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2011年9月

2011年9月30日 (金)

つぼみ、はじける。

桔梗さん。

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ぷっくりふくれて色づいて、いまにもはじけそうだったつぼみが、

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ぽんぽんぽん、ぽんっ! とはじけました!

品があり美しいこの花が昔からとても好きなのだけど、桔梗をひいきにする理由はほかにもある。

それは、私の実家のある岐阜県多治見市の、市の花だから。
市章も、小学校の校章も、この桔梗の花をもとにしたデザインなのだ。
マンホールのふたをはじめいろんなものにも、桔梗の花が描かれている。
大好きな花。

**

なんだかとても気分が沈んだかと思えば、一転して、楽しくてしかたがない気持ちになる。そんなことを繰り返している。

不安やいら立ちや焦り、喜びやときめきや嬉しさ。心の底から、どうしようもなく激しい感情がつきあげてくることがある。負の感情も正の感情も、そしてそれがごちゃごちゃに絡み合ったものなど、いろいろ。あまりにも強烈で、向き合うのが苦しくなってしまうような。

そんなとき、ほかの人はそれをどうやって消化しているんだろうか、と思う。見過ごそうとすればかえってもっと苦しくなる。だから素直に向き合ってみたいと思うのだけど、でもやっぱり、向き合うほどに、なんだかもう爆発させるしかないようになるのだ、私の場合。

それでもどうにかやりくりしようとするのだけど、うまく隠せないこともある。
そういう私は、やっぱりまだまだなのだろうなぁ。だれもがいろんなものを背負って生きているのだものね。

**

桔梗がつぼみをひらくように。

心のなかの感情を、静かにぱっと、はじけさせることができたらいいのに。
凛とした姿で、美しく咲くことができたらいいのに。

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澄んだ夜空に光るちいさな青い星のように。

++

9月30日(金) 学習時間  3時間30分

TOEIC新公式問題集vol.2  リスニング  50分
PART7対策本                60分      
医薬翻訳本講座 10月提出分      70分
CNN English News                              30分

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2011年9月29日 (木)

お弁当初公開~夏から秋へ~

きのう、私の勘違いで元気をなくさせてしまった人のことを書きました。
今日、その人と顔を合わせるの、緊張するなぁ・・・と思っていたのですが。

職場へ出勤して朝一番、顔を合わせたとたん、

「公園でどんぐりちゃんが来るの待ってたのに! ちっとも来ないから先に来ちゃったよ」と、元気よくあいさつしてくれました。たまたま道で出くわしたときなどは、一緒に出勤することもあるのだけど、今日は待っててくれたなんて・・・。昨日はわるいことしちゃいましたごめんなさい、と再び私が謝ると、そんなんぜーんぜんいいよ、どんぐりちゃんはいいんだよと元気いっぱい笑ってくれた。

あぁ、よかった。

きのうのことがきっかけで仲がギスギスしてしまったらどうしようなんて心配していたんだ。好きな人に嫌われてしまうのってとてもこわかったから。

壊れてしまう仲ならもうそれはそれでしかたがない。

でもこんなふうに、たとえ私がなにかをしでかしてしまったとしても、何度かそんなことがあっても、それでもつながっていてくれる人は、ほんとに、大切にしなきゃいけないなぁと思いました。

++

元気になったところで、私のお弁当初公開(だれも見せてなんて言ってないけれど)!

秋なので、そしてさつまいもが大好きなので(この時期は常備です。切らしたことがない)、さつまいも&塩昆布ごはん。と、野菜炒め(夏の主役ゴーヤ入り。秋と夏、なんともちぐはぐな・・・季節の変わりめということで)の超簡単メニュー。

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修行中の身である私にとって、毎日の弁当は欠かせない。
いつも、こんな感じなのでした。

++

9月29日(木) 学習時間  3時間30分

TOEIC新公式問題集vol.2  リスニング  50分
1日1分レッスン!TOEIC Test       50分
TOEIC TESTリーディングの鉄則      20分
医薬翻訳本講座 復習           70分
メディカルトリビューン                          20分

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2011年9月28日 (水)

つぼみ、ふくらむ。

自分の思いこみとちょっとした勘違いからはじまったことがきっかけで、人にわるいことをしてしまった。いつも私を元気にさせてくれる大好きな人なのに・・・。
どんぐりちゃんはわるくないよと言ってくれたのだけど、あんなに元気をなくしてしゅんとしてしまったところは初めて見た。
特に思いをめぐらせずにしている自分の小さな行動が、知らず知らずのうちに人を悲しませてしまうことがある。そういうことを常に心にとめておかなくては。

落ち込みそうになるけれど、さあ、私、元気を出して。

***

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↑これは、うちにやって来た日(25日)の桔梗です。けさ見たら・・・

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ね、ほら! 

ぽくり、ぽくり、ぽくりとね、
風船みたいなつぼみがいくつも!

