« 2012年7月 | トップページ | 2012年9月 »

2012年8月

2012年8月30日 (木)

季節の音のリレー

秋の虫の声が聞こえはじめた。

やさしく鳴る鈴のように心地よく響く音。

夏から秋へまもなくバトンタッチ。遠くからダッシュしてくる夏が小さく見えてきて、次の走者である秋が助走をはじめたみたい。

家々の間の道を歩いていくと、今度はちりんちりんと風鈴の音が聞こえた。
まるで、過ぎ去ろうとする夏を惜しんでいるかのように切なげな音を立てている。

秋が近づいていることを、そっと教えてくれる虫の声。

夏の終わりを告げるかのように切なく響く風鈴の音。

それでもまだ夏は終わらないぞ、負けじと蝉たちが必死に鳴く。

暑い、暑い! 早くもうどっかに行っちゃえ~! 

なんて、あれほどうっとうしく思っていた夏だけど、

こんな風にいざ遠ざかりつつあることを知ると、なんだかちょっとだけ惜しくなる。

夏ってやつは、そういうヤツなんだな~。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2012年8月26日 (日)

残暑お見舞い申し上げます

先日、残暑見舞いを書こうとがさごそやっていたら、以前に作ったはがきが出てきた。

消しゴムはんこ。

数年前、友人が消しゴムはんこの本をくれたことがきっかけで、私の地味な趣味のひとつになった。

Suika

すいか。

見にくいですが、上のすいかは、食べかけ(食べ終わり?)です。
ありんこのはんこも作って、すいかに群がらせたらもっとおもしろくなりそうだな~。

Mizufusen

水風船。

わかりづらいですが、模様は2種類(もっと、違いがはっきりわかるように作ればよかった・・・)。

Tomato_2

ミニトマト。

はんこはおもしろい。

ひとつ作って、色や、色の組み合わせや、押し方を変えれば無限大に楽しめる。
調子に乗って、ぽんぽんぽんぽん、押しちゃうのね。
そして、年賀状など大量生産するもののときには本当に、大活躍~☆

この私でも、あっという間に作れてしまうくらい、手軽で簡単、楽しいのです。

季節のお便りに合わせていろいろ作ろう♪ と張り切って、以前はいろいろ試していたものだけど、最近彫ってないなぁ。一年に一度、年賀状くらいになってしまった。

☆★☆

みなさま、残暑お見舞い申し上げます(←遅いよ! もう8月最終週やんか)。

まだまだ、暑さは続くみたいですからね。体の不調が出やすくなるこの時期(私はちょっとだけ、消化器が弱っているもよう・・・はやく完全復活しなきゃ!)、健康第一に、頑張って乗り切りましょう~!

Minitomato_2

これはほんもののミニトマト(千果ちゃん)。3兄弟です!

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

2012年8月24日 (金)

ユーモア、ユーモア!

オリンピックの寝不足から解放されたと思ったら(といっても、絶対にリアルタイムで見たいと思って早起きやらをしたのはバレーだけだったけれど)、また別の寝不足の日々がやって来つつある。

自分にとって好きな作業ができる、うれしい日々なのだけど。
そしてもちろん、夜に強くない私は自動的に眠ってしまうので、多少ふとんに入る時間が遅くなる程度で、無理をしようとしてもできず(笑)、元気なのですがね。

そんなとき思うのは、(唐突ですが)ユーモアって素敵だな、大切だな、ってこと。

これまでいろんな場面で、いろんな人を見てきて、そう思うことがよくあった。

ユーモアって、すごく大きな力になる。

ユーモアは、無敵だ。

どんなに忙しくても、苦しい状況に追い込まれそうになっていても、ふと、その人のちょっとしたユーモアで場の雰囲気が変わったり、重々しい問題がふっと軽くなるような、そしてその勢いでよくないこともよい方向に向かうような、そんな場面をよく見てきた気がする。

深刻なことを深刻に考えれば考えるほど、さらにその深みにはまってしまうことがあるけど、ほんのちょっとしたユーモアでちょっとだけでも気持ちに変化をつけることができれば、少しだけ、何かが変わるかも。
ただ、深刻な状況でユーモアを思いつくことはすごく難しいこと。だから、それができる人ってすごいと思うし、そういう人こそ、ズンズン前向きに人生を切り開いていける人なのではないかと思います。

・・・

というわけで(っていうまとめ方はかなり強引ですが)、

寝不足で体が重たい朝も、

玄関でだれも見送ってくれる家族がいなかろうとも、

「いってきマスク!」

ではじまる私の朝。

元気でるよ~、「いってきマスク!」 ぜひみなさんも言ってみて!

