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2011年12月28日 (水)

不器用ながらも

今年もまた、自分の不器用さがほんとうにイヤになっちゃう、と思うことがいくつもあった。

大きなことではなくとも、日々の些細な事柄まで含めたらきりがないくらい・・・、なんてことは考えないほうがいいな。

「もっとこうしたい」とか「こうなりたい」とか「こう表現したい」とか、そういう思いはとても強くあるのに、いざそういう舞台に立つと、緊張のあまり練習の時とはまったくちがう行動をしてしまったり、頭が真っ白になって体が動かなくなったり、あるいは思いもよらないことを口走ってしまったり。

そういう自分に驚き、あきれ、あとになればなるほど「なんであんなことしちゃったんだろう」という後悔の渦に巻き込まれてぐるぐるが止まらなくなる。

その場合、すぐに事態を改善できればいいのだけどね。それまた、ますます奇妙にこんがらがらせてしまい、気づけばどうにも抜けられなくなってしまうこともある。そんなふうにしたくないのに・・・どうやったら、いつになったら、うまく生きられるようになるんだろう。どうやったら、いつになったら、自分は不器用じゃなくなって、うまく振る舞えるようになるんだろう。

*

「不器用なほうがいい」

翻訳でお世話になっているN先生の講座をとっていた約3年前のこと。半年の講義を終える最後の授業のときに先生がおっしゃった御言葉である。

この言葉を聞いたとき、私は固まってしまいまして、固まったまま先生を見つめてしまったのです、あまりの衝撃に。

「だって、くりかえし練習するから」

・・・・・・なるほど!!

先生はそのときもちろん翻訳の話をしてくださっていたわけで、「不器用なほうがいい」というのも翻訳学習についてのお話である。不器用であればこそ、そればかり何度も何度も勉強するからもっともっと伸びていくということを伝えてくださったのだ(私の解釈ですが)と思う。

でも私は、聞いた瞬間、人生のぜんぶに当てはまる言葉だと思った(あまりにも自分が人生ぜんぶにおいて不器用だから、そう思いたかったということなのかもしれないけれど)。

「こうしたい」と思うのにいざ本番となるとうまくいかないのは、能力があるのにそのときだけ失敗したというわけではなくて、やっぱりそれが自分の実力でしかないのだ。「こうできるはずなのに、できない」という考えはただの思いあがりであって、そのときの行動すべてが自分の真の姿なのだと受けとめるしかないのだ。悔しくてしかたがないし、そういう自分を見つめるのは苦しくてほんとうにイヤんなっちゃうけど、でもそこで涙をぐっとこらえて立ちあがろうとしなきゃそういう思いは無駄になる。

そういう思いにとらわれたとき。「不器用なほうがいい」――この言葉を引っ張り出して来ては、なにくそと思いなおす。また一から練習なのだ。また一からでもいいのだ。何度でも何度でも、くりかえせばいい。

ただし、不器用であることに甘えることはいけない。スマートに生きているように見える人だって、そのスマートさを身につけるためそれまでに積み上げてきた練習や努力というものは並大抵のものではなかったはずだから。

今年も、こんなにも不器用な私を見ていて「ぶっ、ぶっ、ぶっきようだなぁ」とか「おかしなヤツだなぁ」と思われた方もいらっしゃるかもしれません(・・・って、だれも私に注目してないか!)。それでもあたたかく見守っていてくださったこと、ほんとうに感謝します。

不器用ながらも、いつでも必死なのです。ハートは熱いのです。だからね、周りのひとに対しても、不器用に、直球でぶつかろうとして迷惑をかけてしまうことも多々あるのですが(ほんとにごめんなさい)、(だからすこし遠くからね、)来年もどうか、こんな私なのですが、あたたかく見守ってやってくださいね。よろしくお願いいたします。

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