うちに持ち帰って来たこの子は、園芸センターの小さなおばあちゃんが選んでくれたもの。
スーパーで質がよく食べごろのアボカドを選ぶのには最近慣れてきたけれど(大好きでいつも買うから)、花の苗選びはまったく初心者の私なのです。いくつも並んでいる桔梗の苗、どの子にしたらいいのかわからない。

おばあちゃんと話がしたかったので、値段を尋ねることをきっかけにして声をかけた。すると、いろいろお話してくれました。桔梗は1年草じゃないから、根が残って次の年も楽しめるということ。水はけがよく大きめの鉢に植え替えるといいということ。ほかの店ではきっと倍以上の値段しますよということ(この子は100円でした)。

そして、「株の大きいのがいいですよ。これなんてどうかしら」と、選んでくれた。それが、私とこの子との出会い。

好きな人ができた瞬間から心が弾んで毎日が輝き出すのと同じで、この子に出会ってからのまいにち(まだ4日めだけど)は、ときめきでいっぱいなのだ。

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コスモスのつぼみもまた少し、大きくなりました。

++

9月28日(水)学習時間  4時間

TOEIC新公式問題集vol.2  リスニング  50分
1日1分レッスン!TOEIC Test       50分
TOEIC TESTリーディングの鉄則      20分
医薬翻訳基礎講座 第7月課題      90分
CNN Student News                             30分

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2011年9月27日 (火)

つぼみ色づく

コスモスさん、おはよう!

うちにやってきて2日目の朝を迎えたコスモスさん。

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つぼみのひとつが、ほのかに色づいていました(見えるかな・・・)! わくわく。

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9月27日(火) 学習時間  3時間40分

TOEIC新公式問題集vol.2  リスニング  50分
1日1分レッスン!TOEIC Test       50分
TOEIC TESTリーディングの鉄則      20分
医薬翻訳基礎講座 第7月課題      60分
メディカルトリビューン            10分
CNN Student News                             30分

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2011年9月26日 (月)

秋の空気

朝晩、冷え込むようになりました。寒くなるけど、秋の空気、好きだなぁ。

超・冷え症のわたし、きょうの帰り道、思わず手袋がほしいなんて思ってしまいました(早すぎる?)。

風邪ひきさんなどにならないように、お気をつけくださいね。

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9月26日 学習時間         3時間30分

TOEIC新公式問題集vol.2 リスニング    70分
1日1分レッスン!TOEICTest(祥伝社)   20分
TOEIC TESTリーディングの鉄則(講談社) 20分
医薬翻訳基礎講座 第7週課題       70分
CNN Student News                                30分

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2011年9月25日 (日)

川沿いのコスモス

休日には、隣の市の図書館の学習室で勉強している。

その図書館から歩いて10分くらいのところにある河原で、今日、コスモス祭りが開催されるらしいということを事前にチェックしていたので、勉強を早めに切り上げて川へ向かった。

ところが――。

先日の台風の影響で、コスモス祭りは中止になっていた。川が増水し、河原で育てられていたコスモスがダメになってしまったのだという。かわいそうに・・・。

残念だったけど、いろんな催し物は実施されていた。フリーマーケットや和太鼓や紙芝居。たくさんの家族連れでにぎわっていた。

川沿いをずっと先まで、ゆっくりゆっくり歩いて行く。

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「募金ブランコ10円」。(うまく撮れていませんが)竹でできています。

ずっと歩いていったら、コスモス畑にたどりついた。
ほんとうに・・・。一面に咲いていたであろうコスモスが全部なぎ倒されて、枯れ草色になってしまっていた。町内のひとたちや河川愛護団体の方々、フラワーボランティアさんたちが愛をこめて育てたものだったとのこと・・・。心が痛んだ。

それでも枯れ草色の風景のなかを歩いてみる。すると・・・ぽつりぽつりと、コスモス色が見えた。

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ほら、蝶が・・・

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それでも、咲いているのだね。

コスモスは、私の一番好きな花。どんなに心がささくれ立っていても、やさしい気持ちにさせてくれるから。

帰りに近所の園芸センター(といっても、スーパーのようなところではなく小さな八百屋さんのような感じのところ)になんとなく立ち寄って・・・

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コスモスさんと、

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桔梗さんを、思わず連れて帰ってきたのでした。

++

9月25日(日)学習時間   7時間30分

TOEIC新公式問題集vol.2        2時間30分
医薬翻訳基礎講座 提出課題 3時間
医薬翻訳基礎講座 復習    2時間

  

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2011年9月24日 (土)

きたあかりの粉ふきいも

今日はとってもいい天気。大物のお洗濯にぴったりの日だ。明け方少し冷えてきたから、そろそろ布団を秋冬ものへと切り替えようと思っていたところ。シーツも洗濯できて嬉しい。ほかにもどさどさお洗濯(といっても、1人分だけど)。こんな日には思う存分散歩もしたいし、天気のいい日は忙しいのだ。すっきり、気持ちいい!

*

いただきもののじゃがいもです。

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北海道直送の、「きたあかり」とのこと。ごろごろっと大きくて、いい形をしてるのだな。

2週間くらいまえにいただいたのだけど、なかなか調理できず・・・。芽が出ないうちに、おいしいうちに食べなくちゃ。
ということで、今日、調理を決行することに。

すぐさま頭に浮かんだじゃが料理は肉じゃがやカレーライスだったけど、せっかくいいいもなのだから、もっといもそのものを存分に味わえる料理はないかなぁ。きたあかり(ほこほこで甘みが強いのが特徴)のよさが出るにはどう調理するのがいいんだろう。

つくったものは、

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粉ふきいも。
ちゃんと、粉をふいてくれました。なべのなかのおいもさんが、何だかとても嬉しそうで。

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盛り付け後。

きたあかりは、別名を栗じゃがというらしい。ほんとうに黄色くてほくほくしてて甘かった。
そのままでも、いくらでも食べられそうなのですが、

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肉みそをのせました。

「粉ふきいもの肉みそのせ」というレシピを見つけたのです。みそ好きの私。これは作ってみなくては! と思いまして。にんにくとねぎのみじん切り入りです。 

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こちらはおまけで作ったもの。チーズの角切りを入れて、目の前にあったスパイス(カレー粉とナツメグ)をまぶしただけなのですが。こちらは明日食べよう。

じゃがいもはスーパーで年中売っているから旬を考えたことがなかったけれど、北海道で旬を迎えるのが秋なのですね。「粉ふきいもの肉みそのせ」が載っていた本(秋レシピ)を見て初めて知ったのでした。とりたてで、おいしいものが多く出回るんですって!