いつのことだったか覚えていませんが、ある日突然、母が口にした言葉です。

母は、会社でのいやなこととか、外のこととかは家庭に持ち帰らない主義の人だったから、(あ、それでもときどきは、グチも言ってたような気もしますが)、いってきますとただいまで気持ちを切り替えて、元気いっぱいにしたかったのかも。

そんな母から、ある日に来たメール↓

 あしたから旅行だぜぃ 友達がグリーン車をとってくれたんだぜぃ

 だぜぃ はいま流行りのスギちゃん あんたは知らないだろうけどね

(残念ながら、芸能関係や流行りのものにとても疎い私でありながら、スギちゃんのことは知っていましたよ!) 

なんなんだ、うちの母は。
でもしょうがない、これがうちの母なのだ。

とはいえ、たとえば自分が落ち込んでいるときにこんなメールがくると、その沈んだ気持ちが一気にふっとんじゃうんですよ。ユーモアは、何者にも勝っちゃうんだな~!

さらに、ある日突然、こんなふりかけがふってきた、じゃなくて送られてきたこともある
(ほんとうに、なんなんだ、うちの母)。
これ、ひとつひとつに描いてあるイラストと、「学生のつぶやき」っていうひとことコメントに、ほんとうに笑っちゃうんです。
お弁当タイム、一気に脱力。そして午後へのやる気がわいてくるのでした。

ユーモア、強し!

ユーモア、最高!

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

2012年8月17日 (金)

映画 『The Lady アウンサンスーチー 引き裂かれた愛』をみて

映画 『The Lady アウンサンスーチー 引き裂かれた愛』 をみました。

映画や本などの感想を述べるのがとても下手くそなわたしなので、うまいこと言えませんが、とてもとてもよかったです。

アウンサンスーチーさんの強さやあたたかさ、美しさ、女性らしさ。母親として、妻としての彼女のふるまい。その生き方すべてに心をうばわれました。

たとえば彼女のように、政治的な活動をするとか大勢のひとたちを率いる指導者になるなんてわたしには考えられないけれど、どうしたってぶれない彼女のように、自分もあんなふうに一本貫き通すものを持ってどこまでも強く生きていかれたら、と思いました。

引き裂かれても、引き裂かれても、それでもつながりつづける愛。

ドラマや映画じゃなくて、(って、これも映画ですね。でも実話ですからね)、現実に、こんなにも深い愛が存在するなんて。
途中から、どの場面を見ても泣けてしまって涙がずっと止まらなくなった。それはきっと、この映画にあふれる愛を心から感じたせいのような気がする。

たしかに、わたしが人並み以上に涙もろいということもあるけれど、でも、ただただ愛を感じることでこれだけ涙がこぼれてしまうなんて、そのことに自分でもおどろいてしまったんです。

愛なんていうことばは、わたしには使いこなせないし、軽い気持ちで口にできるようなものではないけれど、あぁ、こういうことのことを言うのねと、まったく未熟なわたしの心になにかが大きく広がるような感覚をおぼえました。

あまりにも残虐で、ここまで映像にしてもいいのかと思うほど直視できないような場面もありました。そういう状況で軟禁生活を強いられながらも、ひとびとを思いながら活動しつづけたアウンサンスーチーさんを心の底から尊敬します。

凛としたその姿や表情は、彼女の生き方そのもののようでとても美しかった。なにものにも屈することなく、彼女のなかにあるただひとつ大切なものを貫き通す力が、彼女全体を覆い尽くしていました。
かつて夫マイケルと贈りあった花であるといわれている髪飾りが華やかで素敵で、彼女の美しさをいっそう引き立てていて、ほんとうにきれいなかただなぁと見とれてしまいました。

(といっても、映画にご本人が出演されているわけではないのですがね。でも、アウンサンスーチー役のかたはほんとうに、さまざまな方向からものすごい努力をされたようです――ということが、映画公式ホームページ、こちらに書かれていました)

