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2011年11月

2011年11月28日 (月)

パズルを埋めていくように

1カ月に1回ほど、がんに関するセミナーを聞きに行っている。

これまでは、大腸がんや肺がん、乳がんや子宮がんなど「○○がん」がテーマだったのだけど、今回はちょっと違った。

今回は、「がんと漢方薬」の話。

がんと漢方薬? 

がんの治療法といえば、これまでの話のなかでも必ず登場してきたのは、抗がん剤とか化学療法とか放射線療法とか、そういうものだった。
がんと漢方薬が結びつくなんて、そんなこと考えたことがなかった。

だから今回の講座はとても新鮮だった。

漢方薬は、抗がん剤の副作用症状を緩和するのにとても有効なのだということ。現在そういうところにとても注目が集まっていて、研究が進められていることなどのお話をわかりやすくうかがうことができました。

*

医学のバックグラウンドがなく医薬翻訳者をめざす私にとって、こんなふうに、現場や研究の第一線でご活躍されている方々や病気の体験者の方のお話を目の前で聞くことができるこのようなセミナーはとても貴重なもので、大変勉強になる。

医薬翻訳の勉強をはじめて2年が経った。最初はほんとうに、私の頭のなかにある医薬翻訳というページはまったくの白紙だった。パズルにたとえるならば、何万ピースもあるパズルのピースはひとつだって埋まっていない状態。どのピースをつまみあげたらいいのか、途方にくれていなきゃならなかった。

でも、ほんとうに少しずつだけど、ピースをつまみあげ、組み合わせていけるようになっているような気がする。毎回こうやってセミナーに参加するのも、1ピース。通信教育の課題をやるのも、復習をするのも、1ピース。本を読むのもテレビを見るのも人の話を聞くのも全部、ひとつひとつがパズルの1ピースとなって、その絵柄を浮かび上がらせるものとなる。

購読をはじめたころは、読んでもほとんどちんぷんかんぷんだったメディカルトリビューン(医学専門新聞)も、いまは読むのがとても楽しみになってきた。

でも、楽しいからといって、パズルが埋まり、絵柄が見えてくるわけではない。

埋めるべきパズルのピースは、何万、もしかしたら何十万、何千万・・・?(きりがない)。

そう、きりがないのだ。

医薬翻訳というパズル(人生のパズルは何でも、だけど)は、完全に埋まることは、決してない。

たとえばだけど、私が、何十年も医薬翻訳の仕事を続けることができたとして、そういうときが来たとしても、パズルは埋まっていないはずだ。埋まるものではないはずだ。

なぜなら、(どう考えても、医師並みの知識や経験には絶対に追いつけないという理由もあるけれど、それは別として)埋めていくそばからまた、埋めるべきスペースが増えていくから、である。

日々、新しいことがつぎつぎに生まれている。学ばなくてはならないことが生まれ、毎日、さらに複雑な形をしたピースが私たちには課せられているのだ。一生、勉強! ということですね。

そうやって考えると、また途方にくれそうになってしまうけれど、それでもコツコツひとつずつ、埋めていこう。少しでも絵柄が見えてくるように、ひとつひとつ・・・目をこらして、必死でピースを探してみよう。いろんな方向へ手を伸ばし、足を踏み出し、埋めるべきピースを見つけよう。

でも目の前のピースばかりに気をとられて全体が見えなくなってしまわないように、ときどき、遠くから眺めてみることも必要だな。

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2011年11月26日 (土)

早くもメリークリスマス? そのなかみは・・・

スーパーマーケットに行ったら、レジ係の方々が早くもサンタになっていた。
お店も街のなかも装飾も音楽も、どんどんクリスマスに向かっているきょうこのごろ。

そんなとき、わたしのもとへ、こんなものが届きました。

Photo

”Merry Christmas”

サンタとトナカイが描かれた小さなお菓子の缶。実家の母からだった。メリークリスマスとは、母、ずいぶん気が早いなぁ。

缶の底の表示によれば、どうやら中身は焼菓子らしい。

おぉ、わたしの好きな食べものか。

わくわくしながら開けてみますと・・・、

Photo
おや? おやおや?

なかには、無造作に詰め込まれていたティッシュが――。

なんだぁ、食べものではなかったみたい。

それにしても一体、何なのでしょう・・・ドキドキ!

ふわふわティッシュをひらいていくと、そこには

なんと!

Photo_2

おやまあ!

かわいいかわいいどんぐりたち。

母が拾ってくれたのね。

――って、いやまてよ。

うちの母は、ひとりでどんぐり集めをするようなキャラでは決してない。そんな母の姿は想像つかない(その娘である私は、ひとりで喜んで、いくらでもどんぐり集めをするのだけど)。

聞けば、母の勤めている福祉施設の利用者さんと職員さん方が、散歩中に拾ってくださったのだそう。
「娘がどんぐりが好きだと言ったら、みんなが拾ってくれたよ」 ですって!

うるうる・・・。感激。

毎年、どんぐりスポットに出かけてはざくざくどんぐりを集める私だけど、今年はなかなか拾いにいけないなぁと思っていたところだったからなおさら嬉しい。今年の初・どんぐり!

しかもなんともうれしいことに、いいどんぐりがいるじゃないか!