きたあかり、ほんとうにおいしかった!

++

9月24日 学習時間  7時間30分

TOEIC新公式問題集vol.2   2時間
医薬翻訳基礎講座課題    2時間30分
医薬翻訳本講座課題(9月21・28日提出分) 2時間30分
メディカルトリビューン     30分
     

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2011年9月23日 (金)

作戦開始!!

翻訳を勉強していることを人に話すと、たいていこんな言葉が返ってくる。

「じゃあ、英語ペラペラなんですね!」

「昔から英語が得意だったんですね」

えっと、その・・・。私は言葉につまる。決してそうじゃないからだ。「いや、実はそうでもないわけでして」と言うと、「じゃあ、なんで翻訳をやりたいの?」とさらに追及される。それに対して、

「書くことが好きだから」

と答えると、必ず相手の顔は?マークだらけになるのだ。どういうこと? 意味わかんない、って。

なかなかうまく説明できなくていつも困る。「英語がよくできるに違いない」ということを、きっと誉める意味で言ってくれた相手の期待を裏切ったようで申し訳ない気持ちにもなる。

(うまく伝えられないせいで、絵本作家か詩人になると思いこんで応援してくれている友人もいるし、通訳と勘違いしている人もたぶんいる。訂正できずにいるのです、ごめんね)

でも私の場合、「英語力を生かしたい→翻訳をやろう」という流れではなかったのだ。英語よりも、日本語のことを考えていた。

英語の翻訳者を志す者は、人並みはずれた英語の達人でなくてはならない。もちろんそのこともわかっていたのだけど。
英語力が低いまま、翻訳をやりたいという気持ちだけで無謀にも勉強を開始してしまった。順番間違えたかなぁと反省することもある。よくもまあ、翻訳やろうなんて言えたものだ、とはずかしくなることもある。

さらに、およそ2年前には、分野を医薬に絞ることに決めた。文系出身で医薬にはまったくの素人である私×英語でも素人であったのなら、話にならないではないか。3カ月に1回くらいの頻度で、ゴールの見えない闇のなかにうずくまっているような気分になることがある。

けれどやっぱり、ただもうがむしゃらに、突き進んでいくしかないのだ! と思う。そんな気持ちにとらわれている時間がもったいないし応援してくれている人にも失礼だ。

というわけで、昨日のブログに書いたのですが、今日から見える化作戦開始です。

見えないものを、見えるようにしてみよう、と・・・(ちょっとはずかしいのでここからは隠します)

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2011年9月22日 (木)

電車ストップと見える化

また大きな被害をもたらした台風・・・恐ろしかったです。

会社から帰宅するために外に出た途端、あの強風には本当に恐怖を感じました。

午後3時過ぎ、早めに帰りなさいという指示が出て駅へと急いだ。乗り換えのために降りた駅から先の電車は、強風のためすでにストップしてしまっていた。車内で30分ほど待ってみたけれど動く見込みがないため、別ルートで帰ることにした。別ルートの電車は、激しい暴風雨のなか頑張って走ってくれていたのだが、途中、突然、急ブレーキがかかり停車してしまった。倒れた木が線路をふさいでいるためだという。

「運転再開まで、かなりの時間がかかると思われます」

どれくらいかかるのかな・・・。強風で時折左右に揺さぶられる車内で再開を待った。窓の外には、恐ろしいほどしなり倒れるまいと必死に耐えている木々たちが見える。

30分ほど経ち、

「ただいま作業員が到着いたしました。これから撤去作業に入りますが、2,30分かかると思われます」

というアナウンスが入った。あぁ、この暴風雨の中、電車を動かすために作業をしてくださる方々がいるのだ・・・。さっき、外をほんの少し歩いただけでもとても怖かったことを思い出す。大変危険な状況の中で、雨風に思い切りさらされながらの作業・・・どうか、危険が及びませんようにと祈るばかり。

15分ほどして、撤去作業の終了とまもなく運転再開しますとの放送が入った。

あぁ、よかった。ほんとうにありがとう、作業員さん、運転手さん、車掌さん・・・!

再開を待っているときとてもありがたかったのが、状況のこまめな報告だった。

車掌さんは、繰り返し伝えてくださった。いまどうなっているのかを。作業員がこちらに向かっていること、到着したこと、作業を開始したこと、具体的にあと何分くらいかかるのかということ――そのうえ、車掌さんはなにも悪くないのに、ご迷惑おかけして申し訳ありません、と何度も何度も謝罪していた。

そういう心配りがあったから、私たちは安心して待つことができた。およそ1時間、何も言わずに、皆車内で静かに過ごした。

現在の状況や、先のことがわからない状態いうのは一番不安である。
たとえば、「運転再開の見込みは立っていません」とか「どれくらいかかるかわかりません」などという放送だったら、希望より絶望のほうが大きくなって不安にさらされたことだろう。トイレのない車内に不安になり、思わずトイレに行きたくなってしまったかもしれない。

