ!! あわててもう一度スプーンでくずしてなんとか器に詰め込む・・・ふぅ~、よかった(・・・ちっともよくないでしょ)! なんとか、形になってくれた。

なんて話は友人には内緒にして、食べてもらった。

「これはおいしい!!」 と言えるような食べ物ではなかったのだけど、「この苦みがいいねぇ。夏は、こういうツルンとしたものがいいよ!」などと誉めながら食べてくれた友人・・・やさしいねぇ。ありがと! 

私がこのグレープフルーツ寒天に費やした時間は1時間にも満たないけれど、君はいつも、何日何日も(材料の植物まで手作りで!)かけて、とても手をかけて愛情を注いで作っているんだねぇ。これからも、楽しみにしています。

私も、カンタンカンテンクッキング、この夏頑張ってみようかな。

 

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2011年7月10日 (日)

小さな光の旅~ホタルとプラネタリウム~

土曜日に、ホタルと星(プラネタリウム)を見に出かけた。

6月の終わり、近所でホタルの観察会が開催されることを知った私。さっそく、「ホタル、どう?」 と友人を誘ってみた。すると、「ホタル! 見たことない! 見たい! 行く!!!」 と、とびきりいい反応が。とっても嬉しい! そこでせっかくはるばる来てくれるならと、もうひとつおまけ(というかどちらも主役だな) を思いついた。

それは、プラネタリウム! 七夕の時期だし、ぴったりでしょ?

柏プラネタリウムは、関東で一番、日本では二番目に小さなプラネタリウムで、柏プラネタリウムの会というボランティアスタッフによって運営されている。市立図書館の一角にある本当に小さなプラネタリウム。ずっと、行ってみたかったのだ(結局、自分が行きたかったってこと)。

15:30からの投影に行くことにした。座席数は45席で先着順だ。せっかく遠くから友人が来てくれるというのに定員オーバーになってしまったら申し訳ない。1時間以上前に整理券だけもらいに行った。よかった、確保できた!

席はほぼ満席。やはりちびっこが多い。ボランティアさんのアナウンスで投影がはじまった。徐々に暗くなり、小さなドームにも満天の星が浮かび上がる。もし空気がもっときれいになって街の明かりが全部消えたら、こんなにたくさんの星が見えるんだって!

と、そこで「星のおじさん」が登場した。今日は、月に一度だけの「星のおじさん」の日だったみたい。そんな日に当たったなんて、運がいい。

「星のおじさん」は現在83歳。17歳くらいのころ星の魅力にとりつかれて以来、ずっと星空を眺めてきたのだという。

「さ~あ、織姫さんは、どの星かな~? 指でさしてみましょう。あとでおじさんが答えを示しますから、当たった人だけ、拍手をしてくださいね~」

ゆ~ったりとした口調でおじさんが言う。やった! 私、織姫さん、当たりました。彦星さんは、間違えましたが。

そのあとも、一時間弱の投影は観客との対話で進められていった。楽しい星の解説や、それまたボランティアのおじいちゃんの手描きの絵を映し出しながらの七夕物語のお話など、とてもよかったです。アットホームでこんなにあたたかい雰囲気のプラネタリウムは初めて! 

毎月内容が変わるから、何度行っても楽しいだろう。通いたくなってしまったよ。

*

夜の部はホタル。開催場所の森へてくてく歩いて行く。なんだかざわざわとたくさんの人の話し声が近づいてきた。おお! 近所の人がちょっと立ち寄るくらいの小規模なものをイメージをしていたけれど、そうじゃなかった。大勢の人が行列を作っていた。

柏ホタルの会は、ホタルの保全・復活をめざして活動するボランティア団体である。
「ホタルの成虫から採卵し、孵化させ、飼育して放流するという、鮭の幼魚を放流するのに似た、ホタルが生き残るのに人間の力を少し貸す活動によって、現状プラスアルファを維持しようとしている」のだそうだ。

森には、ホタルを見学しやすいように遊歩道が整備されていた。行列に続いて森の中に入っていく。すると早くも、ちかちか光るいくつもの点が目に映った。

「あ、いるよ! あ、こっちにも!」

思わず興奮。暗闇のなかに浮かび上がる小さな光。灯ったり消えたり、よく見ていないとほんとうに見ているのかどうかわからなくなりそうな儚い光を、大事にそしてうっとりと眺めた。光が、暗闇のなかをすーっと動いた。飛んでいるよ!