Photo_3

右上の、大きくてまるっこいやつね。どんぐり銀行の単位では、小さいどんぐり1D(1どんぐり)に対して、10Dにもなるものです。

おしゃれな帽子をかぶったままの子もいる。お顔もつるつるすべすべしているよ。

**

 どんぐりたんか  こねずみしゅん

どんぐりよ おおどんぐりよ

どんぐりよ

ぼくの どんぐり

どんぐりの ぼく

  『のはらうたⅣ』 工藤直子 より

**

わたしのどんぐり どんぐりのわたし。以前にも引用したことがあるわたしの大好きなどんぐりの詩。

とてもちっぽけだけど、そしてときには、ころころころころ転がってお池にはまってさあ大変、てことにもなるのだけど。小さくとも、いつもつやつやぴかぴか光っていられるどんぐりでいられたらなぁ、なんて、どんぐりを愛でながら、どんぐりのわたしは思うのでした。

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2011年11月22日 (火)

つながろうと手を伸ばす (同窓会の記録 番外編)

(先日の同窓会記事のつづき、というか番外編)

先日の記事で、「友達の友達の友達」と表現したのだけど、それは

前から1番目の友達は、高校時代同じクラスだったM美ちゃん。
前から2番目の友達は、M美ちゃんの友達の、K人くん。
前から3番目の友達は、K人くんの友達で、今回の幹事のY洋くん。

のこと。

M美ちゃんと私は、大の仲良しだったというわけではなく、卒業してからもそれほどやりとりなどはしていない。5年くらい前に一度、同じクラスだった4人くらいで集まってごはんを食べたのと、1年前に共通の友人の結婚式で再会したのと、卒業後にかかわったのはそれくらい。それほど、さっぱりとしたつきあいだった。

そんなM美ちゃんなのに、「東京周辺に在住している北高生を知っていたら教えて」というK人くんからの連絡を受けて、この私のことを思い出してくれたのだ。なんてうれしいこと! (M美ちゃん本当にありがとう)

というわけで、私はK人くんに出会い、さらにY洋くんと出会い、同窓会に参加することができたのだ。
友達の友達の友達はみな友達・・・まさに!! 

同窓会を終え、新しい出会いへの橋渡しをしてくれたM美ちゃんとK人くんに、ひとこと、

「ありがとう。世界が広がりましたshineshine

と伝えたらね。K人くんのお返事のなかにこんな言葉がありました。

「どんぐりさんが、つながろうと手を伸ばしたからだよ」

・・・じーんとした。この言葉は、私のハートを直撃した。

つながろうと手を伸ばす。つながろうと手を伸ばす・・・。

きれいな言葉だなぁ。すごく心に響いてくる。
でも、つながろうとするきっかけと力をくれたのは、K人くんだ。M美ちゃんだ。一番最初に、同級生集めをしようとしたY洋くんだ。3人には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

つながろうと自ら手を伸ばすほどに、きっと世界は広がっていく。

それは、人に対してもだし、あらゆるものや事柄に対してもだと思う。

どんなに手が届かないように見えたって、それでも、つながろうと手を伸ばしてみる。生きているって、その繰り返しなのかもしれないな。前向きに生きるって、そういうことなのかもしれないな。

手を伸ばすことなら、いくらだってできる。その対象となるものは、無限大にある。そういうものを、生きているうちにどれだけ見つけられるかな。どれだけのものに出会えるだろう。

つながろうという気持ちで手を伸ばせば、その手を取ってくれる人が必ずいる。やさしく握ってくれる人がいる。力強く握り返してくれる人がきっといる。

今回の同窓会では、もしかしたら誰ひとり知っている人がいないかもしれないというちょっとした緊張のなかで(でもわくわくしながら)手を伸ばしたわけだけど、その手の先にあったものとは、とてもあたたかで懐かしい香りのする心地よい場所でした。

もっともっと、手を伸ばそう。生きているうちに、いろいろなものとつながりたい。いろいろなものに触れてみたいから。

K人くん、素敵な言葉を、ありがとう。

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2011年11月19日 (土)

380ぶんの6の出会い (同窓会の記録②)

(同窓会の記録①のつづき)

懇親会の会場を出たあと、せっかくなので同期でもう少しおしゃべりしようということになり、近くのお店に入った。

さっきは立ち話(立食形式)だったけど、今度は座ってゆっくり、思う存分おしゃべりを楽しんだ。

Y充くんは、環境関係の研究員をしている。たとえば魚の生態について、など。北陸、中部、四国や九州まで、全国各地をとびまわっているらしい。そしてたとえば、この魚を守るためには~億円必要であるとかいうことなどの論文も書くという。ひゃー! スケールおっきい!

N美ちゃんは、事務の仕事をしている。仕事を通してみえてくるさまざまな人間もようや、日々忙しい仕事のことをたくさん話してくれた。N美ちゃんが、ひとつひとつの仕事を、いろいろ悩みながらもまごころこめてしているのだなぁということが伝わって来た。だからみんな、うんうん、そうだよね、とN美ちゃんの話に聞き入ってしまったよ。

J子ちゃんとY洋くんは、部署はちがうけど同じ会社に勤めている。
J子ちゃんは、数年間の営業を経て、現在は商品開発や通販の担当をしているという。商品開発ってどうやってするんだろ・・という私の質問にくわしく答えてくれた。昔から元気で明るいJ子ちゃん。職場でも、周りの人たちに元気を与えながら、前向きにバリバリ活躍する姿が目に浮かぶ。

Y洋くんは、営業。今日のほんの数時間だけでもわかったのだけど、聞き上手、話し上手両方の能力を備え、本当にとてもよく気がついて周りに心を配ってくれる彼だから、お客さんのほうもきっとY洋くんのことを信頼していい関係が築きあげられているのだろうなと思った。

H彦くんは都合により、途中で帰らなくてはならなくなった。懇親会のとき、「朝・昼・晩ちゃんと食べてる?」「うん私はしっかり食べてるよ!」なんて話はしたのに、仕事の話は聞きそびれてしまったよ・・・。
H彦くんは日ごろから北高出身者と都内でよく出くわすらしく、懐かしい同級生の名前をたくさん挙げてくれたので、話がいっそう盛り上がった。みんな、頑張ってる!