でも、そんなことはまったくなかった。落ち着いて、手持ちの本を読んだり、時折外を眺めては頑張ってくださいと応援したり、気分をわるくする人などはいないだろうか、みんなどうやって過ごしているのだろうかと周りを眺めたりしながら時間を過ごした。

いつもの倍以上の時間がかかったし、こわい思いもしたけれど、無事に帰りつくことができたこと、ほんとうにありがたいと思いました。車掌さんのあたたかいアナウンスが嬉しかった。感謝します。

*

先のことがわからないと、不安になる。いまどんな状況かわからないと、不安になる。

どんなことだって、そう。

でも、それを嘆いて不安がっているばかりでは、ちっとも前に進めない。

それよりも、少しでも状況がよくなるように、いま自分が出来る目の前のことをひたむきにやっていけばいい。そして、少しでも動きを作り出せたそのことをそのまま見つめてやる。いまどんな状況なのか、見えるように、わかるようにしてやる。

そうすれば自ずと不安なんて消え去って、いつのまにかキラキラの希望に変わっているにちがいない。

そんなことを思って・・・。台風の話からかなり強引なのですが(いちおう、つながっている)、あしたからひとつ新しいことを初めてみようと思います。見えないものを、見えるようにしてみようかな・・・「見える化」(という言葉がふさわしいのかわからないけれど)してみようかな、と。新しいことなんていうと大げさかもしれないけれど・・・。

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2011年9月19日 (月)

スーパーおじいちゃん&おばあちゃん

夕方、名古屋に住む祖父母と電話で話をした。

昨年の敬老の日。朝のテレビ番組で見た「敬老の日に子や孫にしてもらいたいことランキング」。その一位が、「電話をかけてきてほしい」だった。その日、さっそく実行した。

今年も、やろう。

祖父母とは一緒に住んでいたわけではなく、年に1、2回合う程度だったから、久しぶりに電話をするのもとても緊張するものだ。用事がないのに好きな人に電話をかけようとするときと同じで、相手が一体どんな調子で電話にでてくれるのか、ドギマギしながらボタンを押す。でも大丈夫、今日は「敬老の日」なのだから――なんて理由をつけて気持ちを落ち着かせながら・・・。

じいちゃんが出た。元気そうな声。でも、私が「元気?」と尋ねると、「まあまあ元気」と少しはっきりしない返事。どうやら、腰が曲がってしまい痛みもあるらしい。

「でも動かなぁかんで、グランドゴルフ行ったり、畑やったりしとる。今日はまた、耕して種をまいてきた」

まいた種は、ブロッコリー、カリフラワー、白菜などで、冬にも収穫できるのだそう。少し前にまいた大根は、今日芽を出していたんですって。

「昔は、野菜も果物もようけ作っとったけどなぁ」

「そうだね! おじいちゃんの桃やいちじく、大好きだった」

「いちじくは、いまなっとるけど、鳥がつっついてまうんだわ。朝、はよ行きゃあええけど、鳥のほうが早いで。ああええかなーちって見るとよ、裏に穴があぁとるでかんわ」

じいちゃんは、今年で90になった。

90になっても、趣味で畑をやりつづけている。車も運転する。スポーツもやる。昨年遊びに行ったときも、私を車に乗っけて畑に連れて行ってくれた。

ちょうど2年程前、甲状腺に大きな病気が見つかり、じいちゃんは手術を受けた。担当のお医者さんによれば、じいちゃんほどの年齢の人が手術に耐えるのは難しいのだという。それを見事に乗り越えてあっという間に退院。驚異的な回復をみせたじいちゃん。

「たきゃあ(高い)声が出んくなってまってな」
手術後に会いに行った時、首に残る傷あとを指さしながら、カラオケ好きのじいちゃんはちょっぴりさみしそうにそう言っていた。ほんとうに、スーパーおじいちゃんだ。

「ばあちゃん(86)は元気?」と聞いてみる。

「ばあちゃん、いま、デイサービスから帰って来て、ごはん食べとる。でもいつもちょっと食べてすぐ、「じいちゃん、もう寝てもええ?」って言うんだ。で、夜中にわしの手をひっぱって、「じいちゃん、トイレ」。で、戻ってふとんかけてやるとよ、暑いっちってはねとばす。クーラーの温度調節したり、扇風機の風が直接当たらんようにしてやったりしとるわ」

じいちゃん・・・。

母や母の兄が頻繁に行くけれど、普段はこうして、小さな家でふたりきりで暮らしているじいちゃんばあちゃん。ずっと一緒にやってきたばあちゃんに対するじいちゃんの愛情と、それを受けとめてじいちゃんを心から信頼するばあちゃんの気持ちが伝わってくるようで、じーんとしてしまった。同時に、弱音なんて絶対言わなさそうなじいちゃんが、今日の会話で少しだけぽろっとこぼしたのを聞いて、じいちゃんがとても大変な思いをしていることもわかった。

ばあちゃんに電話をかわってもらった。「ばあちゃん、元気?」と私が言うと、

「ああ、どんぐりちゃんの、いい声が聞こえる。じゃあ、じいちゃんにかわるね」と、ばあちゃん。

あぁー! 待って、ばあちゃん。全然会話してないやんか。と思ったけど、元気そうなばあちゃんの声がひと言でも聞けてとても嬉しかった。

ほんの10分くらいの会話だったけど、ふたりからすごく元気をもらった。なんてったって、スーパーおじいちゃん&おばあちゃんだものね。

また会いに行くね。いつもありがとう。

どうかこれからも、元気に、長生きできますように。

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2011年9月18日 (日)

