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2011年12月

2011年12月29日 (木)

2011、ありがとうございました。

大掃除の最中。部屋のすみっこに、分厚めの辞書や本が積み上げてあるのを発見。

えっと・・・、なんだっけ??

本のあいだから出てきたものは・・・

Oshibana

夏に育てていたひまわりの花びらと、秋に育てていたコスモスの花びらでした。

そういえば、押し花にしておいたのでした。

コスモスさんのほうは色あせてしまっているけど(ほんとうは、左が白で右はピンク)、ひまわりは咲いていたそのときと同じ元気なやまぶき色のまま、変わらない。

ベランダのひまわりやコスモスを見ながら過ごしていた毎日のことが思い出されてきた。そのころ何を考えて、どんな思いを抱えながら過ごしていたのかということまでよみがえってくるから不思議。

早いなぁ。

徹底的に大掃除をして年賀状を作って――そんなことをしているうちにようやく、1年の節目を迎える実感がわいてきたみたい。1年間のいろいろな出来事が頭に浮かぶ。私の周りにいてくれた人たちのことを思い出す。

一緒にお出かけしてくれた人。話を聞いてくれた人。私を楽しませてくれた人。笑顔にさせてくれた人。心に響く言葉をくれた人。いつも励ましてくれた人。夢につながるチャンスを与えてくれた人。苦しくなるとすぐに心のなかの思いをぶちまけてしまう私に寄り添ってくれて、いつでも何度でも優しく受けとめてくれた人。この私を、真剣に叱ってくれた人。遠くにいても、いつでも私の支えとなってくれた家族・・・。

・・・もっともっとあるけど、書ききれません。だって、毎日とてもたくさんのものをいただいているから。

私を支えてくださった方々に、心より感謝を申し上げます。だから私は今年1年元気に生きてこられたのだ。

この1年も、本当によく、心が弱くなってしまうことがあった。そういう思いを、自分のなかだけにとどめておくことができなかったこともよくあった。

でも、本当に強い人って、決して「つらい」って言わない。表情を見せない。どんなに苦しくても、無理やりにでも上を向こうとする。笑顔を作ろうとする。そういうことが、今年1年でとてもよくわかった。

だから、私が時々抱えるようなちっぽけなつらさなんて、笑い飛ばしてやれるくらいになんなきゃいけない。人生、どうしても苦しいことは起こるけど、でもそれでもまずは笑ってみよう。やっぱり笑顔でいたいのだ。

来年は、もっともっと、もーーーっと、笑おう。いつでも笑顔でいられる自分になろう。

悲しい出来事があった2011年ですが、2012年、明るく穏やかに過ごせる年になりますように。

2011年、ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。

それでは、よいお年を!

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2011年12月28日 (水)

不器用ながらも

今年もまた、自分の不器用さがほんとうにイヤになっちゃう、と思うことがいくつもあった。

大きなことではなくとも、日々の些細な事柄まで含めたらきりがないくらい・・・、なんてことは考えないほうがいいな。

「もっとこうしたい」とか「こうなりたい」とか「こう表現したい」とか、そういう思いはとても強くあるのに、いざそういう舞台に立つと、緊張のあまり練習の時とはまったくちがう行動をしてしまったり、頭が真っ白になって体が動かなくなったり、あるいは思いもよらないことを口走ってしまったり。

そういう自分に驚き、あきれ、あとになればなるほど「なんであんなことしちゃったんだろう」という後悔の渦に巻き込まれてぐるぐるが止まらなくなる。

その場合、すぐに事態を改善できればいいのだけどね。それまた、ますます奇妙にこんがらがらせてしまい、気づけばどうにも抜けられなくなってしまうこともある。そんなふうにしたくないのに・・・どうやったら、いつになったら、うまく生きられるようになるんだろう。どうやったら、いつになったら、自分は不器用じゃなくなって、うまく振る舞えるようになるんだろう。

*

「不器用なほうがいい」

翻訳でお世話になっているN先生の講座をとっていた約3年前のこと。半年の講義を終える最後の授業のときに先生がおっしゃった御言葉である。

この言葉を聞いたとき、私は固まってしまいまして、固まったまま先生を見つめてしまったのです、あまりの衝撃に。

「だって、くりかえし練習するから」

・・・・・・なるほど!!