ちょっとした理由から、映画館にいくことが少しだけ得意ではないわたし。人に誘われて行ったのは別として、自ら映画館に行くことを決めて足を運んだのはたぶん5年ぶりくらい。

通常はそれほどに、映画へのアンテナが低い(それじゃいけないと思っているのですが)のですが、『The Lady』は、なにかの案内を見て、公開前から「絶対行こう!」と心に決めていたもの。

こんなわたしが、久しぶりに見た映画に対して急にあれこれ言うのも・・・ですが、とにかくほんとうに素敵な映画でした。刺激を受けました。(こういうのをにわかファン、と言うのでしょうか・・・そう言われてしまうのかもしれないけれど、)これからは映画をもっと見たいなと思いました。世の中にはきっと素敵な映画があふれているのねと思いました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2012年8月15日 (水)

夏の朝

けさも朝から、遠くで蝉の声が聞こえる。

何十ぴき(何百ぴき?・・・いったいどれくらいいるのだろ)もが奏でる落ち着いた重低音にのせてときどき、

ぴゅるりる りる りる

軽やかでかわいらしい鳥の声が聞こえる。

いいなぁ。夏の朝。

さまざまな蝉の声 鳥の声 虫の声 聴き分けられたらどんなに素敵だろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2012年8月11日 (土)

真夏の夜の散歩

月曜日に、「翻訳そぞろ歩き」というものに参加させてもらった。これは、仕事、学習など何らかの形で翻訳にかかわっているひとたちが集まり、ただただおしゃべりしながら一緒に街を歩くという企画である。

翻訳者になることを夢見て学習を続けている私。2009年の秋、実務&出版翻訳者のイワシさんによってはじめられた「翻訳そぞろ歩き」に私はこれまで数回参加させていただいたのだが、そのたびに「また参加したい!」と思わせてくれる、それはそれは素敵な企画なのだ。

今回は、上野駅発、山手線一周企画の第四弾として五反田駅~恵比寿駅を歩きました。

http://arukou-translator.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/86-48dd.html(主催者イワシさんの「翻訳そぞろ歩き」のブログです!)

いつもは土曜日か日曜日の昼間が多いのだけど、今回は月曜日の夜間の開催です。

* 

今日はそぞろ歩きだ♪

そう思うと、憂鬱な月曜日もなんのその。

ところが・・・。なんだか雲行きがあやしい。

次に気づいたときにはもう、ザーザー降りになっていました。

会社の昼休み、激しく降る雨を見つめ雷の音を聞きながら、どうか止みますように! と何度もお願いごとを唱えます。

「この雨は止むよ!」

大好きなそぞろ歩きのことは、以前から仕事仲間にも話していて、「今日はどこを歩くの?」「鎌倉どうだった?」なんて、聞いてくれます。だから、私と一緒に雨が止むことを願ってくれたのでしょう。

「どんぐりさん、ほらね!!」

夕方、窓の外を見てみると、あれほどどしゃ降りだった雨が見事に止んでいました。

真夏の夜の散歩、素敵でした。

五反田を出発して歩く川沿いの道。高いビルや建物の上に見える小さな空が赤く染まっています。ゆっくりゆっくり歩く私たちの歩調と同じように、辺りもゆっくりゆっくりと、静かに暗くなっていきました。

途中、きもだめし? と思ってしまうような暗く細い道の先のお寺に案内していただいたり、あともう少しで目黒駅、というところでは、ひとりじゃくじけそうになってしまいそうな急な坂があらわれたり。
遠くで、オレンジと白で存在をアピールする東京タワーがきれいに見えたり。

こんなふうに、夜の訪れが素敵なものであることを味わうことができたこと。
みなさまと一緒だからできたこと、発見できたことがたくさんあったこと。

通常は満員の山手線に乗って家に帰るところを、電車に乗らず逆方向に歩いたわけなのですが、それによってとても楽しい時間を過ごすことができました。

素敵な真夏の夜でした。

恵比寿に到着し、エスニック料理のお店で乾杯!

今回も、本当にいろいろお世話になりました。

楽しかったです。みなさま、ありがとうございました!