ふたつのトリエンナーレへ

雑誌「ぴあ」が7月で休刊になってしまった。とても残念だ。美術館や博物館へ行くことが好きな私。その情報収集源として随分お世話になっていたのに。

これから先、美術館情報を一体どこから入手すればいいのだろう・・・本屋の片隅で悲しみにうちひしがれ途方に暮れていると、「アート大特集」という文字が表紙に書かれたある雑誌が私の目に飛び込んできた。「OZmagazine」9月号。わぁ! これはいい。

そのなかには、開催中の展覧会情報や、全国の美術館情報がいっぱいつまっていた。

途端に、「美術館に行きたい欲」が心の底から一挙に湧き起こってきて、うずうずしてきた。

お休みの日、時間があれば何かの展覧会に行く。連休がもらえれば、宿をとって遠くの美術館まで足を運ぶ。訪問後の楽しみとして、チケットやちらしを切り貼りして内容を書き込む美術館記録帳まで作る――数年前まではそんなことをしていたのだけど、最近はいろいろとギリギリで・・・美術館通いの頻度が減ってしまっている。

あちこち、行ってみたいところがいっぱい! アート特集ページを見れば見るほどわくわくが増してゆく。どれもこれも行けるわけないし、即断即決できる状況ではないのだけど、やっぱり行きたい。だから、どうしても行きたいところに絞って行くことに決めた。

トリエンナーレに行こう。9月にひとつと、10月にもうひとつ。

トリエンナーレという言葉の意味、私は最近知ったのですが、

トリエンナーレ(伊:Triennale、英:Triennial)とは、3年に一度開かれる国際美術展覧会のことである。「トリエンナーレ」の原意はイタリア語で「3年に一度」である。英語で「Triennial」(トライエニアル/トライアニアル)と呼ばれる。(Wikipedia より)

のだそうだ。オリンピックよりも頻度は高いけど、今年を逃したらまた3年待たなきゃいけないからね。

というわけで今日は、まずひとつめ。「横浜トリエンナーレ」に行ってきたのでした。

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2011年9月17日 (土)

キセキのクスリ

今日は、こちらのがん関連セミナーへ行ってきた。

今日のテーマは、肺がん。

肺がんの治療法や薬剤について、講師の方々がわかりやすくお話してくださったあと、Q&A・トークセッションに移った。

今日の参加者のうち、半数以上は患者さんご本人またはその家族の方々である。現在治療中の患者さんから、「臨床試験には参加すべきでしょうか」という質問が出された。

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薬が開発されるまでには、長い長い年月がかかる。その薬の安全性や副作用の種類や程度、有効性や投与量・投与方法などをみるために、実際ヒトに投与する臨床試験が、長い時間をかけて実施される。

『医薬品クライシス』(佐藤健太郎/新潮新書)によれば、

「多くの場合、プロジェクトの開始からトータルで15年ほどの期間を要するのが普通だ。幼稚園児が成人するほどの歳月をかけて、候補化合物はようやく医薬というゴールへと到達する」。

また、「世に出た一つの新薬の陰には、何百、何千という失敗に終わったプロジェクトがある」のだという。

(この本を読んで、創薬がどれほど難しいことであるかを知りました)。

以前私も、もし機会があるのなら臨床試験に参加してみたいと思ったことがある。私は、20代前半ころから、ある症状に悩まされていた。それは3年ごとくらいの間隔で、現れたり隠れたりを繰り返していたのだった(いまはもう長いこと隠れていて、まったく平気なのですが)。

そのころはまだその症状に対する即効性のある薬剤が開発されておらず、予防的に調子を整える効果のある薬を処方され、服用していた。

でも残念ながらその薬は私には合わなかった。しかたなく服用をやめ、その症状とつきあっていくしかなかった。

ところが、いまから3年ほど前のこと、即効性のある薬が承認されたというニュースを耳にした。素晴らしい! これでもう、あの苦しみから解放される。希望の光! ・・・と思ったら、それは男性にしか認められなかったとのこと。うぅ・・・くやしい。

だからその時、思ったのだ。そういう機会があったら、私もそのひとりとして試験に参加したい。いつか絶対に、薬が商品化されてほしい、と。

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回想が長くなったが、先ほどの「臨床試験に参加すべきでしょうか」の質問に対して、先生はこう答えた。

「『自分のために』というのであれば、やめてください。臨床試験は『将来のため』のもの。自分の治療のためのものではありません。効果があるかどうかわかりませんし、副作用にも耐えなければならないかもしれない。それをしっかり受け入れられなければ、やめたほうがいいです」

いま飲んでいる薬が、自分にとってどれだけありがたいものなのか。今日、先生のこの言葉を聞いてあらためて、ひと粒の錠剤や小さな袋に入った粉薬に感謝せねばと思った。小学4年生の夏、肺炎にかかり40℃近くの高熱を出した時のこと。病院から帰って抗生物質を飲んだとたん、熱が下がり驚くほど体が楽になった感覚は、いまでもはっきりと覚えている。

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2011年9月13日 (火)

お月見の日のおいしい話~おだんごのかたち~

きのう、お月見だんご、召し上がりましたか?