先生はそのときもちろん翻訳の話をしてくださっていたわけで、「不器用なほうがいい」というのも翻訳学習についてのお話である。不器用であればこそ、そればかり何度も何度も勉強するからもっともっと伸びていくということを伝えてくださったのだ(私の解釈ですが)と思う。

でも私は、聞いた瞬間、人生のぜんぶに当てはまる言葉だと思った(あまりにも自分が人生ぜんぶにおいて不器用だから、そう思いたかったということなのかもしれないけれど)。

「こうしたい」と思うのにいざ本番となるとうまくいかないのは、能力があるのにそのときだけ失敗したというわけではなくて、やっぱりそれが自分の実力でしかないのだ。「こうできるはずなのに、できない」という考えはただの思いあがりであって、そのときの行動すべてが自分の真の姿なのだと受けとめるしかないのだ。悔しくてしかたがないし、そういう自分を見つめるのは苦しくてほんとうにイヤんなっちゃうけど、でもそこで涙をぐっとこらえて立ちあがろうとしなきゃそういう思いは無駄になる。

そういう思いにとらわれたとき。「不器用なほうがいい」――この言葉を引っ張り出して来ては、なにくそと思いなおす。また一から練習なのだ。また一からでもいいのだ。何度でも何度でも、くりかえせばいい。

ただし、不器用であることに甘えることはいけない。スマートに生きているように見える人だって、そのスマートさを身につけるためそれまでに積み上げてきた練習や努力というものは並大抵のものではなかったはずだから。

今年も、こんなにも不器用な私を見ていて「ぶっ、ぶっ、ぶっきようだなぁ」とか「おかしなヤツだなぁ」と思われた方もいらっしゃるかもしれません(・・・って、だれも私に注目してないか!)。それでもあたたかく見守っていてくださったこと、ほんとうに感謝します。

不器用ながらも、いつでも必死なのです。ハートは熱いのです。だからね、周りのひとに対しても、不器用に、直球でぶつかろうとして迷惑をかけてしまうことも多々あるのですが(ほんとにごめんなさい)、(だからすこし遠くからね、)来年もどうか、こんな私なのですが、あたたかく見守ってやってくださいね。よろしくお願いいたします。

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2011年12月25日 (日)

ロールキャベツとぽれぽれさん

クリスマスカラーにあこがれて、

Roll
ロールキャベツを作りました。

甘くてやさしいトマトケチャップ味。
ナツメグが久しぶりに大活躍☆
キャベツもとろとろになってくれました。

冬の煮込み料理っていいな。ほっとする。

*

そんなクリスマスデイのきょうのこと。

Porepore
こんな子たちが、やって来たの。

ぽれぽれ動物の、ロバさんとうさぎさん。

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2011年12月24日 (土)

冬のちひろ美術館

ちひろ美術館(東京)に行ってきた。

いわさきちひろさんのことが大好きで、ちひろ美術館が大好きで、何度も足を運んでいる。

毎年この時期には、美術館で大判カレンダーを購入して帰ってくる。そうすると、自宅にいながらちひろさんの絵が楽しめるのだ。日付が過ぎて役目を終えたカレンダーは、絵の部分を切りとって、アパートの屋根裏の壁に貼りつける。そうするとね、屋根裏がちょっとしたギャラリーみたいになっていくのだよ。それが大きな楽しみでもある。

さらに、カレンダーにはハガキサイズのアンケートがついている。それを記入して持っていけば、2名まで無料で入館できるのだ。嬉しいお楽しみです。

ほんの数日前、そのアンケートの期限が12月末(今年の最終開館日は25日)であることに気づき、この3連休に行かなくては! と思い立ったのでした。

ちひろさんの絵は、いつまでも眺めていたくなる絵だ。特に自分の心にぴったりする絵のまえに立つと動けなくなる(きょうも、ずいぶんと友人に引き離された・・・)。ちひろさんの大ファンである私は、カレンダー、ポストカードや画集なども好きで集めており、何度も出会う絵もたくさんあるのだが、それでも、どれだけ見ても飽きることはない。

とてもやさしい絵なのだけど、そのなかに心に迫ってくる芯の強さを感じる。描かれている子どものまなざしを見つめていると、どうにも目をそらすことができなくなる。それから、四角く切り取られた1枚の絵であるはずなのに、その枠を超えて描かれている部分を想像させてくれる作品ばかり。切り取られたその先にあるものや、無限に広がっている世界が見えてくるような気がするから不思議。