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2012年8月 4日 (土)

蝉と夏

蝉の鳴き声、真っ盛り、夏、真っ盛り。

いまが盛りのその蝉くん、わたしの家にも遊びにきてくれたんです。

夜、玄関の外の明かりの周りを勢いよく飛び回っている者がいまして。そいつったら、何度も何度も、玄関の扉やガラスの部分に体当たりするんです。ゴツン、ゴツンと、かなりの激しさで。

一瞬、私が大の苦手とするあの黒い虫がまたやって来たのか! と思って緊張したのだけど、正体は、蝉くんでした(・・・って、鳴き声から想像しただけであって、姿は見ていないから確実とはいえませんが)。なんとかして、家に入りたかったのかなぁ。分厚い扉やガラスを突き破ろうとしていたのだろうか・・・チャレンジャーだけど、部屋のなかに入れてあげることはこわくてできないの、ごめんね。

*

蝉の鳴き声をしっかり確認したのは8月2日のこと。

「あ、鳴いてるね」

仕事中に、仕事仲間と確認したのでした。

そうと気づけば、その帰り道も、街のあちこちでにぎやかな蝉の声を聞きました。

けさも、朝6:00、起きたときにはすでに、元気な蝉の声が響いていました。いったい朝何時ころから鳴いていたんでしょう。

どうしてあんなに激しく鳴くのかなぁと疑問に思って、調べてみました(これまでどうして疑問に思わなかったんだろう、わたし)。

おしゃべりすることができない赤ちゃんが、自分の思いを訴えようと必死で泣くのと同じで、蝉も何かを訴えるために鳴いているはず。

+++

正解は、オスがメスに自分の居場所を知らせるため、なのだそうです(鳴いているのはオスだけで、メスは鳴きません)。

親になった蝉の命は、わずか1週間から10日間ほど。その間に、新しい命を創りださなくてはならないから、朝から晩まで、それはそれは必死で鳴くのでしょうね。

+++

小学生のころも、中学生のころも、木がたくさんある通学路だったから蝉の声はとても激しいものだったことを覚えています。

中学校からの帰り道、あるとき友人が

「蝉の声 ミンミンミンミン うるさいな」

と一句、詠んだのですね (思ったことそのまま口に出しただけ、ですね)。

わたしは蝉の声が好きなので、そんなこと言わないで~! って反論したことを覚えています。

そう、わたしは蝉の鳴き声が好きなのです。

夏だぁーーーーー!!!

って思えるからかな。

それとも、わたしはメスだから、オスのその声に無意識に惹かれてしまっているのかも。いい声をしたオスには胸キュンですね。

*

蝉の声、真っ盛り。夏、真っ盛り。

オリンピックも、真っ盛り、ですね。

ひとりひとりの選手が、ほんの短い時間の競技に、精一杯の力を出し切る。なんだかちょうど、蝉みたいに。

8月はうれしいな。7月よりも、8月が好き。

夏だよ、夏だよ。思いっきり夏だよー!

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

2012年8月 2日 (木)

孤独であること

‐‐‐

孤独はよいものです。自分自身と平和のうちに生き、何かなすべきしっかりとしたことがあれば。
 『ゲーテ格言集』(高橋健二編訳) 

東京新聞 2012. 8. 2 けさのことば(岡井 隆)より

‐‐‐

このことばに、『孤独のよさを噛みしめるように言っている。自分自身と争うことなく平和な状態をつくりだすことの大切さ。何か成すべきこと」を持っている必要性』 と、岡井隆さんの解説が加えられている。