なんだか異空間にいるような感覚だった。ほんの10分にも満たない時間だったけれど。森から出ればそこはいつもの現実の世界なのにね。

ホタルと、プラネタリウム。ボランティアの方の活動によって支えられているからこそ、楽しむことができたのでした。あたたかい気持ちにさせられたのでした。本当に、感謝します。

暗闇のなかの小さな光の旅。目をこらして小さな光を見つけることができたとき、こんなに心が揺さぶられるなんて。

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2011年7月 9日 (土)

もっと地面に近い夏

きのうの記事で、サラリーマンおふたりの会話を取り上げさせていただきましたが、つづきがあります。

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サラリーマンA 「散歩に行くのも、暑いですよねぇ」

サラリーマンB 「ええ。うちの犬、コーギー犬で地面に近いので、いつもはぁはぁ言っていますよ」

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コーギー犬、地面に近い? 一体どういうことだろう。

家に帰って調べてみたら、本当だ! コーギー犬は、足が短いワンちゃんなのね。少し油断するとおなかが地面につきそうな感じだ。

真夏の太陽が照りつけたっぷり熱を吸収した地面やジリジリ焼けたアスファルトの上を歩いたら、そりゃあ暑いだろうに。

人間は縦に長い生き物で地面についている部分も2枚の足の裏だけだけれど、地面に近い生き物たちは、この暑さ、もっともっと大変なのだろう。

例えば、ミミズくんたち。

全身が地面に近い、と言いますか、地面にべったりではありませんか。

この季節、アスファルトの上で無残な姿をさらしているミミズくんたちをよく見かける。たっぷりと水を含んで、自由自在に、嬉しそうに土のなかを動き回るミミズくんの姿はもう想像もできないほど、アスファルトの上の彼らは一滴も水気が残っていない状態でひからびているのだ。

なぜ彼らは、地獄のような熱を保っているアスファルトの上に出てこようと思ったのだろうか。
一瞬でちりぢりになってしまいそうなほど高温であることを知らないまま、「ちょっと散歩でも」なんて思いで出てきてしまったのだろうか。

土いじりをしていてミミズくんを発見すると、思わず「ぎゃあ!」と声をあげてしまいそうになるが、やはりその本来のぷりぷり、にゅるにゅるしている姿が魅力的だし、いつまでもそういう姿でいてほしい。

地面に近い生き物たちにとっては、夏という季節は私たちよりもっと過酷なのものなのだな。
梅雨も明けますます暑さが厳しくなりますが、元気に乗り切っていきたいです。

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2011年7月 8日 (金)

きのうときょうと、20年前のまぼろしと。

今日、電車の中で聞こえてきたふたり組の男性サラリーマンの会話。

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サラリーマンA 「犬、まいにち散歩してますか?」

サラリーマンB 「ええ、朝にね。まあ、10分か12,3分くらいなんですけど」

サラリーマンA 「毎日ですか!」

サラリーマンB 「はい。散歩しないと、自分の排泄物食べちゃいますからねぇ」

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きのう、便を食べる食べないに関する記事を書いた私。思わず、「え! 犬って自分の排泄物食べちゃうんですか!」なんて、ふたりの会話に割り込みたい衝動にかられた(が、なんとかおさえる)。

次の瞬間、私の頭にある記憶がよみがえってきた。幼いころ、近所の家の飼い犬「シロ」が、自らの排泄物を食べていた記憶。姉と一緒に、それを確かに目撃したのだ。大人になった今でも折にふれて「あんなことがあったよね」と、姉と確認しあうことがある(おバカな姉妹でして・・・)。

やっぱりあれは幻ではなく、本当のことだったんだ。今日、それは確実でゆるぎないものとなった。犬が排泄物を食べてしまうという行動はきっと、それほど驚くことではないのだ(だって、そのあとのサラリーマンAの反応も、ちっとも驚いた様子ではなかったから)。

きのう考えていたことと、今日のサラリーマンの会話と、そして、もう20年以上も前の記憶とが、時を越えて結びついた瞬間だった。

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2011年7月 7日 (木)

いい便を出すためには

今日は七夕。星空を楽しみにしていたけれど、残念ながらくもり空。でも、見えないけれど雲のうしろにいてくれるお星さまに向かってちゃんと願いごとを唱えました。

今日、もうひとつ楽しみにしていたことがあった。家に帰り郵便受けを見ると、ちゃんと届いてたよ! 『メディカルトリビューン』。メディカルトリビューンは、医療従事者向けの医学新聞。少しだけ庶民向けのような親しみやすい記事もあるけど、それ以外は専門用語と特有の文体で書かれた専門的な話題がほとんどで、一生懸命調べない限り私にはさっぱり理解できない内容である。