*

ちひろ美術館には、東京と、長野県の安曇野の二館ある。

安曇野ちひろ美術館も、実家の岐阜にいたころよく足を運んだ大好きな場所。大自然のなかに建つとても素敵なところです。私がこれまでに訪れた国内の美術館ランキング、第1位☆

東京は、ちひろのアトリエ(復元)があるところが魅力的。

ちひろ美術館といっても、ちひろさんの展示だけではなくて、絵本を楽しむさまざまな企画展が開催される。これも、何度行っても楽しい理由のひとつだ。

今回は、<企画展>谷川俊太郎と絵本の仲間たち~堀内誠一・長新太・和田誠~が開催されていた。これもとてもおもしろく、楽しめるものでした!

きょうは、翻訳学校で一緒だった友人におつきあいしてもらった。「ちひろ美術館、まえから気になってたんだ~!」と言ってくれて、お誘いしてよかったなぁなんて思う。

毎回、ちがう友人を誘って行けたらいいなと思っている。

美術館に行く場合、ときにはひとりで行きたい気分のときもあるけれど、やっぱりだれかと行くのが好き。

感想を話し合いたいというわけじゃない。感想を述べ合いながら同じペースで見るってのは、あまり得意じゃないです。気にいった絵のまえでは立ちどまるなど思い思いのペースで鑑賞し、でも、「見て見て!」と言いたくなったときには友人を探し、お話する。

そんなふうがいいなぁ。

同じ空間で同じものを見ている感じが、とても好きなのだ。ただそれだけのこと。

それだけのために、だれかと一緒に行きたいと思うのかもしれないな。

必ず1年に1回以上(何度でも)行きますので、ちひろにご興味あるかた、行ってみたいと思われるかたがいらっしゃいましたらぜひおつきあいくださいね。

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2011年12月23日 (金)

ゆずとかぼちゃ

とうじとうじつ(冬至当日)のきのう。<昨年のきょうも、とうじのとうじ(当時の冬至)のことを書いていました>

昨年と同じく、職場の方が、おうちのゆずの木から実をとってわけてくださいました。
今年のゆずちゃんは、こんな子たち。

Yuzu
まあ! ほほえましい。仲良しだね。ふたごみたいだね。

ゆずの香りがあんまり素敵で、湯船にだけじゃなくてお口にも入れたくなった私、

Kabu
ちょうど冷蔵庫にかぶがあったので、砂糖と酢にきざんだゆずを加えて漬けものに。
いい香りです。

実は幼いころはこの香りが苦手だったのだけど、いまは大好き(苦手→大人になって好きになった同じパターンの香りものには、山椒、わさびやシナモンがある)。

そして、ゆずちゃんと一緒に入るお風呂は、やっぱり最高!

昨年と同じく今年も、最初はぽっかり浮かべて。そのあとに皮をむきむき、小房にわけて口に入れ・・・るのはなんとか思いとどまり、湯船に散らす。つぶつぶみかんジュースみたいな、とろりとしたお湯にゆっくりつかりました。お肌すべすべ、ぽかぽか、あったまります。

*

ゆずをいただいたとき、その彼女はこんな言葉も添えてくれた。

「ちゃんとかぼちゃも食べるんだよ~」と。

たまたま、きのうの夕食は、ひとと会っての外食だった。料理が運ばれてくるまで、かぼちゃんのことは、すっかり忘れていた。

注文したのは和定食にデザートがつくセット。デザートは、6種類のなかから好きなものを選ぶことができるというもの。

運ばれてきたデザートをひとくち食べて最初に思ったこと。

「あぁ、とてもしっかりかぼちゃの味がする」

次の瞬間、やっと思いだした。

かぼちゃ!!!

そうだ、きょうは冬至ではないか。

無意識のうちにかぼちゃを選んでいた私ってすごい(チーズケーキが好きなので、「かぼちゃのチーズケーキ」を選んだだけなのですがね)!

ゆずもかぼちゃも、しっかり堪能できた冬至でした。これで、風邪ひかないはず!