『孤独』ということばは、プラスよりもマイナスのイメージをもつものとして捉えられることが多いのかなぁ。

私は、プラスにもマイナスにも思える。けれど、孤独は、なくてはならないものだと思う。必要なものだと思う。そもそも、生きている以上は常につきまとうものだと思う。

孤独を思いきり味わいたいときもあるし、孤独からどうにかして逃れたいと思うときもある。

でも、孤独をたのしむことは好きだな。それはまさに、上にある「自分自身と平和のうちに生き」、「何かなすべきしっかりしたこと」があるという条件つきなのだけど。

けさ、このことばを読んだとき、詩がみっつ、頭に浮かんだ。

  ひとりぼっち     谷川俊太郎 

だれも知らない道を通って
だれも知らない野原にくれば
太陽だけがおれの友だち
そうだおれにはおれしかいない
おれはすてきなひとりぼっち

きみの忘れた地図をたどって
きみの忘れた港にくれば
アンドロメダが青く輝く
そうだおれにはおれしかいない
おれはすてきなひとりぼっち

みんな知ってる空を眺めて
みんな知ってる歌をうたう
だけどおれにはおれしかいない
そうだおれにはおれしかいない
おれはすてきなひとりぼっち

この『ひとりぼっち』は、ひとりで散歩しているとき、まるでメロディーが流れるように頭のなかに浮かんでくる大好きな詩です。

谷川俊太郎さんからもう一編。

* *

  ひとり  谷川俊太郎

ぼくはひとりでいるのがすき。

せんせいは ともだちと あそびなさいと いうけれど、

ともだちは ぼくをいじめる。

おとうさんは おとこのこなら つよくなれと いうけれど、

ぼくは けんかなんか したくない。

おかあさんは みんなと なかよくしろと いうけれど、

ぼくはぼくだ みんなとちがう。

これは ぼくのて。

これはぼくのかお、
なまえはよしお。

あのこも よしお
でも おんなじなのは なまえだけ。

ぼくという にんげんは
ひとりしかいない。

ひとりでも ぼくは ひとりぼっちじゃない。

ぼくは とんぼと ともだち、

かぜと ともだち、
そらと ともだち、
ほしと ともだち、

うらしまたろうも ぼくの ともだち、

ぼくの みるゆめを だれも しらない。

みんなの じゃまを しなければ、
ひとりで いたって いいじゃないか。

ぼくを ほっといて くれ!

* *

二編とも、『谷川俊太郎 詩集 いしっころ』 岩崎書店 より。

学校って、いま思えば、ほんとうにシビアな場所だなと思う。常に友達と仲良くして、にぎやかにしていなきゃいけなかったのかなぁ。今日は外でドッチボールをするんじゃなくて、ひとりで静かに本を読みたいなぁ、・・・そんなふうに思っている子はきっといたんじゃないかなぁ。

でもきっと、ひとりぼっちでいると、「あの子は友達がいなくてさみしい子なんだ」ってみられちゃうし、先生からは「どうしてみんなと一緒に遊べないの?」って、注意されちゃうかもしれないからね。

みんなみんな仲良しさんになることがいいことで、ひとりでいるのはよくないこと。そういう考え方に知らぬ間に染まってしまう場所だったのかもしれない・・・なんて思ってしまう。
思い出せば、自分は大勢でわいわいするようなタイプではなかったし、常にだれかと一緒に行動したいとは思わなかったけれど、無意識に、ひとりにはなりたくないと思っていた気がする。だれもがどこかの仲良しグループに所属していて、そこから外れないように必死だったのかもなぁ。「孤独」なヤツ、だと思われないように、ですね。

もう一編は、茨木のり子さん。

* * *

 一人は賑やか  茨木のり子

一人でいるのは 賑やかだ
賑やかな賑やかな森だよ
夢がぱちぱち はぜてくる
よからぬ思いも 湧いてくる
エーデルワイスも 毒の茸も

 (中略)

一人でいるのは賑やかだ
誓って負けおしみなんかじゃない

一人でいるとき淋しいやつが
二人寄ったら なお淋しい

おおぜい寄ったなら
だ だ だ だっと 堕落だな

恋人よ
まだどこにいるのかもわからない 君
一人でいるとき 一番賑やかなヤツで
あってくれ

『おんなのことば』茨木のり子 童話屋 より

* * *

そう、そうなのだ。一人はとても賑やかなものなのだ!

一人で賑やかにしていられるのなら、もうなにもこわくないな、きっと。

孤独がこわくてたまらないときや、逃れたいと思うときというのは、『自分自身と平和のうちに生き、何かなすべきしっかりしたことがある』 のとは逆で、自分自身と争い疲れ果て、なすべきことがわからず、ただだれかに寄りかかりたいと思っているときなのだろう。

だれもが孤独。友達が多い人も少ない人も、話し上手な人も話しべたな人も、生きている以上、だれもが孤独なのだと思う。

他人とまったく同じ気持ちになることはできないから。いくら、共感してるとか、その気持ちわかるよ、とか言っても、ぴったり同じ気持ちになることはできない。そういう人がいてくれることによって、孤独であると思う気持ちがいくらか和らぐかもしれないが、やっぱり孤独は孤独なのだ。自分で向き合っていくしかない。

だからこそ、孤独であることを受けとめて、たのしんでゆけたらと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

« 2012年7月 | トップページ | 2012年9月 »