そのあと、地元の超・ローカル話でも盛り上がった。どこそこのスーパーのちらしが、昔は黒とかオレンジなどの単色だったのが、最近ではカラーになったらしいよ(儲かりだしたんだね~)、とか、それまではひとつもなかったマクドナルドが、人口10万人を超えたとたんに出店されたことだとか、オリベストリート(焼き物の店が集まっている)が素敵に変身したことだとか。

やっぱりみんな、多治見市をとても愛しているのだ。なんだかすごく嬉しかった。

私の翻訳話も、5人はとても真剣に聞いてくれた。本当に、嬉しかった。J子ちゃんが、「応援したい!」と力強く言ってくれた。Y洋くんが、「翻訳やったら、みんなに連絡してね!」と言ってくれた。こういうみんなの言葉や気持ちは、本当に、自分の歩く力になる。

きょう、それぞれのフィールドで活躍するみんなの話を聞いて、私ももっと頑張らなきゃなと思った。まだまだとてもスケールの小さい私だから、みんなに負けないように、大きな世界に飛び込んでいけるようになりたいなと思った。

3年間、同じ時間に、同じ学び舎のなかで学んだ約380人の同級生のうち、きょうこうして出会えた6人――380ぶんの6の出会い。この出会いを大切に、そしてまたここから広がる出会いも楽しみに、日々少しずつ歩いていこうと思う。

Y洋くん、J子ちゃん、N美ちゃん、H彦くん、Y充くん、本当にありがとう!

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どしゃ降りのなかの再会(同窓会の記録①)

先月下旬。高校時代の友達の友達の、またその友達からメールが届いた。

同窓会のお知らせだった。

多治見の北部に位置することからその名は多治見北高校、地元では通称北高とか多北(たきた)と呼ばれているのが私の母校である。

お知らせをいただくまでまったく知らなかったのだが、北高には、第1回生から現在までをつなぐ同窓会組織というものがあったらしい。それも、名古屋支部、大阪支部、そして東京支部の3つ。

何度かこの会に出席していた同期生の子が、ほかの同期生にもぜひ参加してもらいたい、同期生で会う機会をつくりたいという思いで、東京またはその周辺に住んでいる北高生を必死で探し、連絡を流してくれたのだった。

*

あいにくの雨(しかもどしゃ降り)のなか、午後4時になろうとするころ、会場である某大学の校門前にたどりついた。

同期は6人くらい来るらしいが、私のほかにはまだそれらしき姿がない。

友達の友達の友達は、友達の友達の友達ということで、顔を合わせたことがなかった(あぁでも高校時代、すれちがっていたかもしれないね)。そして、ほかにだれが来るかもわからない。私の見知っているひとは、ひとりも来ないかもしれない。たとえ同じクラスになったことがあっても、とりわけ親しくしていたのでなければ名前と顔を一致させる自信がないかもしれない高校時代のあいまいな記憶・・・。

守衛室のおじさんの横で降りしきる雨を見つめながらそんなことを考えていたら、私と同じくらいの年齢と思われる男女計4名がこちらに向かってきた。先頭の男性と目が合った。そう、間違いなく、彼らが私の同級生たちだ。

みんなの顔を見たら、記憶がぐんぐんよみがえってきた。2年生のとき同じクラスで、出席番号が私のうしろだったN美ちゃん。中学と高校では交流がなかったけど、小学2年生のとき同じクラスで、なわとびが上手で活発な女の子だったJ子ちゃん。同じクラスになったことがある(何年生だったかは忘れてしまった)H彦くん。そして、一度も同じクラスになったことがなく、おそらく初対面であろうと思われるY洋くん(今回の幹事さん)。(この4人プラス、遅れてやって来たY充くん――1年生の時同じクラスだった――を加えた5人と私が今回の同級生参加者だ)。

受付を済ませ会場に入ると、すでに懇親会は始まっており、同窓会をとりしきっていらっしゃる偉い方々のごあいさつの真っ最中だった。集まった人数およそ120名。緊張でぐぐっと背筋が伸びる。

しかし、乾杯を終えればもう、中央にあるお料理と飲み物とともに懐かしき仲間同士の語らいが開始され、会場内はにぎやかな雰囲気になった。

Y洋くんとJ子ちゃんが、私たちに「ちょっと待っててね」と告げてから、同じ会社に勤めている先輩方にごあいさつをしてまわっていた。会社内でもこうして、北高という土台の上に縦のつながりがあるなんて素敵だな。

戻って来たY洋くんとJ子ちゃんは、参加が初めての私たちに常に気を配ってくれた。おかげでリラックスして楽しむことができたよ。そして、結びつきのある方々をつれて来ては私たちに次々と紹介してくれた。きょう出会えた方々のつながりを、本当に大切にしたいと思う。Y洋くん、J子ちゃんいろいろとお世話になりました。本当にありがとう。

人間関係を広げるチャンスがあるなら、それを最大限に生かしたい。そう思っていた私は、あまりにもずうずうしいとは思いながらも、自分で作った名刺を持参していた。裏に、翻訳学習中、よろしくお願いしますという言葉を入れたもの。さらにずうずうしいとは思いながらも、これまでに友人のつてや翻訳学校の先生からいただいた小さな小さなお仕事の軌跡を記させてもらった。本物の翻訳者さんから見たら、このようなとるにたらない事柄を記すのははずかしいかぎりだけど、でも、何がチャンスにつながるかわからない。

そういうわけで、名刺をくださった弁護士さんにさえ、よくもまあ本当に怖いもんなしの私でして・・・あつかましくも、「いつか、よろしくお願いします」なんて言いつつちっぽけな名刺を差し出したのでした。やさしく受け取ってくださってもう本当に感謝です。

私たちは37回生だから、最大36歳離れている方とこうして交流を持てるということが素晴らしいと思った。いろいろ本当にご活躍されている方々ばかり。面白い人たちがたくさんいらっしゃった。

会のしめくくりは、校歌斉唱。

  ゆたかなる 多治見の郷は  

  青山を 四囲にめぐらし

   ~後略~ 

       (作詞 金田一京介)

♪      

(山に囲まれて建つ校舎が懐かしく思い出されました・・・)