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2011年12月19日 (月)

小さなわるもの

仕事中、なにげな~く

「舌の先っちょにできた出来ものが痛くって・・・」

とつぶやいたら、向かいにすわっている仕事仲間が突然身を乗り出してきて、

「口内炎でしょっ! どこ、どこにできたの!」

と、思いがけない勢いで食いついてきた(び、びっくりした~)。そして、

「私も! 私は、舌とこの辺(と、唇の端のほうを指さしながら)とふたつも。ほんっと、痛いよね、口内炎って」

とつけ加えた。あぁ、そうだったのか。だからあんなに急に興奮したんだ。

「それにしても、もうすぐもんじゃですよ! 治さなきゃ」

今週、彼女と私を含めた数人の小さな忘年会として、もんじゃを食べに行くのだ。口内炎のお口にあっつあつのもんじゃを入れるのは、想像するだけで痛い痛い!

口内炎ってなんであんなに痛いんだろう。どこからあんなパワーを出してわるさをしてくれるのだろう。食べものを口に入れたり冷たい水を飲んだりしたとき、口内炎があるってことを思い出してイヤんなっちゃうのね。

「もんじゃはにおいがつくからね、みんな変な服で行くんだよ」 女子はジャージ、男子は半そで短パンで、なんてね。一番張り切っているのはもんじゃ食べに行こう言い出しっぺの彼女、

「栄養ドリンク飲んでビタミンCとってるから、私は治る!」 

ってことだそうです。

小さくてもアピール力抜群の小さなわるものちゃん。もうええよ、おとなしく退散してくんないかなぁ。  

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2011年12月18日 (日)

冬が好き

正確にいえば、「やっぱり冬が好き」かな。

寒いのはイヤだけど、やっぱり冬が好き。

四季のなかで一番好きなのは秋だけど、やっぱり冬も好き。

==

冬の空が好き。

透きとおるようなうすいそらいろとうすももいろの水彩絵の具を、たっぷりの水を含ませた筆でサーッと塗ったみたいな空が一番好き。

冬の朝が好き。

霜で覆われた畑の土や緑色の葉っぱが朝日に当たってキラキラと光るのを見ながら歩くのが好き。

ときどき自分のほっぺにふれて、どれだけ空気が冷たいのかを確かめるのが好き。

冬の布団干しが好き。

夜、布団に入ったとき、昼間のお日さまのあたたかさとにおいを感じるのが好き。

冬の湯船が好き。

冷え切った手足が、熱いお湯のなかでじんじんするのを感じるのが好き。

冬のあたたかい汁ものが好き。

体の内側からぽかぽかとあたたまっていくのを感じるのが好き。

雪が好き。

あとからあとから落ちてくる雪を、飽きるまで眺めつづけるのが好き。

空から落ちてきたまま、まだだれもふれていない積もった雪のふかふか感を、手でさわったり足跡をつけたりして感じるのが好き。

クリスマスとお正月と、姉とわたしの誕生日がやってくる冬が好き。

「冬が寒くて本当によかった」と歌うこの曲が好き。

 冬が寒くて本当によかった
 君の冷えた左手を
 僕の右ポケットにお招きする為の
 この上ないほどの理由になるから

  『スノースマイル』 BAMP OF CHICKEN 作詞 藤原基央

つづきの歌詞も、言葉ひとつひとつが泣きたくなるくらいきれいで、大好きな歌。

「寒いのはイヤだけど、やっぱり冬が好き」じゃなくて、「寒くてよかった。だから冬が好き」なんて言えたらいいものだなぁ。

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2011年12月16日 (金)

一歩を道に

きょう、うまく行かなかったことがあって、一時的にだけどちょっぴり激しく落ち込む。

涙腺が(たぶん)人並みはずれてゆるい私(ほんとうに困っていて直したいと思っているのに、いくつになっても直せない。気持ちがまだまだ弱すぎるのだ。いいかげん、しっかりしなくては)、帰りの電車や駅のホームで危うくボロボロになりかけたところをなんとかギリギリでせき止める。

一歩を踏み出せる機会があるなら、思い切って踏み出してみたい。

たとえそれが、自分が思い切り背伸びしないと届かないようなものであっても、手を足を体じゅうを、精一杯そらせて触れようとしてみたい。

普段からそう考えている私だから、そんな機会を見つければすぐに勢いよく飛び出すわけ。

でもね、やっぱり、勢いだけじゃダメなこともある。

またもや、自分の力のなさを思い知らされた。自分の身の程がいやというほどにわかった。あふれ出した涙は、くやし涙だ。こんちくしょうと、あふれ出るくやしさだ。

まだまだ未熟すぎる自分であるのはいつもわかっているつもりだけど、でも、一歩を踏み出せばこそ発見できること(一歩を踏み出さないと発見できないこと)はたくさんある。何をすべきか、どんなふうにすべきかということが明らかになってくる。

