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2011年8月15日 (月)

夏の思い出、夏への思い

「夏になると必ず、小学生のころ過ごした夏を思い出すよね」

「そうして、妙に切なくなっちゃうんだ」

先日友人と、上のような会話をした。

毎朝、首にカードをぶらさげてラジオ体操に行ったこと。ずっと続く田んぼ道を歩いて通った学校のプール。そのときの麦茶の味。登校日に見た原爆の映像。盆踊りの太鼓の音。家に持ち帰った水風船がだんだんしぼんでいくのを見ていたこと。父に連れて行ってもらった隣町のプール、帰り際に、姉と私に必ず1本ずつ買ってくれるつぶ入りぶどうジュースがとても楽しみだったこと――挙げればきりがない。

冬ではなく春ではなく秋でもなく、夏なのだ。よみがえってくるのは、いまはもう宝物のようだけれど、あのとき確かに過ごしていた夏の日々のこと。

こうやって自然に思いだす夏もあるけれど、それとは逆にもうひとつ、意識的に思いだそうとする夏もある。

Okinawa

これは、学生時代、沖縄旅行をしたときに訪れた佐喜眞美術館で購入した本(『おきなわ 島のこえ ヌチドゥ タカラ(いのちこそ たから)』丸木俊 丸木位里 小峰書店)である。

当時、卒業論文でお世話になっていた小学校の先生(教育関係の研究をしていたため、小学3年生のクラスに密着していたのだ)が、沖縄に行くならぜひここに行きなさいと勧めてくださったのが、この美術館だった。

『沖縄戦の図』の前に立ったとき、描かれているのは目を背けたいようなものなのにもかかわらず、背けることも出来ず、その場から動けなくなったことを思いだす。丸木夫妻がこの絵にこめたもの、伝えようとしていること、あまりにも強い力でこちらに迫り来るそういうものたちが、私を動けなくさせたのだ。

『おきなわ 島のこえ』では、沖縄の風景などがとても美しい色合いで描かれている一方、戦争のなかにある人びとの絵や文章はとても生々しく、初めて知る恐ろしい事実もあった。折にふれては本棚から引っ張り出し眺めていると、美術館でそうなったようにやはり目を離すことが出来なくなる。

絵本の最後の「絵本にそえて」というページに、丸木俊さんのこんな文章があった。

『「ひろしまのピカ」がアメリカで出版されたとき、「とうさんのからだに、あながあいとる」という文章を「おとうさんが、けがをした」と、訳してあった。“落とした国のものには、落とされた人間の苦しみがわからない”と、言ったものでした』

一冊の本のなかの、大切な一文。丸木俊さんがこめた思いとは、どれほどのものだったのであろう。そういう思いがすっぽり消し去られたように、伝えようとしていたものが、言語が変わったことによって伝わらなくなってしまうなんて。

*

照りつける太陽のしたで思い出す輝くような夏の思い出と、忘れてはならない出来事と。

静かに考えること。そして、笑顔を作って元気に過ごすこと。8月も半ばをすぎたといっても、まだまだ長い夏、大切に過ごしていきたいと思う。

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