私はもちろん食べました。

ケーキよりだんご。和菓子の中で一番好きなのがだんご。何より、おだんご大好きなのです。

昨日、仕事帰りに立ち寄ったスーパーで、まっさきにお月見だんごを探した。仲秋の名月当日ということで特別に、ちょっとしたコーナーが作ってある。

ところが、私の求めているおだんごが、見当たらない。

おかしいなぁ。
あのおだんごは、昔スタイルのものであって、もういまは流行らなくなってしまったのだろうか。
あまりにも売れないので、主力商品からはずされてしまったのであろうか。

心にモヤモヤを抱えたまま、しかたなく、そのなかでも気に入った小さめのパックをひとつ買って帰った。

今日、会社へ行き、私の求めるおだんごが見つからなかったこの大事件を皆に話した。おだんごの形、色、大きさなどを、身振り手振りを交えて細かく説明する。すると・・・、驚いたことに!

皆、そんなおだんごは知らないという。見たことがないという。

なんてこと!

私より、10や20、年上の方々だから、昔スタイルのおだんごを知っていてもよさそうなのに・・・。

どうやら、そういうわけではないらしい。

地方によって、おだんごの形が違うという話だったのだ。

私の求めるおだんごとは、ちまきの背丈をすこし縮めて(記憶では、長さ10cmくらい)、ちょっぴり太っちょにしたようなもの。ちょうど、ビックリマークの、下の点をはずしたような形。色は、白と、ピンクと、黒(黒砂糖味)。味は、花見だんごと同じ。中にあんこは入っていない。

少しだけ調べてみたら、やはり、関東と、私の出身地(岐阜県。食文化は名古屋に似ている)ではちがうらしい。関東は、コロコロの丸型。うちのほうでは、先ほど説明したような形・・・里芋型(里芋をあらわしているとは、初めて知った。実りの願いをこめてということだそう)。そういえば、母が張り切ってきぬかつぎを作っていたのも、お月見の日のことだったのかもしれない。

あの形、あの味に出会えなかったのは残念だけど、きれいな月を見て、おだんごを食べて(もちろん、自分が食べるまえにお月さまにお供えして)、心静かに秋を感じることができてよかった。

今日も、きれいな月でした。

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2011年9月12日 (月)

月の光のように~お月見の夜に思うこと~

月がめちゃくちゃきれいだった。

帰り道、空にくっきりと浮かぶ月。

空が広くひらけた場所で思わず立ち止まり、天を仰いだ。

強くやさしく光っている月。
わけへだてなく、あらゆるひとやものを照らし、見守ってくれている月。

それなのにまるで、私だけのものであるかのようにも思えてしまうから不思議だ。

月を見上げていたら、ふと、井上ひさしさんのこんな言葉が頭に浮かんだ。

  むずかしいことをやさしく

  やさしいことをふかく

文章を書くときのことについての言葉だと思うけれど、私は生きていくうえで大事にしたい言葉として胸のなかにしまってある。

月を見ていたら、心の底にずんと沈んでいた重いものやむずかしいものが、月の明るい光に包まれてふわっと軽くなったような気がした。

そのあとは、こんなふうにつづきます。

  ふかいことをおもしろく

  おもしろいことをまじめに

  まじめなことをゆかいに

  ゆかいなことをいっそうゆかいに

私には、あまりに熱くなりすぎて、まわりが見えなくなってしまうよくない癖がある。
そういう状態のときには、物事の出発点がすべて自分になる。うまくいかなければ自分自身が苦しむし、何よりも、まわりの人たちをも苦しめることになる。

物事は、どんどんどんどん、むずかしくなっていく。

そうなっていくことにすら、気づくことができなくて。

――ということに、最近ようやく気づいた私。

自分を窮屈な部屋のなかに閉じこめておくのは、おしまいにしよう。
「むずかしいことを、やさしく」――凝り固まっていた心をやわらかく解きほぐし、やさしいものに変えていこう。こねくりまわして自分でますます複雑にしてきたむずかしい気持ちだけど、変えようとすることによって、それを乗り越えようとすることによっていっそうふかくなる――ことを信じたい。

ふかいなぁ。むずかしいなぁ(あっと、また「むずかしく」してはいけないね)。

今夜見た月のような存在になりたいな、と思う。
まわりの人を心地よい気持ちにさせられる人になりたいな、と思う。

静かで、やさしくて、あたたかい光でまわりのひとを包み込めるようになりたい。遠くでそっと、見守っていたい。自分本位のやさしさではなく、相手が最も心地よい気持ちになれることはなにかをまず考えたい。

そういうことを、井上ひさしさんの言葉のように、できるようになりたい。簡単なことではないけれど(あっ、やっぱりまた「むずかしく」・・・ではなく、おもしろく、まじめに、ゆかいに、そして、いっそうゆかいにできるようにね)。

ほら。うさぎたちが、ゆかいに、ぺったんぺったんおもちをついているよ!
大丈夫。お月さまは、いつでもそばにいて見守っていてくれるのです。

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2011年9月10日 (土)

小さな部屋から大きな世界へ

先月、イタリア・ボローニャ国際絵本原画展へ行って来た。

イタリア北部の古都、ボローニャで毎年開催されている絵本原画コンクールの入選作品を展示した展覧会(今年は日本人作家19人を含む、世界20カ国・76人の絵本作家が描いた380点が展示されていた)。絵本作家になるための登竜門としても知られている。毎年の楽しみで、ここ10年間くらい(実家のある中部地方にも巡回でまわってきてくれるので)欠かさず見に行っている。