でも、医薬翻訳を勉強しているいまの私は、このようなものを読むのが面白くてしかたない(医薬翻訳をやっていなかったら、絶対に近づこうとは思わない文章だけれど)。内容がどうというよりも、読んでいる文章そのものが一気に体に吸収されていくような感じがとても気持ちいいのだ。

この私が、お医者さまなどそれはもう高度に専門知識をお持ちになり、何十年もその職に携わっている偉大な方々が読むためのものを訳すということは、考えてみればとても恐ろしいことである。どれだけ勉強しても、医薬翻訳者にはなれないのではないかと、時々途方に暮れて真剣に落ち込む。

でも、できるはずだと思いなおす。文体を学ぶことが大切だとおっしゃる先生の言葉を思い出す。とにかく多くの文章を読み自分のなかにとりこんで、書けるようになりたい――。通信講座の課題をやりながら読むと、「あ、こう書けばいいのか!」「これは、こういう訳語にすればいいわけだ!」と、文章がするすると自分のなかに入り込んでくる感じがしてとても楽しい。

*

ずっと前、谷村新司さんがテレビでこんなようなことをお話していた。

谷村さんは、ふだん音楽を聴かないのだそうだ。(えぇ?なんで!!)

理由は、ほかの人の音楽を聞くと、自分が曲をつくるときにそれが出てしまうから。

(それを、うん。っと・・・。ちょっと言いにくいけど、人が食べ物を食べて最後に出すもの、つまり「便」にたとえていました)

だから、音楽ではなくそのほかのいろんなこと・・・例えば本を読んだり映画を見たり、そういうところからいろんなことを吸収してこそ、いい便(自分の音楽)を出すことができるのだと、おっしゃっていました。

なるほど~! と思った。けれど、すごいなぁ。谷村さんの便は、ほかの人の便から作られたわけじゃないんだ。ほかの人の便じゃなく、そのほかのいろんなものをいっぱい食べて、腹のなかで消化吸収して、自ら作り出された便なのだなぁ。

翻訳について考えてみると、谷村さんの例とは少し異なるのかもしれないなと思った。私がやろうとしていることは、ずばり便そのものを食べること(あぁ、こんなこと書いてたらますますヨメに行けなくなるがね・・・。でも谷村さん論だからしかたないのです)。それでも、便を食べればそれで万事うまくいくというわけではなく、自分のなかにしっかり吸収して、今度はそれを自分のオリジナル便としていつでもスルリと出せるようにならなくてはならないのだ。

そしてもちろん、便だけではなくてそのほかいろんなものも食べたいし、食べなくては翻訳者にはなれない。あくまでも便は主食にすぎない。実務翻訳の場合は全体の食事に対する便の割合も多いのかもしれないけれど、出版翻訳の場合はそれよりもさらに、いろいろなものを食べることこそ大切なのかもしれない(欲張りですが、いつか、いつか、出版翻訳もやりたいのです)。

いい便を出すには、食物繊維も必要だし、乳酸菌飲料やプロバイオティクスヨーグルトで腸内環境を整えてやることも必要だし、適度な運動やストレスをため込まない生活ができるようにも気をつけなければならない。

いろんなジャンルの本を読む、美術展に行く、音楽を聞く、映画を見る、散歩に行く・・・また、特別なことではなくても、いろんな人と関わっていろんな話をする。そういうことを、もっともっと増やしていきたいと思う。

まずは、今日から1年間強制的に送られてくるメディカルトリビューンをしっかり食べるとともに、日々を工夫して楽しみながら、いつか自分の言葉を無理なく気持ちよく出せるようになるまで修行をしていきたいと思います。

(七夕さまの美しいストーリーがあるこの日に、便、便を連発してしまい申し訳ありませんでした。そして、翻訳修行中の身であるこのわたし、本物の翻訳者さんから見たらまた的外れのことを言っているかもしれませんが・・・そんなときはお許しくださいませ)

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2011年7月 5日 (火)

ドーナツブームに揺れ動く気持ち

わたしの姉の夢は、いつか、シフォンケーキを主役としたカフェを開くこと。

そんな姉とわたしとの最近のやりとり(メール)。

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<姉>    最近、ドーナツ屋さんがブームらしいな。本で見たんだ。
         私もドーナツ屋をやればよかった。ドーナツ研究しとくべきだったかな。