ちっぽけな自分であることを思い知ることはとても苦しいことだけど、同時にとても貴重で自分の力になることでもあるのだ。

きょうの悔しさを、きょうの涙を、これからの力に変えていこう。

そしてこれからも、一歩踏み出すことをやめないぞ。

「危ぶむなかれ、勇気を持って踏み出せば、その一歩が道となる。
 ゆけばわかるさ (by アントニオ猪木さん)」

これは、ちょうど一年くらい前に、きょうと同じような行動を起こした私に対して友人が贈ってくれた言葉。

心にしまっておいたこの言葉を、帰りの電車のなかで引っ張り出してきて頭のなかで何度も何度も繰り返した。「たとえダメでも、なにかをつかめるはず」。そう言ってくれた友人の言葉も思い出し、よし! と気合いを入れなおす。

きょうの一歩を、道にしよう。きょうつかんだものを、これからの力に変えていこう、と。

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2011年12月15日 (木)

ハンドクリームを買う時に思ったこと

会社帰りに、ドラッグストアに立ち寄った。

レジ係の学生アルバイトさんらしき女の子が、私がかごに入れた商品をピッピッとやっていく途中、ふと手を止めて言った。

「お客さま、肌荒れでお悩みでしょうか」

私のかごにハンドクリームが入っていたのを見つけたのだ。はい、冬は手がカサカサになっちゃって・・・と私が言うと、

「じゃあ、お客さんこれ塗って帰ってください!」

彼女はにっこりとほほ笑みながら、ペンダントみたいに首からさげていたミニサイズのハンドクリームを、私の右手の甲にぶちゅっと絞り出してくれた。どうやら店の売り込み商品らしい。

「これ、1日1回塗るだけでいいんですよ。1本1,300円くらいするけど、3カ月もちます」

へぇ~と、私は両手にクリームを伸ばしてしっかりとなじませていった。なるほど、とてもなめらかだ。

「ほら! 『24時間 うふふ』って書いてあるでしょう?」

ハンドクリームに添えられた小さな広告に書いてあるキャッチコピーをゆびさしながら彼女は言った。「うふふ」と言ったときには、彼女のとびきりの笑顔がこぼれた。

つられて私も笑顔になり、思わず「うふふ」とつぶやいてしまう。

「本当に、『24時間うふふ』になっちゃうかもしれませんよ~! あちらに置いてあるので、ぜひまた見にきてくださいね」

そう言って私を送り出してくれた。わぁ~、ありがとう。

良質のハンドクリームを塗ってもらって嬉しかったこともあるけれど、それプラス何よりも彼女の言葉と笑顔が素敵だった。心がほっこりした。

「これを売り込みなさい」と指導されていることを坦々とこなしているのではない、彼女にしかないキラリと光るものを感じた。そのハンドクリームをまだ買ってもいないのに、本当に24時間うふふになっちゃいそうだった。まるで彼女の魔法にかかったみたいに。

*

ふと、営業の仕事をやっている友人が最近話していたことを思い出した。

(私の理解した言葉になっちゃいますが)、自分自身の営業について、その友人が話していたこと。

自分の会社の商品はとてもいい商品だと思うので、営業としてとても恵まれている。でもそれだけに甘えていてはいけない。

そのお客さまが「しょうがないなぁ~。○○(←友人の名前)がそう言うんだからな、」などというように、「自分だから」という部分で目を向けてくれたときがやっぱりとても嬉しいのだそう。それでも、人柄だけで売るわけでもないのだとも言っていた。

その話をしていたとき、私たちは一緒においしいあじフライを食べていたのだけど、その友人が、そのあじフライを売るべき商品にみたてて、いつもの営業のやりかたを特別にやってみせてくれた。

(その友人の秘密兵器の売り方だと思うのでここには書かないけれど)、思わずすぐにそのあじフライに手が伸びてしまいそうな話しぶりだった。そのほかにもいろいろな例を出して話してくれたのだけど、どれもこれも切れ味のある美しいトーク、というイメージではないんだけど、ひとの心をほこっとさせてあたたかいものがじわじわと広がってくるような、なんかいいなっていう印象を受けた。思わずにっこりほほ笑んでしまうような。