とても楽しく、いろいろと刺激をいただいた会でした。みなさま本当にありがとうございました。

同窓会の記録②につづく)

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2011年11月18日 (金)

しびれました、バレー女子。

「いやぁ、しびれましたね」

きのう、ワールドカップバレー女子、ドイツ戦を終えた直後の眞鍋監督の言葉である。

ほんとうに、ほんとうに、私もしびれましたよ。

1セットめは日本がとった。2セットめはドイツがとり、3セットめもドイツにとられてしまった。

3セットめの途中から見ていた私は、少し、あぁぁぁ・・・という気持ちになってしまったのですが・・・。

ところがところが、そこからがものすごかった。

とにかく、ものすごい闘いだった。こんな試合は見たことないくらいすごかった。一瞬たりとも目が離せなかった。あまりのすごさに、応援しながら感動して泣いてしまった。

床にボールが落ちる瞬間まで――床とボールのすきま1ミリにでも手のひらを入れようとするかのようにどこまでもしつこくボールを追いかける。そこで上がったボールをつないで体制を立て直し攻撃につないでいく、粘りと執念、そして勢い。

相手から、するどいスパイクを打ち込まれたり、ミスをしたりして点数を奪われても決してひるまない。もう次の瞬間には攻撃を仕掛け、相手のコートにボールをたたきこむことに成功し、思い切りガッツポーズ。すごい精神力だ。とにかくとてつもない勢いがあった。日本もドイツもお互いに、だ。だからあんなに熱のこもったすばらしい試合になったのだと思う。

そしてきょうのアメリカ戦でも、きのうの勢いは止まることがなかった。3セット先取の見事なストレート勝ち!

最後の優秀選手の発表では、竹下選手がベストセッターに選ばれていた。竹下選手が、「若い選手がのびのびと活躍できるように、・・・」などということを言っていたのが印象的だった。まさに、その思いが伝わってくる試合の数々だった。若い選手たちが華麗にそして気持ちよくスパイクをきめ、顔を輝かせていた。とにかく、いい顔をしていたなぁと思う。すがすがしい気持ちにさせてくれた。

ひとまずきょうで一区切りだけど、オリンピックに向けての熱い試合がまたとても楽しみだ。

どこまでもどこまでも粘り強く、執念深く、そしてひるまず勢いをもってやっていけば必ず道はひらけるのだ。

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2011年11月16日 (水)

旅のしめくくりはあったかおでん(陶磁器の旅⑥)

(前回のつづき)

素敵なタイルの数々に魅了され、すっかりタイルの虜となった私に、友人が「はい、これあげる」とある冊子を手渡した。

『TILES(タイルの本)』。どうやら、タイル業界専門の情報誌らしい。わあ、うれしい!

メイントピックのうちのひとつに、「現代美術館に誕生した、ポップなモザイクアートスペース」というものがあった。『タイルのある風景』というタイトルのページには、嬉しくなるくらいきれいなタイルで壁が埋め尽くされた男女のトイレが紹介されていた。なんて素敵なトイレでしょう(東京都現代美術館なので、すぐにでも行けそう)!

「今度は笠間焼を見に行こうよ」と友人が言う。笠間焼・・・? はじめて聞く。それは、茨木県笠間市が産地の焼き物だとのこと。うん、行く行く! ということで友人とお別れした。日帰りでちょっと強引な旅だったけど、短い時間にさまざまな陶磁器にふれられてとてもよかったなぁ。

■□■

陶磁器の旅でおすすめの場所といえば、もちろん私の生まれ育った多治見をはじめ周辺の土岐、瑞浪ですが、常滑焼が産地の愛知県常滑市という場所も私はとても好き。

常滑市には「やきもの散歩道」というものがあります。いろんな発見があるとても楽しい散歩道です。やきものと散歩が好きな私にはたまらない! 

常滑市の、『世界のタイル博物館』もとっても素敵。世界の美しいタイルたちに出会えます。(ついでに、さっきトイレの話が出たので・・・、)「とこなめトイレパーク」という、おもしろいトイレが集まるトイレの公園もあります。

■□■

さて、帰りもやはり夜行バス。バスが出るのは多治見駅23:00頃なので、それまでは実家ですこし休憩です。

夕飯は、私の事前にリクエストしておいた、おでん!

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下のほうには、我が家では人気ナンバーワンの大根さんがたくさん隠れています(あぁ・・・もうちっと配置を整えてから写真とればよかった)。

姉と母の合作。リクエストにこたえてくれてありがとう! やっぱり大きな土鍋からとりわけて食べるから、いっそうおいしいな。

主食は、父の炊いた栗ごはんでした。秋の味覚、おいしかった!

かけうどんからはじまり、おでんでしめくくった今回の旅、短いけれどいろんなものがぎゅぎゅっとつまった旅でした。一日のあいだに出会えたいろいろなものたち、ありがとう~!

(おわり)

10月8日のできごとを、やっとこさ書き終えることができました。

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2011年11月13日 (日)

魅惑のタイル(陶磁器の旅⑤)

(きのうの記事のつづき)

国際陶磁器フェスティバルの会場を出て昼食を済ませ、くつろいでいたとき。

「見せたいものがあるんだ」

と、友人が言った。

たどりついた場所は、こちら。

Mozaiku_omote

Mozaiku_soto

友人は現在、タイルの営業の仕事をしている。お客さんがいらっしゃったときいつもここを案内しているのだそう。きょうは私のために、そして、フェスティバルの時期だからということで、特別に開けてくれたのだ。
ここは、古くからのタイルが集められ大切に保管されている場所。

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蝶のかたちがかわいい。

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テーブルセット。クッションらしきものもある。

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鯉も泳いでいますよ~。

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葉っぱを押し当ててつくったと思われるすてきなタイル。

Photo_7
壁にもこんなふうに埋め込まれていたのですね。

外からみたらとーっても古めかしい集会所みたいな建物だったのですが、なかには宝物がいっぱいつまっていました。昔むかしのタイルが、大切に保存されていました。あらためて、タイルは生活のいろいろな場所で使用されていたのだなぁ・・・と、タイルの歴史を振り返りながらちょっとうるうる(しそうになる)・・・。

友人はとにかくタイルが好き。横に並んで歩いていても、いつの間にか友人の姿が消えていることがよくある。振り返ると、彼女は足を止めて建物を眺めたり、足元に目を落としていたりします。タイルを見つめているのです。

これまでは、「家」とか「家の壁」というとらえ方しかしていなかった私も、友人の影響でその家の壁に貼られているタイルを見つめるようになっていました。街には素敵なタイルがあふれていますよ!

