恋愛

2011年11月 5日 (土)

温泉で

温泉に行ってきた。

といっても、街なかにあるスーパー銭湯(でもお湯は、ちゃんと湧き出た温泉の湯)のようなところである。

せっかく元気が戻って来たので、それをもっと確かなものにしようと思い立ったのだ。そういえば、数年前には、10日に1度くらいの頻度で温泉に行くマイ・オンセンブームがあったことも思い出した。そのころ岐阜市に住んでいたのだが、車を走らせれば1時間以内で行くことができる村の温泉が、まわりにいくつもあった。山のなかにある露天風呂はとにかく気持ちよく、周りの風景や空を見上げてよく現実逃避をしたものだった。

都会に出てきて、はじめての温泉だ。家から徒歩約50分。ようやく到着し、わくわくしながら大浴場に足を踏み入れた。

広々とした浴槽と、「エステバス」などなど充実したコーナーがいくつもあり、順々に堪能していった。
最も楽しみなのはやはり露天風呂。温泉の湯はやわらかで、くすんだゴールドと言ったらいいのか、素敵な色をしていた。

「薬湯」というコーナーがあった。そこは小ぢんまりとしていて5,6人も入ればちょっと窮屈そうなところ。すでに3人入っていたから少し躊躇しつつも、やっぱり入ってみたくて、思い切って足を踏み入れた。

あぁ、・・・とってもいい気持ち。

隣にいた、自分の母親よりもやや歳上に見える女性と目が合い、思わずほほ笑む。
と、女性が話しかけてきた。

女性 「ひとりで来たの? 学生さん?」

私  (きゃー!! 学生さんだなんて。どうしよう、ここは学生で通すべきか、と思いつつ)
    「いえいえそんな! 30すぎてます」

女性 (驚きながらも、ズバリと次の言葉)
    「ご結婚は?」

私   「いえ、独身ですので、まあ気ままに、こんなふうに(さらににっこり笑ってみせる)」

そのあとも、よく来るの? どちらから? いまはお勤めなさってるの? 今日はお休み?  あなた、誠実そうだからきっと、医療関係のお仕事でしょう(←すごい! なぜわかる。・・・まあ、健診施設の「事務」ですけどね。でもそこは内緒にして「大当たり!」って言いました)。女性は一通り私を質問攻めにしたり誉めてくれたりしたあと、さらにつづけた。

女性 「いまが一番いいときねぇ。私は結婚が早かったんです。20代の初めにもう子どももふたり産んでいて。そのときは苦労したわね。でも30になるともう、子どもは学校行っちゃて楽になったんですよ」

ふむふむ。そうなんですかぁ~。私は30超えて独身、子なし。人生いろいろですよね。こんなふうに、自由気ままにやりたいことをやらせてもらっていること、本当に感謝しなくちゃなあ、と思う。

・・・

振り返れば、20代前半というか10代終わりというか、私もとにかく早く結婚したいと思っていたな。でもその「結婚したい」は、好きなひとと一緒になりたいというよりも、「家族を自分でつくってみたい」という好奇心のようなものだった気がする(もちろん、いまの家族だって、自分が生まれてきたことによって「家族をつくる」ということに参加しているに違いないのだけどね)。自分で結婚して子どもを産んで、家族をつくるって一体どんな感じなんだろう、という興味が当時の私にはすごくあったのだ。

けれどもなぜだか機会を逃し、仕事や毎日のいろいろに没頭しているうちに、結婚したいと思っていた年齢よりもすでに10個くらい歳をとっている。これは驚きだ。

それと同時に、気持ちにも変化が生まれていることに(きょう)気づいた。

いまは、「家族をつくってみたい」というよりも、「一緒に人生を歩んでいけるひとがいたらいいな」という気持ち。20代のころのように「結婚したい!」という感じではなくてね、なんていったらいいんだろ・・・。

たとえば、結婚したいから婚活(こんな言葉、昔はなかったですね)する、もちろんそれも素晴らしいことだと思う。自分の思い描く人生を積極的に切り開いていくことは素敵だ。