良質の商品に売り手の人柄や思いを添えると、商品はますますいきいきと輝き出す。
じーっとおとなしくしてて動かなかった商品が、楽しそうに踊りだす。ものを言えなかった商品が、途端に饒舌になって自分自身の価値をアピールしはじめる。

友人の話と、きょうの学生アルバイトさんらしき女の子とのやりとりを通して、そんなふうに思った。

売り手によって、その商品のおめかしの仕方も変わってくるのだろう。

きょうのハンドクリームは、うふふと頬をピンク色に染めながら、とびきりの笑顔で私に笑いかけてくれた。次にこのハンドクリームを買うときは、絶対、きょうのレジの彼女から買いたいなぁって思った。

直接ものを売りこむ仕事ではなくとも、どんな仕事であっても、商品+私の「私」という部分を、きょうの女の子や営業の友人みたいに素敵にプラスできるようになりたいなと思った。そうやってますます輝きだした商品をだれかが手に取ってくれて、そのひとに笑顔になってもらえますように。

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2011年12月12日 (月)

しょうがないしょうがの話

12月2日の記事の、しょうがのはちみつ漬けのその後。

Photo

(実は、ずいぶん前に撮った写真でして、いまではもう、すっかりからっぽになっているのですがね)

しょうがからエキスが出て、はちみつがサラサラの液体に変身しました。数日置いたわけではなく、あっという間に。その日のうちに、です。

しょうがははちみつに浮くものだったらしい。このため、しょうがのある上のほうだけうまいことサラサラになって、下はとろりとしたはちみつのまま、姿を変えていませんでした。まあ、しょうがないです。

・・・と、あまりにも基本的なギャグに、ますます寒さが増したところで、

Koutya

新しょうがはちみつ紅茶。いただきます!

しょうがはちみつ&紅茶パワーで体ぽかぽか、とってもあたたまります。元気も出るよ!※注・・びんの半分の量を一気に入れたわけではありません。

しょうがはちみつを入れたところを写真に撮りたいと思って透明のティーカップにしたのに、ちっとも見えないのでした。一応、底にしょうががあるのにね、これはもう、しょうがないと言うしかありません。

このほか、プレーンヨーグルトにかけたり、パンに塗ったりしていただきました。

もちろん、取り出したしょうがをそのまま食べてもとてもおいしい。
新生姜はもともと白くて筋がなく、スライスしてそのまま食べても甘くてサクサクの食感が心地いいのです。はちみつ漬けにしたら、はちみつの甘さを吸収してさらに食べやすく変身してくれました。

新生姜、最高!

いまは新生姜の姿をみかけなくなってしまったけれど、それはもう、しょうがない(←3回目だよ!)

でも、生姜生活は続けています。年中、365日生姜と仲良くさせてもらっています。

朝、しょうがスライス入りの白湯を飲む。会社へも、それと同じものを魔法瓶に入れて持っていく。夜、しょうが紅茶。そして、料理にも欠かせないしょうがさまさま。

というわけで、私にとって、しょうがないのは、ほんとうに困るのです!

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2011年12月 9日 (金)

月と雪玉

きょうは会社でちょっと失敗をしてしまい、けっこうな具合に落ち込んでしまった。

ズドーンズドーン、モヤモヤモヤモヤ・・・と。

でも、切り替えよう。

落ち込んで下を向いているとますますイヤな気持ちになってくる。マイナスがさらにマイナスを生み出すばかり。自らの心を苦しめるばかり。そんなことをしているのはもったいない。

ようし、と心を奮い立たせる。

きょうの失敗でわかった自分のマイナスを、プラスの力に変えてみせようじゃないか。

思い切り顔を上げたら見えたものとは、夜空に浮かぶまあるい月。白く、見事に輝いていた。(明日も晴れるといいですね!)

そんな月にそっくりの、白くまあるいものと言えば。

雪玉!