「タイルの営業はどう?」

と聞くと、それがとても難しいんだよ、という答えが返ってきた。

営業をするときは、「タイル」という小さな単位でしかない。しかし、お客様の立場からすれば、タイル1枚の世界ではなく、できあがった壁や家や建物という大きなものを購入するイメージであるわけだ。だから、タイルを売るとき、いかにして全体のイメージを持ってもらえるようにできるか、というところが一番難しいのだと話してくれた。

そうだよなぁ。壁って重要。たとえば、カーテンを変えると部屋のイメージがガラリと変わるけど、さらに大きな建物なんかを考えたら、一枚のタイルにかける思いは相当熱いものになるはずだし、決断もかなり難しくなる。

そんなことを考えていたら、ますますタイルが魅力的なものに思えてきた。

タイルの浪漫。とってもいいものを見せてもらいました!

(つづく)

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2011年11月12日 (土)

表現、無限大!(陶磁器の旅④)

10月に書いていて途中になっていた旅の記録、「国際陶磁器フェスティバル美濃 ’11」 のつづきを書こうと思います。最後に書いたのが10月11日。1か月以上経ってしまいました。一度途絶えて再開しようとすると、なんだかかなりパワーが要るみたい。

ずいぶん時間が経ってしまったので、旅行記というよりむしろ感想文みたいになりそうですが・・・。

(1カ月前に書き始めた旅の始まりの記事はこちらです)

++

まずはメインの展示会場へ。ただっぴろい空間に、数々の作品が展示されている。

土から作り上げられたその作品たちは、手のひらに乗ってしまうような小さなものから、たとえば私3人分くらいの巨大なものまで実にさまざま。

実用品としての使いやすさを第一に考えたもの。見た目の美しさを極めたもの。自身のなかからあふれんばかりにわき出るものをそのまま表現したもの。

大きさ、形、色、素材、すべてが自由。土は、自由自在。どんなふうにでも変化させられる。

表現、無限大!!

と思った。

友人と私は、めいめいに気にいった作品の前で立ち止まっては、心ゆくまでそれを眺めた。

陶磁器、最高! 土、最高!!

お近くの方は(いや、遠方の方でも)ぜひ一度見に行ってみてください、なんて言おうと思っていたら、会期はとうに終了していました(こちらのホームページに「バーチャル展覧会」というものがあって作品を見ることができるけれど、やはり目の前で見るのとでは全然違ってしまう)。ぜひ、3年後に!

*

あらためて、ものづくりって素敵だと思った。特に、こんなふうにどこまでも自由に表現できるときには。

一緒に行ってくれた友人は、実は陶器関係の仕事のプロフェッショナル。家には、自分で購入した窯もある(とっても大きな買い物!)。ほんとうに、つくることが好きなのだ。

中学校時代から絵を描いたり作品を作ったりするのがとても上手だった彼女。陶磁器専門の研究所を修了したあと、多治見市有数の窯へ就職し、陶器をデザインする仕事を数年間していた。その後転職し、現在は陶器のタイルの営業の仕事している。

そんな彼女に、私はふと疑問に思ったことを尋ねた。

「もう、デザインしたり作ったりする仕事はしないの?」

彼女の返事は、「うん、仕事としては、しようとは思わないね」というものだった。会社に所属していれば、当然だけどどうしても会社の意向に沿って仕事を進めなくてはならない。自分の作りたいものや表現したいものがあっても、それが制約されてしまう。そういうところが、難しいのだと。

そうなのだな。表現、無限大!! というわけにはいかないのだ。

だから、これから焼き物をつくるなら、仕事としてではなく自分のやりたいように、趣味としてやっていくと思うと言っていた。

好きなことを仕事にするというのは、ものすごく難しいことだとよく言われるし、私もこれまで仕事をするなかで何度もそれを感じたことがある。特に会社勤めの場合なら、会社と自分の狭間でいろんなものと闘っていかなければならない。

逆に、「表現、無限大」のなかで仕事をする場合では、なにもかも自分に委ねられ、どこまでも自分のなかにあるものと闘っていかなければならないから、すごくエネルギーが要るのだと思う。

翻訳の場合は、どうなのかなぁ、と思う。私はまだ「学習」としての視点で翻訳をとらえている段階だから、そういうところはわからない。

(やっぱり、旅行記っぽくなくなってきてしまいました)

というわけで、

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会場内で一服して紅茶を飲んだときに、そのまま持ち帰ることができたマグカップ。

メインの展示を見終えたあと、「モザイクビエンナーレ」というタイル作品や、アール・ヌーヴォーの磁器の展示などを見に行った。ひとつひとつ本当にユニークで、やはりそこでもまた、表現は無限大だなぁ、と思う。

国際陶磁器フェスティバル、今年もとても楽しませてもらいました。

(つづく)

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2011年11月11日 (金)

111111

’11.11.11

「いい」がいっぱい並んでいる。というわけで、きょうはとてもいい日だな♪ と思って、一日いい顔で過ごせるようにした。

そうしたら、いいこと、ありました。

午後3時。会社仲間が、スーパーの袋を何やらごそごそやっているかと思ったら。

そのなかから・・・赤い箱のポッキーが出てきました!