でも私は、もうちょっとゆるゆるかなぁ。日々出会う人を大切にするなかで、一緒にいたいなぁと思えば一緒にいる。そうして、いつまでも寄り添いあっていきたいなぁと思えば、結婚ということにもなるのかもしれない。

お互いに、どこまでも寄り添いあえるひと。どんなことがあっても大丈夫な存在がいたら、生きていくうえで強いだろうなということを、思う(いまの家族は、もちろん別格で、ですが)。何歳になってもいい(もちろん早いほうが一緒にいられる時間が長くなっていいけれど)。極端にいえば、死ぬ1年前でもいい。そういうひとと一緒になれたらいいなと思う。

友人が結婚していくこと、それ自体、めちゃくちゃ嬉しい。でももっと嬉しいのは、相手のことが好きでしかたがないことや、相手が自分のことを思ってくれているというラブラブ話を聞くこと。私は、他人のラブラブぶりが大好きなのだ。電車ですわって寄り添いあう学生カップル、ホームで抱きしめ合う男女、仲むつまじく手をつないで散歩する老夫婦、などを発見すると嬉しくて思わず見とれてしまう(←コラコラ)。

だって、嬉しいじゃないか。そういうひとがいるってこと。

なんてことを、きょう偶然にも温泉で出会えた女性とのやりとりから、考えてしまったのでした。

「どうぞ、お元気で」 女性と私は、お互いに、そう言ってお別れした。人生、いろいろ。素敵な出会いだった。

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2011年6月12日 (日)

ねがい

もう半年以上まえのことなのだけど、学生時代に私がとても好きだった人に、数年ぶりに再会した。といっても、ふたりきりというわけではなく大勢のなかの一人として、なのだけど。

彼は私の2つ上の先輩だった。思いを伝えたけれど、うまくはいかなかった。当時の私には相当大きなダメージで、家族のまえですら、あふれる涙を止めることができなかった記憶がある。

その再会は、ほかでもないその人の結婚が決まったことをお祝いする集まりの場だった。私は別の用事のため途中からの参加。急いで店にかけつけた。・・・が、ちょうど一次会が終わってしまったようで、それらしき人たちが店から出てくるところだった。

彼がいた。ドキドキした。向こうも、私に気づいた。

「久しぶり!」

私はそう言って、右手をすっと差し出した。向こうもすぐに私の手をとり、にっこり笑って握手をしてくれた。

「結婚、ほんとうにおめでとう」

心のモヤモヤは、もうまったくなかった。お互いにためらうことなく笑顔で握手をし、まっすぐ前を見て言葉を交わせたことがとても嬉しかった。彼が結婚するということが、心から嬉しいと思えた。

もうすぐ奥さんになる方が店から出てくると、彼は奥さん(になる人)に、後輩だよと私のことを紹介してくれた。やわらかであたたかい雰囲気の方で、少し会話をしただけでも、やさしい人柄が伝わってきた。ますます、私は嬉しくなった。ほんとうに、お似合いのふたりだ。おめでとう、本当によかったね。しあわせになってねと、心から言えた。

*

好きな人と一緒になれないのは、自分にとってとても悲しいことだ。
でも、好きな人には、しあわせでいてほしい。その人がもっとも輝ける生き方をしてほしい(なんだか偉そうな言い方ですが・・・)。私がその人に近づくことができないということは、逆に、その人をもっと輝かせる別のだれかや別の事柄が必ずあるはずなのだ。

だから、人を好きになるということは、自分と一緒になってほしいとただ必死になることではなくて、その人が輝いていられますようにと願うことなのかもしれないなと思う。

好きな人が輝いているととっても嬉しい。好きな人が元気でいること、ただそれだけで私も元気になれる。

元気でいよう。相手だって、私が悲しい顔で過ごしているよりも、元気いっぱいに笑っていたほうがきっと嬉しいと思うから。前を向いて、新しい場所へ歩き始めたことを知ったら、絶対に喜んでくれると思うから。