世界各国のイラストレーターさんが描く絵本原画からは、それぞれ独特の感覚のようなものが伝わって来て面白く、たくさんの刺激を受けることができる。

それから、展示されている絵とともに楽しみにしているものが、会場内で観ることができる入選者へのインタビュー映像だ。作品にこめられた思いや日々の仕事のことなとが語られ、とても興味深い。

今年見た映像のなかで、ひとつ、心に残るお話があった。

銅版画で絵本づくりをしている女性作家さんの言葉。

「私はいつも、銅版画をとても小さな部屋で製作しているんです。小さな部屋から世界につながることができたということが、とても嬉しい」

というようなことをおっしゃっていました(私が思い出して書いたもので、そのかたの言葉通りではありません)。

うわぁ。なんだか素敵だなぁ。小さな部屋から、大きな世界へ。小さな自分が生み出したものが、世界のだれかのもとに伝わっていくなんて。

*

今週半ば、新聞記事を日本語から英語にするお手伝いを少し、させていただくことができた。

それをやり終えた時、ふっと、先ほどの銅版画家さんの言葉を思い出した。

ひとつひとつの新聞記事は、A4用紙1枚にも満たない短いもの。

そして、私は、翻訳者さんが本格的に訳す前の段階の文章を作る役目。(もちろん、全部の力をふりしぼって精一杯取り組むけれど)、「私→翻訳者→チェッカー→さらに本物に仕上げる過程がある」というわけだから、「私」の段階では、花にたとえれば種まきをしたところ、のような感じなのかもしれないと思う。「種まき→茎を伸ばす→花を咲かせる」というイメージ。

でも、ちっぽけな私がしている小さなことも、ちゃんと、世界につながるひとつのステップになっているはず――訳すときには、そういう願いだってしっかりと込めた。記事を書かれた記者のかたや、取材を受け記事に登場する人たちの思いが、世界の人に伝わりますように、と。

パソコンの画面の前にちょこんと座って、カタカタと指先を動かすこの作業が世界につながるのかと思うと、とてもわくわくするし、翻訳ってなんてスケールの大きな仕事なのだろうと、ますますあこがれが増してくる(和訳だったら、世界のことを吸収して日本中に広めることができるのだ!)。でもだからこそ、それだけ責任も重いのだとも思う。

翻訳にかぎらず、どんな仕事でも、あるいは仕事以外のことでも、そうなのだと思う。

自分のしていることが、知らないだれかにつながっていく。

ふと、ミスチルの「彩り」という歌が頭に浮かんだ。

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僕のした単純作業が この世界を回り回って 

まだ出会った事もない人の笑い声を作っていく

 (Mr.children 「彩り」より)

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小さな部屋のなかで小さなパソコンの画面に向かっているわけだけど、その向こうには大きな世界が広がっている。

翻訳修行をするときは、いつもそのことを忘れない。

いつか翻訳者として、小さな部屋からさまざまなことをたくさんの人に伝えることができるようになるために。そのことを教えてくださった銅版画家さんのように、自分の夢を実現して、大きな世界につながることができるように。

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2011年9月 7日 (水)

赤いも、白いも、なんのいも?

昨日とは違って、今日の帰り道はきれいに晴れた夜空に半月。そして美しい虫の声。

圧倒的に広い空と虫の音のなかにいたら、なんだか自分がどこにつなぎとめられているのかわからなくなるような、急な不安に襲われてどうしようもないような気持ちになった。またもやずぶずぶはまりこんで、そこから帰ってこれないかと思った(あぁ、もういいかげんにしなさい! この後ろ向きどんぐりよ)。けど、どこからともなく、「どんぐり、帰って来い! 秋だよ! あんたが主役の秋がやってくるよ。そんなんでどうする!」という声が聞こえてはっと我に返った。

よかった。ちゃんと、帰って来られた!

*

というわけで、秋です。

会社の人から、おいもをいただきました。田舎の親戚から送られてきたのだそう。
Photo
赤いのと、白いの。

「白いのは、すりおろして食べるんだと思うよ。とろろみたいなやつね」

そう言われ、とろろそばを作ろうと、張り切って白いいもをすりおろしてみた。

ん? んん・・・? 

何だか様子がおかしい。しゃりしゃり~ん、というように気持ちよく芋がすべっていかない。ごじごじごじごじ・・・固くてちっともうまくいかない。おっかしいなぁ。

土日が明けるのを待ち、朝一番に彼女に尋ねる。

「あのいも、実はとろろじゃないでしょう? さつまいもみたいだったよ」

「そうそう、そうでしょ。あたしもさあ、おかしいと思ったんだよね。で、どうやって食べるのか聞いてみたら、天ぷらがいいんだってさ。で、あたしもやってみたら、それがさあ、もう激うま! どんぐりさんもやってみなよ」

ふむふむ。じゃあ私も!