そう、きょうはポッキーの日(日本記念日協会による)だそうです。

わけてもらったものは、最も基本的でシンプルなあのポッキー。パッケージや個包装の方法など昔と比べたらずいぶん進化していたけれど、中身の姿は変わることなく、懐かしい味がしました。

みんなでわけて食べられて、なんだか楽しい気分にさせてくれるポッキー。自分の成長とともに、アーモンドつきとかつぶつぶいちごとか、しましま模様とか巨大なものとか、ポッキーも進化してきたのだなぁ・・・なんてしみじみ思います。

++

11日、という日。

きょうで、ちょうど8カ月。あの日から、あの日のことを忘れた日はないけれど、月日はこれからもずっと、永遠に積み上げられていく。

でも、そうだとしても、ずっと忘れない、忘れてはいけない日。

「記憶 忘れてはいけないこと」

これは、日経新聞社さんの、東日本大震災 報道写真ギャラリー「記憶」というものです。
宮城や東京をはじめ全国各地で写真展が開催されていました。

ここに掲載されている記事のうち、ほんの少しだけですが、日本語から英語に訳すお手伝いをさせていただく機会があったことから、この写真と記事を知ることができました。数々の写真からいろいろ感じるものがあります。

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2011年11月10日 (木)

TOEICとこれから

10月30日に受けたTOEICの結果が送られてきた。

今回の目標は、約3年前の最高スコア+60点 だった。

結果は・・・、マイナス55点 (リスニング マイナス40点。リーディング マイナス15点)。

プラスどころか、前回のスコアに及ばないにもほどがある、というべき大幅なマイナス。

結果を見たとき、正直、自分の出来なさに悲しくなってしまったのだけど・・・。
でも、たとえよくない数字だったとしても、そういう思いにとらわれるために受けたわけじゃない。これを、これからの学習に生かしていくのだ!

今回は、弱点がくっきりあらわれた。

棒グラフの背がほかよりうんと低かったのが、
リスニングでは、「短い会話が理解できる」の部分。
リーディングでは、「語彙が理解できる」の部分。

私は、PART2がとても苦手だ。じっと耳をすましているはずなのに、あっと言うまに会話が過ぎ去ってしまう。PART3や4とは違って、問題文にヒントとなる会話情報もないため、聞き逃してしまったら最後だというのに。

急に点数を上げようとしたって、そううまくいくはずがない。

危ういものではなく絶対にゆるぎない力、実力がついていなければ、それが点数となってあらわれるわけがないのだ。

そのためにこれからは、ちょっと焦りすぎることはやめ、息の長い学習として続けていきたいと思う。弱点の強化はもちろん、比較的よかったところももっと伸ばせるように。いろいろやりたいことだらけだけど、バランスよく、いろいろと極端になりすぎずに頑張っていこうと思います。

++

11月10日現在 

11月の累積学習時間 34時間50分

【11月の目標、110時間】に対する達成率は、31.6%。
3分の1過ぎた時点で、学習時間は3分の1に達していない。近いうちに、立て直そう。

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2011年11月 8日 (火)

さといもと人の心

きょうは立冬。実際、朝晩少し冷えていて、冬に近い空気の冷たさを感じました。いよいよ冬がやってくるのね。ええ、来るなら来いや。どんと来い。超・超・冷え症の私、秘密の対抗策だってたくさんあるし、負けませんよ。インフルエンザの予防接種だって、きょうしっかり済ませたんだ。

でもいまは、まだまだ秋。イチョウが色づくのが楽しみだし、落ち葉をバリバリ踏んで歩くのも楽しみだし、秋刀魚もやっぱりまだ食べていないし。

というわけで、秋の味覚その4。

ごろごろさといも。掘りたてのおいも。

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表情がいろいろで、ほほえましいな。大きいのは私の握りこぶしぐらいある。小さいのは巨峰ひとつぶくらいの大きさかな(皮をむいたらなくなっちゃいそう)。

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手羽先とさといもの煮ものをつくりました。

味しみしみ、おいもねっとりほこほこ。おいしくいただきました。

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さといも、ごしごし洗って、ぬめりと闘いながら必死で皮をむいたわけだけど。
あんなに真っ黒、土だらけで毛むくじゃらの服をぬいだら、つるりと白く美しいお肌があらわれました。さといもの白は、品があって落ち着いた白色をしていました。

~ここからはちょっと話が飛躍するかもですが、まあいつものことで・・・~

昔、大切な友人にこんなようなことを言われたことがある。

「どんぐりの心ってとてもきれいだよね。どんぐりの、暗い汚い部分が見えないよ。私の心のなかは、嫉妬とかねたみとか、ぐちゃぐちゃどろどろしたものばかりになることがある。そういう自分の醜い部分にふれるたびに、胃がキューとしめつけられて苦しくなる」

これを聞いて、いや、そんなことない! と思った。

どんぐりの心も、ときに、自分では見たくない醜いものばかりで占められる。すごく嫌になる。苛立ちや嫉妬や、なにさ私だって! などという気持ち。

その時私は、たしか、よくわからないながらも友人にこんな言葉を返したかな。

「でも、心にそういう部分があるってことを自分が知っていて、見つめることができるってことが大事なのかもしれないね。そういう気持ちは、消そうと思ってもなかなか消せないものだから」

嫉妬っていうのは、それだけその人やものに愛があるからこそ生まれるもののような気がする。大事な気持ちといえるのかもしれない。また、人のことがうらやましいなら、その気持ちをバネに、目標を高くして追いつこうとすればいい。追い抜かしてやればいい。しっかり向き合った自分の醜さを、力に変えていけばいいんだと、思う。

そして私は、その友人をすごいと思った。自分に醜い部分があるなんてこと、人には言いたくないものなのに、それを私に打ち明けた。私はそれを聞いて、とても楽になったのだ。実際、私も苦しめられていた感情だったから。