<わたし> うむ。ブームね、確かにね。焼きドーナツやらなまドーナツやら。
       行列も見かけるね。

<姉>      コーヒー&ドーナツの店。ドーナツは食事にもなるしなぁ。方向性を間違えたな。

<わたし> ドーナツやりたいならいまからやればいい。

<姉>      コーヒー&ドーナツはみんな好きだろ。あの形も平和な感じだ。
          今から研究しても遅いしどうしようかな。シフォンカフェ危機だ。

<わたし>  新しい考えが出てきたらいつでも変更したらいい。

<姉>       シフォンを15年研究してるからな。見捨てるのもおしいな。
          何がやりたいのかわからんくなった。今度はピーチシフォン作る予定なんだが。

<わたし> 作ってていちばん自分が楽しいものと思えるものにしたらどうだ。
             じゃないとつづかんだろ。

<姉>      自信があるのはシフォンだ。
         誰にも負けたくないと思って開発するからな。

<わたし> おお、じゃあそれで行こう。まちがいない。

++

焼きドーナツや生ドーナツ、召し上がったことはありますか。私は食べたことがないのですが、どんな食感でどんな味がするものなのでしょう。私はブームに乗り遅れてしまう人で(もったいない・・・)、ずっと前からとても話題になっているドーナツ店などにもいまだに行ったことがないのですが(ああ、でも大好物の大福なんかだったら飛びつくかも!)・・・。
春に上野駅構内の工事が終わって新しいお店がたくさん登場したなかにも、ドーナツ屋さんがあります。毎日、行列しています。やっぱりみんな、ドーナツが好きなのですね。

ドーナツって、見ているだけでなんだかウキウキしてきますしね! 楽しいよね、かわいいよね!

と、ドーナツの話はいくらでもふくらみそうなのですが・・・ちょっとストップして。

今回のお菓子づくりの話に限らず、ときどき姉から、「やっぱりこうすればよかった」などというややネガティブなメールが送られてきます。少しやりとりをすればおさまるのですが。

ドーナツブームを目の当たりにして揺れ動いた心も、どうやら落ち着いた様子。たぶんもともと、「シフォンケーキをやりたい」という強い気持ちが心のなかにあるから、いろいろ揺れ動くけど最後にはそこに帰りたくなるのかもしれない。
ちゃんと継続して研究していたということや、誰にも負けたくないという気持ちがあったということが意外で、私はちょっと驚かされたのでした。うん、シフォンでもなんでも、やりたいことが実現できるように全力で応援するよ~!

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2011年7月 3日 (日)

いま、小さな幸せを

数ヶ月前から何度も何度も繰り返し聴いている曲がある。音楽でも食べ物でもなんでも、一度気に入ると繰り返しそればかりなのだ。『小さな幸せ』レミオロメン。

♪ もしも大きな幸せの中で
  失くしてしまった日々の愛しい香り
  何度も何度でも過去は振り返れるけれど
  過去は一度も振り向いてくれない

  化石みたいな夢でも まだ微かに温かい訳は
  使い古された言葉 目の前の今しかないから

3月11日の震災や、そのほか日々のさまざまな出来事によって不安定になってしまう私の心に、すとんと落ちた歌。

目の前の今しかない――本当に、そう思う。そう思うようになった。
地震が起こった直後は、ただ道を歩いているだけでも、ただ何事もない日常の風景を眺めているだけでも、もしかしたら次の瞬間には、今見ているこの風景が一瞬のうちに変わってしまうのではないかという不安によく襲われた。だから、一歩一歩、地面をふみしめるように歩いてみたり、今見えるこの風景を目に焼き付けておかなきゃと思ったりした。道端に咲く小さなスミレや名前も知らない草花が、たまらなく愛しく思えた。

 小さな花のような幸せ
  色とりどりの小さな幸せを
  咲かせるために生きていきたいな

小さな小さな幸せ。いっぱい咲かせていきたいな。まわりの小さなことやもの、そして、人とつながりながら…。
家族や大切な人たちとは、離れているし、何か用事や伝えたいことがないかぎりメールや電話などもしない(たぶん、現代人として、携帯電話の画面を見る頻度がとても低いほうだと思う)。でも、連絡しなくても、絶対にいつまでもつながっていられると思える人が、ごくわずかだけどいる。自分から相手への一方通行かもしれないけど、それでも、大切だと思える人がいることがとても幸せです。

*

私にとっての小さな幸せ、大きく育っています。私の大事な子、(左から)メメ、ママ、モモちゃん

小さな種から、小さな芽が出て、ほら、こーんなに大きくなったよ!

73

<身長 7月3日現在>メメ…47cm、ママ…55cm、モモちゃん…41cm

よく伸びてるね。私も負けずに頑張ろう!! 6月は自分を甘やかし過ぎてしまったのでその分7月はいろいろ取り戻すんだ!

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