きょうは各地で初雪が降ったのでね。

・・・なーんて、いえいえ本物の雪玉じゃなく、

Snow
スノーボールクッキー。 
いつかシフォンケーキと焼き菓子の店を出すことを夢見ている姉の、手作りお菓子です。

通常は粉砂糖をまぶすところを、きび砂糖をまぶしたのだそう(理由をきくの忘れた)。きび砂糖といっても白く見えます。粉砂糖じゃない分表面がすこし粗いから、粉雪じゃなくてちょっと粗い雪だね。

食べていないけれど、想像では、口の中でほろほろっとくずれて甘さが広がるクッキーのはず。見た目も味もやさしいクッキー。

***

ということで、上を見上げ、月に向かって笑いかけてみたり(はたから見るとあやしい)、姉のやさしいクッキーを見ていたりしていたら、心のギスギスもまあるくやさしくそして私は元気になったのでした。

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2011年12月 8日 (木)

「感動した」を伝えたい

感動すると、言葉が出なくなる。ほんとうに、どうにも、出なくなる。

きのう、友人と話をしていて実感した。

感動のみなもとは、友人が私にかけてくれた言葉である。心のなかでは感動の輪がパァーっと広がっていっているのに、どうしてもそれをすぐに言葉にすることができなくて、しばらく黙ってしまった。

++

「感動する」という言葉は、私にとって、なかなかうまく使いこなすことができない言葉だ。簡単には、そうそう使えない(と言いつつ、このブログでも何度も登場しているかもしれません、矛盾・・・)。

なぜなら、心のなかの思いを、十分に表せないような気がしてならないから。

確かに、「感動する」という言葉には、思いを伝える強い力があると思う。素敵な言葉だと思う。

でも、「感動する」が意味する範囲はあまりにも広い。ひとこと口にしたとしても、心のなかの思いがちっとも表現できていないようにも感じてしまい、同時に、相手にもそういう部分が伝わらない気がしてしまうのだ。

たとえば、同じ動詞の「眠る」という言葉なら、たいてい誰もが「目を閉じて睡眠をとっている」映像をすぐに思い浮かべることができるであろう。

でも、「感動する」という言葉の場合、「なんとなくそういう気持ちだろうな」ということはわかるけれど、100万人いれば100万通り、感動ってものはまったく違うはず。それに、一人のひとでもそのときによって感動の種類が違う・・・ということは、ある人が1日15回感動したらもう、15通り。そう考えると「感動する」という言葉が意味する思いというのは、もう想像できないくらい無限大の数になる。

もう少し言えばね、

水たまりに一滴のしずくがおちて輪が広がっていくように、心いっぱいに感動の輪が広がっている――その状態を、「感動した」とひとことで表現しきるのはやっぱり難しく、なんだか違うものになってしまうような気がするのだ。

たとえば、贈り物を中身が見えない包装紙でくるんで最後にぺたりと“For you”というシールを貼るみたいに、いろいろな気持ちからつくられた複雑な立体構造をした感動の思いを見えないようにくるんでしまって “感動” というシールを1枚貼ってみた――そんな感じ。相手に本当に見てほしいのは、“For you” というシールじゃなくて贈り物の中身。 それと同じで、“感動” というシールではなくて、それがどういうものなのか、心の奥に広がっている中身を伝えたいのです。

++

そういうわけで、なかなか簡単には使えない言葉、のように思っている私なのだけど、

それなのに。

きのうもそのまま、「・・・感動した!」としか言えなかったのでした。沈黙のあとに一生懸命絞り出した言葉が、結局それだったのでした。

でもやっぱりどうにかその感動の中身を伝えたいなぁと思った。そんな思いで次に出た言葉は、

「きょう、一番、感動した!」

(あぁ・・・表現力ないなぁ。ほとんど同じですね。別の言葉は出てこないものか)。

「でもさ、きょうまだあと数時間あるからね。もしかしたら、帰りの電車で隣にすわったサラリーマンが、もっと感動する話をしてくるかもしれないよ。一番にはなれないかも(笑)」

なんて、相手の冗談でかわされてしまったのでした!

う~ん・・・。どう言えばいいのかな。

「心が揺さぶられた」「心に響いた」「心を打たれた」とか・・・(ちょっとは具体的になったかな・・・いやいや、ただ言い換えただけですね)。

要するに、包装紙でくるんでシールを貼ってしまうんじゃなくて、中身がそのまま見えるようにすればいいんですよね。ということは、そのときの思いをそのまま言葉にすればいいのかな。 

えっと・・・。

「心がじんわりとあたたまって、自分が抱えているコンプレックスのようなものが融けていくように、とても気持ちが楽になったよ。ありがとう」 

という感じかな(きのうは言えなかったけれど)。

「感動した」という言葉とともに、こんなふうに、中身を表す言葉が添えられたらいいなと思う。

つい簡単に、「感動した」の4文字が書かれたシールを貼ってしまいそうになるけれど、やっぱり、中身を見てほしい。

ぐぐっと言葉につまるけれど、そこで少し頑張って、そのときそのままの思いを言葉にできたらいいなと思う。

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2011年12月 3日 (土)