恋する気持ちは消さなくてはいけないのだとしても、本気で好きになった人のことはきっとこれからも、人として、大好きでいつづけるような気がする。たとえばだけど、もし私がほかのだれかと結婚することになったとしても、新しく恋人ができたのだとしても、ずっと心のなかにいつづけるのだと思う。心のなかの私しか知らない小さな場所で、キラキラとひかりつづけるのだと思う。

元気でいてね。頑張ってね。もっともっと、輝いてね。心から、そんなことを願う。
私が好きになる人というのは、最高に素敵な人。なんてったって、この私が好きになるくらいなんだから(なんという、自分勝手な自信過剰・・・)! だから、絶対に、もっともっとキラキラした人生を歩んでいけるにちがいない。

私も、あなたに負けないように頑張る。いつか、負けないくらい輝いてみせる。

好きでいたときの弾むような気持ちと一緒に、あなたがくれたやさしい気持ちや励ましの言葉、笑顔や喜びなど全部、心のなかの小さな箱にしっかりとしまったよ。好きになることができて本当によかった。ありがとう。これからまた新しい気持ちで、頑張ります。

1

きょう見たアジサイ。やさしいやさしい、ももいろとふじいろ。

2

もっともっと、やさしいいろ。

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2011年5月31日 (火)

気持ちの居場所

心が不安定な状態というのは、自分の気持ちがきちんとおさまる場所がないってことなのかなぁと思う。

宙に浮いたまま、どこへも行けずにずっとさまよい続けているような――帰る場所が、わからない。見つからないのだ。

でも、いまはわからなくても、いつか、そのうちに、必ずわかる。いそがなくたっていいのだ。いまは、そういう気持ちも大事にして、ゆっくりあるいていけばいい。

***

 南の絵本   岸田衿子

いそがなくたっていいんだよ
オリイブ畑の 一ぽん一ぽんの
オリイブの木が そう云っている
汽車に乗りおくれたら
ジプシイの横穴に 眠ってもいい
兎にも 馬にもなれなかったので
ろばは村に残って 荷物をはこんでいる

ゆっくり歩いて行けば
明日には間に合わなくても
来世の村に辿りつくだろう
葉書を出し忘れたら 歩いて届けてもいい
走っても 走っても オリイブ畑は
つきないのだから
いそがなくてもいいんだよ
種をまく人のあるく速度で
あるいていけばいい

『いそがなくてもいいんだよ』 岸田衿子 童話屋 より

***

さまよっているあいだは、そういう不安定な心が、涙や苛立ちや焦りなんかに姿を変えることもあるかもしれない。でも、きっとそれも必要な道のり。そうしていつか、「よく来たね。きみ、ここにいていいよ」と言ってくれるような、気持ちがすっぽりおさまるところ、安心できるところが見つかるはず。

「いそがなくたっていいんだよ」 オリイブ畑の木が、見守っていてくれるのだ。そして、「オリイブ畑は、つきない」のだ。

重たい荷物は背負わずに。ただ自分のはだかの気持ちだけで、ゆっくり、ゆっくり、あるいてみよう。

きょうの大発見。階段をのぼるとき、スキップ、とまではいかないけれど、つま先で弾むようにのぼると、気持ちがとっても弾みます♪ 楽しくってしかたなくなります。・・・ただそれだけです。職場で、駅の階段で、アパートの階段でためしてみましたが、あまりの効果にびっくりです。

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2011年5月17日 (火)

心のお守り

心を送りあう。

たとえ直接会えなくても――顔を合わせなくても、声を聞かなくても、肌をふれあわすことがなくても、心を送りあうことはできる。

私の送った心を、相手が受けとめてくれた。そして、相手の送ってくれた心が、私にしっかりと届いた。もう不安じゃない、大丈夫だって思えた。相手の心は、私の胸のなかにいてくれる。私も、相手のもとに届くように、これからもずっと心を送りつづける。

そのひとがくれた心のお守りを大切に握りしめていれば、きっと大丈夫。会うことが叶わなくても、遠く離れていても、心を送りあうことはできるのだ。

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2011年2月16日 (水)