「どんぐりと出会って、生きやすくなった」と友人は言ってくれたけど、こちらこそ、君と出会って生きやすくなったよ、って力強く言いたいのです。

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ということを、そとみとなかみがあまりにも違うさといもを見ていて、考えたのでした。

いや、そうでもなくて、たまたまさといもの写真と、最近考えていたことが組み合わさった(ちっとも組み合わさっていないかもしれないけど、無理やり組み合わさっているように見せかけた)だけなのかもしれない。

(よくわからなくなったので最初の話に戻って)、あしたからまたさらに冷え込みが強まるみたいなので、本当に、気をつけてお過ごしくださいね。

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2011年11月 7日 (月)

秋の味覚その3~茶碗蒸しのなかの宝石~

(というタイトルですが、茶碗蒸しをつくったわけではありません)

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秋の味覚その3(といっても、その1・その2を書いたのがいつのことだったか)、ぎんなんのおすそわけ。

私のために、ぎんなん割り専用の道具で殻にひびを入れた状態で持ってきてくださいました(感激!)。

こんなふうに、ぎんなんそのものを食べるという目的だけでぎんなんを食べることは、めったにない気がする。

これまで生きてきてぎんなんくんに出会えたのは、茶碗蒸しのなかのほんのふたつぶ、みつぶとか、松葉の先などにちょこんと刺されて懐石料理の一部に添えられているとか、そんな場面だけだ。

でも、こんなに控え目なのに、彼らはわりと主張してくる。そして、「なんだかくせになりそう、また出会いたいなぁ」なんていう思いにさせてくれる。

特に、茶碗蒸しのなかのぎんなんくんは、「やるねぇ、きみ」なんて声をかけてあげたくなるよ。幼いころから好き嫌いがない私は、茶碗蒸しも嫌いなものではなかったのだけど、残念ながら「おいしい! 大好き!」とは思わなかった。

でもね、ほんとう、茶碗蒸しって素敵だよなぁ、と思う。

プリン色で中に何が隠れているか見えないところをそーっとすくっていくと、ふとスプーンが何かに触れる。それは鶏肉だったり、椎茸だったり、かまぼこだったり。そういうものに出会うたびに、とても嬉しくなるんだよ。

何よりも、奥底に埋もれているゆり根ちゃんそしてぎんなんくんが好きだったなぁ。

彼女と彼に出会うと、とびきり嬉しくなるんだよ。

まるで宝物を見つけたみたいな気持ち。ぎんなんくんは、きらきら光る黄色い宝石みたいだった。

ちょっと地味な感じもする茶碗蒸しだけれど、これほどのわくわくをくれるなんて!! 

というわけで、茶碗蒸しを上手につくれるようになりたいなぁ。もちろん、ぎんなんくんにゆり根ちゃんなど、いろんな宝物を中に閉じ込めてね。

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2011年11月 6日 (日)

バナナケーキ開発計画

「バナナケーキを焼いたよ(10月下旬、どんぐり姉より)」

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くるみ入り。バナナとくるみは相性バツグン! だそうだ。

味は、私は食べていないからわからないのだけど、ふわふわしっとり、おいしそう♪

でもどうやら、おいしいはおいしいのだけど、バナナの味が、弱かったみたい。

そこで、

「また、バナナケーキを焼いたよ(11月初旬、どんぐり姉より)」

Banana

見た目にはわからないけれど、バナナは前回の約1.5倍だそうだ。

今回はスクエア型で作ったけれど、よくあるパウンドケーキ型とどちらがいいか、考えているみたい。

何度も何度も作ってみて、どんどんおいしくなるといいね。

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2011年11月 5日 (土)

温泉で

温泉に行ってきた。

といっても、街なかにあるスーパー銭湯(でもお湯は、ちゃんと湧き出た温泉の湯)のようなところである。

せっかく元気が戻って来たので、それをもっと確かなものにしようと思い立ったのだ。そういえば、数年前には、10日に1度くらいの頻度で温泉に行くマイ・オンセンブームがあったことも思い出した。そのころ岐阜市に住んでいたのだが、車を走らせれば1時間以内で行くことができる村の温泉が、まわりにいくつもあった。山のなかにある露天風呂はとにかく気持ちよく、周りの風景や空を見上げてよく現実逃避をしたものだった。

都会に出てきて、はじめての温泉だ。家から徒歩約50分。ようやく到着し、わくわくしながら大浴場に足を踏み入れた。

広々とした浴槽と、「エステバス」などなど充実したコーナーがいくつもあり、順々に堪能していった。
最も楽しみなのはやはり露天風呂。温泉の湯はやわらかで、くすんだゴールドと言ったらいいのか、素敵な色をしていた。

「薬湯」というコーナーがあった。そこは小ぢんまりとしていて5,6人も入ればちょっと窮屈そうなところ。すでに3人入っていたから少し躊躇しつつも、やっぱり入ってみたくて、思い切って足を踏み入れた。

あぁ、・・・とってもいい気持ち。

隣にいた、自分の母親よりもやや歳上に見える女性と目が合い、思わずほほ笑む。
と、女性が話しかけてきた。

女性 「ひとりで来たの? 学生さん?」

私  (きゃー!! 学生さんだなんて。どうしよう、ここは学生で通すべきか、と思いつつ)
    「いえいえそんな! 30すぎてます」

女性 (驚きながらも、ズバリと次の言葉)
    「ご結婚は?」

私   「いえ、独身ですので、まあ気ままに、こんなふうに(さらににっこり笑ってみせる)」

そのあとも、よく来るの? どちらから? いまはお勤めなさってるの? 今日はお休み?  あなた、誠実そうだからきっと、医療関係のお仕事でしょう(←すごい! なぜわかる。・・・まあ、健診施設の「事務」ですけどね。でもそこは内緒にして「大当たり!」って言いました)。女性は一通り私を質問攻めにしたり誉めてくれたりしたあと、さらにつづけた。

