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2012年3月21日 (水)

自分自身に惚れること

けさの新聞に、印象的な記事(コラム)があった。

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人気番組「料理の鉄人」で、フレンチの鉄人として活躍した坂井宏之さんが道場六三郎さんとの対談で興味深いことを語っている。料理人が将来、伸びるかどうかはコックコートを着た姿に自分自身が惚れるかどうか、で分かるという。

自分を鏡に映し、「おぉ、かっこいいじゃん」と惚れることができる人は、料理人として生きてゆく気持ちが強い人だ。「惚れた軸はぶらすなと。この軸がぶれると二流になってしまう」と語っている(『致知』四月号)

<2012年3月21日 東京新聞朝刊『筆洗』・・・私の地元、中日新聞なら『中日春秋』より>

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自分の仕事人生を振り返ってみた。

これまで、自分の姿に惚れたことがあっただろうか。

(とてもはずかしく、好ましくないことだとは十分承知しておりますが、)私にはいくつかの職歴がある。

どの仕事も、決して中途半端な気持ちで選んだわけじゃなかった。面接のときだって、その会社に対して「あなたに一生ついていきます」くらいの気持ちで臨んだものばかりだ。

そして、在職中には仕事に全力を注いだ。仕事ができるようになりたいと、ただ必死で取り組んだ。小さな私だけど、少しでもたくさん貢献したいと思ったし、その仕事で自分の持っている力を発揮したいと思っていた。

でも、うまくいかなかった。一生を捧げることができなかった。数年働いただけで結論なんて出せるものではないけれど、その仕事を続けていくんだという強い気持ちを、そのときの私は持つことができなかった。

鏡に映った自分は、惚れられるなんてものではなかった。鏡を見るのも嫌だった。

どうにかよくしようと必死になり、とにかく一生懸命やる。そんな自分の姿は、誉めてやることができたのかもしれないが、自分の力のなさに苦しみもがきながら、目の前のことをこなすことだけで精いっぱいだったのだ。そんなふうにしか仕事ができない自分が、たまらなく嫌だった。

ただ、いま思えば本当に、数年で自分の望むように仕事ができるわけなんてなく、何十年も続けていけばこそ見えてくるものがあるのだから、簡単に答えを出せるようなことじゃなかったのだとも思う。私はすぐに、逃げてしまったのですね。新しい方向に向かえば、きっと自分がうまく歩ける道があるのだと、思ってしまったのですね。

何だかすぐに重くなってしまう私の性格のせいもあると思うのだけど(20代のころは、いまにも増して・・・)

惚れられなかったのだな。

惚れるものにまだ出会っていなかった、と思ってもいいのだろうか。

*

自分の姿に惚れている人というのは、見ていてすぐにわかる。

輝いている。その人の雰囲気から、パワーが伝わってくる。

仕事について熱く語ってくれる友人も、子だくさんで育児や家事に走りまわり、忙しいながらもママの笑顔いっぱいの友人も、輝いていてとても素敵で私は大好き。

~自分の話に戻しますが~

とにかくいまの私には、「翻訳」という、自分が歩いていきたい道がある。

(ちょっとはずかしいこと言いますが)

いまは、翻訳が好きだと胸をはって言える自分が好き。

「翻訳」に、翻訳の勉強を頑張っているときの自分自身に、惚れることができる(おっ、よく言った! くれぐれも、惚れた軸は、ぶらすなよ!)。

いつか、本物の翻訳者になった自分自身を鏡に映し、「おぉ、かっこいいじゃん!」と大きな声でいえるようになりたい。

今度こその、今度こそ!!

『筆洗』の最後は、こんなふうにしめくくられていました。

「働くことは大変だ。鏡に映った自分の姿に惚れる。そんな仕事に出会えた人は幸せである」

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