Photo_2
ゴーヤと舞茸も一緒に。
赤いいもよりももっとねっとりしていて、甘くてとてもおいしかった。
(おいもとゴーヤはカラリと揚がったけれど、舞茸はちょっぴり失敗。温度が下がっていたようで、ふわふわの仕上がりに。でもま、それもいいかね)

とろろそばが食べられなくて心残りだったので、また別の日に、長いもを買ってきて作りました。

Photo_3
(卵を割るのに失敗し、流れだす黄身を、オクラとかつおぶしで大急ぎで押さえたのでした←言わなきゃいいのに)

さつまいもの天ぷらといえば、うちの母の大好物。もうずっと昔だけど、父がどっさり作って、「好きだろ、食べろ」と、母にすすめていたことを思い出す。なんてことのない日常のひとこまの、ちょっとしたひとことなのだけど、なぜだか今でも忘れられない。

だれかのために料理を作って、それを食べてもらえることって、とても嬉しいものですからね。家族や友人や好きな人へ――料理が上手ではないこの私も、張り切って作ったものでした。ありがたいことに、その昔おつきあいをしていた人の大好物は、にら玉とペペロンチーノだったので、あまり失敗せずに済んだのでした。餃子(気合いを入れて、皮から手作りする)やハンバーグなど手間のかかる高度なものは、一緒に作るのでした。

まだまだ失敗ばかりで上手ではないけれど、料理を作るのはとっても楽しい。そして、一緒に食べる人がいれば、嬉しさも倍になるはず。

秋。おいしいものをおいしく食べることが、ますます楽しくなる季節だ! いろいろ、チャレンジしてみたいなぁ。

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2011年9月 6日 (火)

雨あがりの光

夕方、突然大雨が降りだした。

会社を出ようとするその時もどしゃぶり。こんなふうでは一瞬でびしょぬれになってしまうだろう。

雨がおさまるまで待つことにした。健診センター(勤務先)のロビーで健康雑誌を読み時間をつぶす。

「どんぐりさん、大丈夫そう! いまなら行けますよ」

同じく待機していた人に声をかけられ、その人とともに駅に向かった。

さっきまでの大雨が嘘のように、もうパラパラ程度の小降りに変わっていた。そして、行く手には、重く積もった灰色の雲のあいだから空が少しずつ広がっていくのが見えた。

空は、光っていた。

やさしい光が、まぶしかった。目を覆いたくなるようなまぶしさではなくて、キラキラしていて、心の中に虹が広がっていくような、そんなまぶしさ。

真っ黒い雲に覆い尽くされどしゃぶりの雨を降らせていた空だから、それはますます美しく輝いて見える。

*

電車に乗ると、また雨が降り出した。横なぐりの大雨(電車は走っているので、余計にそう見える)。

でも、自宅の最寄り駅についたときには、おさまっていた。ほっとして、歩き始める。

と思ったら、2分も歩かないうちに雨がみるみる激しくなっていった。雨宿りする場所もなく自宅に着くまでの20分、小さな折りたたみ傘の下、身を精一杯縮めながらどしゃぶりのなかを歩く。家にたどり着いたときにはもちろん、びしょぬれ。

太陽に照らされている明るい午後に、突然の大雨。でもすぐに止む。と思ったらまた雨――最近、とても不安定な天候が続いている。

どしゃぶりのなかにいるときにはいつも、思う。

「一体いつ止むのだろう」と。

絶え間なく自分を打ち続ける大粒の雨に、なにもかもずぶぬれのぐちゃぐちゃにされながら、もう永遠に止むことがないのではないか、と思うことさえある。

でも、ひとしきり降り終え、ようやく小降りになったとき、ふと、黒い雲のすきまに光を見つける。それは、小さな小さな光。でも、とても強い光。ちゃんと、光はあるのだよ。雨は、ちゃんと止むのだよ。

でも、それでもまた

「一体いつ止むのだろう」

を、繰り返してしまうのだ。何度でも何度でも大雨を降らせては、自分で自分をずたずたにしてしまうのだ。

永遠に雨を降らなくさせることなんてできないし、雨だって、なくては困るもの。だから、何度でも雨を降らせる代わりに、そのたびに、強くなっていけたらと思います。

いつか、暗闇のなかの強くて小さな光に、自分自身がなることができるように。

そして、その小さな光を、大きな虹に変えられるように。

そんなふうになりたいと、思う。

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2011年9月 5日 (月)

しゃくとりむし~一歩ずつ、一歩ずつ~

台風が、また大きな被害をもたらした。自然は、容赦なく私たちに襲いかかる。もう、やめてほしいのに。一緒に、穏やかに生きていくことは本当に難しい。どうかもうこれ以上、よくないほうへ向かいませんように。

++

この数日間はここ関東でも風が強く、急に激しい雨が降ることもあったので、私のひまわりさんたちを部屋のなかにいれてやっておいた。

風がおさまり晴れ間も見えたきのう、ひさしぶりにベランダに出してやろうと思ってふとみると、

そこには小さなお客さんが。

Photo
メメの葉っぱの裏にいたのは、小さな小さなしゃくとりむし君。

くにゅっと曲げた体のかたちがなんともかわいい!

必死で葉っぱにつかまる両端の足のかたちも素敵。

かわいいから、つかまえずにそのまま観察することにしました。

・・・

その翌日(けさ)。

Photo_2
まだ、いてくれました(見えますか?)。体をぐーんと伸ばして、葉から茎へと渡るところです。よいしょっと。うまく渡れるかしら。

Photo_3
そして、葉っぱにはこんな模様ができていました。むしゃむしゃむしゃむしゃ。おいしいおいしいと言って食べていたことが、よくわかります(メメには申しわけないけれど)。

ところで、このしゃくとりむし。こんな言い伝えがある地方もあるのだとか。

「全身の長さをシャクトリムシに測り切られると死ぬ」(Wikipedia より)

まあ、恐ろしい! こんなに愛らしいしゃくとりむし君なのに。でも、よいしょ、よいしょ、うんとこしょって、眠ってるあいだにでもコツコツと測り切られてしまいかねないような気もするな。

一歩ずつ、一歩ずつ。

その小さな体を思い切り伸ばしたり縮めたりしながら歩んでいく姿に、涙ぐみたくなったのでした。

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