女性 「いまが一番いいときねぇ。私は結婚が早かったんです。20代の初めにもう子どももふたり産んでいて。そのときは苦労したわね。でも30になるともう、子どもは学校行っちゃて楽になったんですよ」

ふむふむ。そうなんですかぁ~。私は30超えて独身、子なし。人生いろいろですよね。こんなふうに、自由気ままにやりたいことをやらせてもらっていること、本当に感謝しなくちゃなあ、と思う。

・・・

振り返れば、20代前半というか10代終わりというか、私もとにかく早く結婚したいと思っていたな。でもその「結婚したい」は、好きなひとと一緒になりたいというよりも、「家族を自分でつくってみたい」という好奇心のようなものだった気がする(もちろん、いまの家族だって、自分が生まれてきたことによって「家族をつくる」ということに参加しているに違いないのだけどね)。自分で結婚して子どもを産んで、家族をつくるって一体どんな感じなんだろう、という興味が当時の私にはすごくあったのだ。

けれどもなぜだか機会を逃し、仕事や毎日のいろいろに没頭しているうちに、結婚したいと思っていた年齢よりもすでに10個くらい歳をとっている。これは驚きだ。

それと同時に、気持ちにも変化が生まれていることに(きょう)気づいた。

いまは、「家族をつくってみたい」というよりも、「一緒に人生を歩んでいけるひとがいたらいいな」という気持ち。20代のころのように「結婚したい!」という感じではなくてね、なんていったらいいんだろ・・・。

たとえば、結婚したいから婚活(こんな言葉、昔はなかったですね)する、もちろんそれも素晴らしいことだと思う。自分の思い描く人生を積極的に切り開いていくことは素敵だ。

でも私は、もうちょっとゆるゆるかなぁ。日々出会う人を大切にするなかで、一緒にいたいなぁと思えば一緒にいる。そうして、いつまでも寄り添いあっていきたいなぁと思えば、結婚ということにもなるのかもしれない。

お互いに、どこまでも寄り添いあえるひと。どんなことがあっても大丈夫な存在がいたら、生きていくうえで強いだろうなということを、思う(いまの家族は、もちろん別格で、ですが)。何歳になってもいい(もちろん早いほうが一緒にいられる時間が長くなっていいけれど)。極端にいえば、死ぬ1年前でもいい。そういうひとと一緒になれたらいいなと思う。

友人が結婚していくこと、それ自体、めちゃくちゃ嬉しい。でももっと嬉しいのは、相手のことが好きでしかたがないことや、相手が自分のことを思ってくれているというラブラブ話を聞くこと。私は、他人のラブラブぶりが大好きなのだ。電車ですわって寄り添いあう学生カップル、ホームで抱きしめ合う男女、仲むつまじく手をつないで散歩する老夫婦、などを発見すると嬉しくて思わず見とれてしまう(←コラコラ)。

だって、嬉しいじゃないか。そういうひとがいるってこと。

なんてことを、きょう偶然にも温泉で出会えた女性とのやりとりから、考えてしまったのでした。

「どうぞ、お元気で」 女性と私は、お互いに、そう言ってお別れした。人生、いろいろ。素敵な出会いだった。

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2011年11月 3日 (木)

11月

11月だ!

10月の後半は、自分でもどうしようもないくらい、心身ともに具合がよくなかった。11月に入り、おとといよりもきのう、きのうよりもきょうと、調子が良くなり、だんだん元気になってきた。これからもっと、元気になろう。

ここで、10月の学習の反省会(後半ボロボロになってしまったのでふり返りたくないのですが)。

10月のはじめに立てた目標 学習時間 140時間

でしたが、結果は、105時間10分。約35時間も少ない。平日、休日それぞれの時間数×日数で、頑張れば達成できる目標を立てたはずだったのだけど、これほど足りなかったとは。

体調を整えることも実力のうち。けれど無理はせず。これからは、ベストコンディションで走り続けられるくらいにほどよく自分を追い込みながら進んでいきたい。

というわけで、10月の結果やいろいろをふまえて、11月の目標学習時間は 110時間で頑張ります。

元気になったと思ったらとたんに、やりたいことがどぁーっと頭のなかからあふれ出てきた。

10月はTOEIC強化月間だったけど、ひとまず、TOEICのほうはすこしゆるめて。
11月は再び翻訳強化月間にすることにする。

翻訳をするわけではないけれど、翻訳にかかわるプロジェクトのボランティアをさせていただけるチャンスを得ることができ、きのうから作業を開始している。いま、これが一番嬉しいこと。

医薬翻訳の通信講座、提出はほぼ順調なのだけど、復習が追いついていない。復習できていないのに次の課題をやっても力がつかない、ということがわかっていながら、追いかけても追いかけてもまだまだ程遠い・・・。これをどうにかしていきたい。

医学専門新聞のメディカルトリビューンや、読みかけまたは購入して手をつけていない洋書と日本語の本を、ざくざく読みたい。

このほか、細かいこといろいろ、やりたいことだらけだ。

秋は大好きな季節。特に、冬になりそうなギリギリのところが一年のなかでいちばん好き。秋・・・おいしいものをいろいろ食べたい(あぁ、まだサンマを食べていないぞ)! スポーツの秋、あしたからワールドカップバレーが始まる(←見るほうですか)! いえいえ自分も、散歩をいっぱいして体を動かしたいのだ。秋を見て、秋の空気をいっぱいすって、もっともっと秋にふれたいなぁ。どんぐりとして、どこまでも転がっていきたいなぁ。ただし、お池にはまってさあ大変、にならない程度に、ですね。

そう。いまはやる気だらけだけど、調子をくずすと大変だということをとてもよく味わったので、突っ走りすぎには気をつけて、11月は、落ち着きつつ、精一杯頑張ろう!

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