とろとろ、ふわふわ、ぽかぽかの。

けさもとても寒かった。

歩くことが好きなので、特にどこかへ行くという目的がなくても休日には散歩に行く。目的地があったり、なかったり。気の向くまま足の向くまま、ずんずん歩いていくのが好き。

しかし・・・、きょうはあいにくの天気。雨ザーザー、空気冷え冷えさむ~い!
ちょうどやるべき作業もたまっているし、きょうは外に出ることを断念しておとなしくしていることに。

けれども、家にいても、寒いものは寒いのだ。
あったかいものが恋しくなるね。

ということで、お昼はかきたまうどんにしました。

Udon

(なんだかごちゃごちゃしているけれど)
たまご、ねぎ、しょうが、わかめ、しいたけ入り。

片栗粉でとろとろ、たまごふわふわ(←うまくいきました!)、しょうが&ねぎでぽかぽか。

家にあるもので作れちゃう、おいしくてあったまる優秀な献立。

これを食べていたら、ふと、小学生のころ食べたうどんのことを思い出した。おばあちゃんの家でよく食べた玉子とじうどんのことを。

それはおばあちゃんが作ったわけではなく、出前のうどんである。うどんは、たしか木でできた赤茶色の出前箱(呼び名がわからなかったのでいま調べたところ、「おかもち」というらしい)に入れて届けられた。

おばあちゃんは毎回メニューを見せてくれるのだけど、私は決まって、ほとんどいつも「玉子とじうどん」を注文した。小学生だった私はたぶん、うどんというもの自体、カレーライスなんかとは違ってちょっと大人な食べ物のように思っていたのだと思う。そんなイメージを持っていたうどんだけど、そのなかでも「玉子とじうどん」は、子どもが食べるのにちょうどいいような気がしていた。

寿司だってほら、まぐろやいかやたこなんかは大人が食べるようなものだから、玉子、食べるでしょう(って、私だけかな。子どもだって、まぐろいかたこ、わさびありが好きな子もきっといますね)? それとおんなじで、うどんの場合は、たぬきうどんでもなく天ぷらうどんでもなく、私は玉子とじうどんばかり頼んでいた。

あの玉子とじうどん、おいしかったなぁ。
出前というのがまた、店で食べるのとも違ってなんだかいいものだった。
父や母や姉、おじいちゃんおばあちゃんはそのとき何を注文していたんだろう・・・。まったく覚えていない。

一度だけ、私は誰かにすすめられてか、「あんかけうどん」を食べた記憶がある。これまで30年とすこし生きてきてあんかけうどんを食べたのはたぶん、そのときだけだ。甘辛いしょうゆ味で、たしかみたらしだんごのたれみたいなとろみと味だった気もしないでもないけど(かなり曖昧)、味よりも何よりも、とにかく熱くて全然冷めなくて、ふーふーしながら食べたことが印象に残っている。

もう一度、あのあつあつとろとろのあんかけうどん、食べてみたいなぁ。おばあちゃん家でまた、玉子とじうどん、食べたいなぁ、なんて、きょう、あつあつとろとろのかきたまうどんを食べながら、懐かしさにひたっていたのでした。

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2011年12月 2日 (金)

新生姜生活

(もうずいぶんまえのことなのですが)

Photo
とれたてのりっぱな新しょうがをいただきました。

しょうが大好きの私。

煮物、炒め物、みそ汁、しょうがごはんなど、何にでも入れてしまいます。しょうが湯やしょうが紅茶も年中のみのみ、冷え防止にも効果ばつぐん!

ということでしょうがには慣れている私なのですが、この新しょうがには、驚きました。

「新」がついたら、こんなに変わるものか。新しょうがってやつは、こんなにおいしいものだったのかと。

甘くてやわらかくてとてもやさしい味。スライスしてそのままいただけてしまうのです。これはびっくり。新しょうが、最高!

というわけで、しょうがというものの新たな可能性を発見した私。新・生姜生活(正しくは、新新生姜生活?)をはじめるべく、

Syougani
さばのしょうが煮を作ってみました。新しょうがのおいしさがさばにしみこんでくれて、おいしくいただけました。

それから、もっと新生姜生活を楽しもうと、

Photo_2
スライスしてはちみつ漬けにしてみることに。

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