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2011年10月20日 (木)

直球について

けさ。体調も気分もなんだかとてもすぐれず、駅のホームで思わず逆の方向にむかう電車に乗りたい衝動にかられた。きょうはこのまま、ずーっと電車に乗ってだれも知った人のいないところへ行ってしまいたい。電車の向かうまま、どこまでも遠くへ行ってしまいたい。

・・・でも、ホームに並ぶ大勢の人たちを見たら、やっぱりそんなことはできないと、われに返った。みんな頑張ってるんだ。いまから会社や学校へ向かうひとたちなんだ。

会社へ行っていつもの人たちの顔を見て言葉を交わしたら、徐々に元気を取り戻すことができた。人の力って、やっぱりすごいなぁ。

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「どんぐりちゃんて、直球だね」と言われたことがある。

はいそうなんです。たぶん、その通りなのだと思います。

だって、運動音痴なわたし。変化球を投げるなんていう高度な技はもっていない。

このブログにも、そういうところが直にあらわれているのかもしれないと思う。うれしいことがあると、「聞いて聞いて!」「見て見て!」と見せびらかす。悲しいことがあると、その気分のままずらずらと書いてしまう(ほんとうにスミマセン)。

恋愛だってそう。私には、「恋の駆け引き」なんていうことはまったく無理。恋愛バイブルに書いてあるみたいにしようとも、出来たためしがない。
でも、自分では、自分が直球であることについて被害はないけれど、直球を投げられる相手はきついのかもしれないな、と反省する。直球しか投げられないのはきっと、自分が幼すぎる証拠なのだと思う。相手を思いやるのなら、変化球などにすべきこともあるのだと思う。

どうしてこんなに直球なんだ。そしてなぜ、相手から投げ返されてこないというのに、それでもまた直球を投げてしまうのだろう。

投げ返されることを期待して投げることは、せつないし、まちがっている。せめて受けとめられていることを信じたいけれど、それもやっぱり違う。

なにも期待しないで投げるのだ。自分が投げる、ただそれだけでいいじゃないか。相手のことを想って投げる、ただそれだけでうれしいじゃないか。(相手が嫌がるのに投げてはいけないけど)。100回に1回でも受けとめてくれれば小さくバンザイしよう。200回に1回でも投げ返してくれれば、大きな声で喜びを叫ぼう。

そのまえに、相手の球を、いつでもやさしく受けとめられる自分でいなきゃいけないな。そして(たいてい、直球はあまり好まれないものだと思うけど)、こんな私の直球を、イヤがらずにキャッチしてくれるひとに、いつか奇跡的に出会えたらいいな。グローブにスパーン! と気持ちよくおさまるように。バレーボールの強烈なスパイクを、回転レシーブで上げるように。テニスボールをやさしく打ち返してくれるように。

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 『まっすぐについて』  いのししぶんた

ぼくの もくひょうは
まっすぐ はしること
それも ただの
「まっすぐ」じゃない

うんとまっすぐ
とにかくまっすぐ
すごくまっすぐ
だんぜんまっすぐ
とてもまっすぐ
しっかりまっすぐ
じつにまっすぐ
きっちりまっすぐ

なのだ
では ようい どん!

『のはらうたⅣ』 くどうなおことのはらのみんな 童話屋 より

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まっすぐではいけないことも、ときにはある。変化球で言わなきゃいけないことも、たぶんある。そういうところは、ちょっとおとなにならなきゃな。直球であるという基本的な部分はたぶんこれからも、変わらないと思うけれど。

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