あいしてるって・・・

月曜日はバレンタインデーだった。朝、職場に行ってみると、なんと私の机の上に手のひらサイズのハートピーナッツチョコが置いてある。

キャー! ドキドキ。まさか、この私にひそかに想いをよせているひとがいたなんて。

・・・なーんてはずもなく、職場仲間の女子がプレゼントしてくれたのでした。かわいくラッピングした手作りの焼き菓子をくれた子も! 昔は本命チョコと義理チョコぐらいしか聞かなかったけれど、最近は、友チョコ、逆チョコ、感謝チョコ、いろいろあるみたい。

どれもこれも、ありがとうっていう気持ちや愛する気持ちをチョコと一緒に相手に渡しているのだね。

愛する気持ちって、どんな気持ちなのでしょう。なんだか唐突だけど、今日は愛について語ってみたいと思います。
・・・なんてこと、私にできるはずないよ! そんなの、これっぽっちもわかっちゃいない。この私が、「愛」なんて言葉を口にすること、それだけでウソっぽい。わかることなんてできそうにも思えない(でもどこまでも追い求めはする)。一生かけてもきっと、「愛とはこういうものだ」なんて言えないのだ。

***

 あいしてる   谷川俊太郎

あいしてるって どういうかんじ?
ならんですわって うっとりみつめ
あくびもくしゃみも すてきにみえて
ぺろっとなめたく なっちゃうかんじ

あいしてるって どういうかんじ?
みせびらかして やりたいけれど
だれにもさわって ほしくなくって
どこかへしまって おきたいかんじ

あいしてるって どういうかんじ?
いちばんだいじな ぷらもをあげて
つぎにだいじな きってもあげて
おまけにまんがも つけたいかんじ

『みえる詩 あそぶ詩 きこえる詩』はせみつこ 編 飯野和好 絵 冨山房 より

***

うんうん、こういう、どういうかんじ? ってのなら、よくわかる。
そう、こういう気持ちは、私だけが知っている心の奥の一番ひみつの場所に、大事に大事にしまっておきたいものなのだ。なんだか、もったいない気がして。

++

さてさて、あいしてるってどういうかんじ? 

・・・私の場合は、こういうかんじです。

「足元に咲いた小さな春を 一緒にしゃがんで愛でたいかんじ」

「いちばん大事な言葉はしまって つないだその手でつたえるかんじ」

「押し花みたいに本にはさんで ときどきとり出しながめるかんじ」

このへんでやめておこう。なかなかはずかしいのだ。あいしてるって、心の一番やわらかいところに生まれる感情だから、ひとそれぞれ違っていてとっても特殊なものだと思う。みんなはどんなかんじなのかなぁ・・・。

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2010年10月17日 (日)

大根おろしのように

先日友人と魚定食のお店へ行った。その辺りでも評判のお店のようで、店の外には数人の行列。外に貼り出してあるメニューを見て待つことにする。定番のさば塩焼きやブリの照り焼きもいいけれど、そのほかにもいろいろあるね。煮付けもおいしそうだし、何にしようか・・・などと話していれば、行列なんてあっという間。

席につき、友人は銀だらのみそ焼きを、私は銀だらの照り焼きを注文。

料理が運ばれてきた。早速ひとくち・・・、おお、銀だらよ、なんておいしいんだろう! 甘くて程よくやわらかくて上品で、極上の味がする。

友人と私はあまりのおいしさに感激し、店を出たあとも魚のおいしさについて話し合った。そこで、あの銀だらのおいしさは、銀だらそのもののおいしさには違いないわけだけど、もうひとつ、決定的な存在があったことに気づいたのだ。それというのは―。

そう! 大根おろし。

魚の隣に添えられたそれに少ししょう油をたらし、なじませる。すると銀だらの甘みがよりいっそうひきたつのだ。あの大根おろしがなくては、私たちを感動させるまでには至らなかったに違いない。水分が多すぎてべちゃっと寝そべっている(私が家で作るとこんな感じ)のではなく、程よい水分を保ったそれは力強く凛とした姿で銀だらの脇に立っていた。

大根おろし。決して華やかではない役柄だけど、主役の脇でそっとひかえて待ち、ここぞという時に主役のよさを最大限に引き出す。でも決して彼女(または彼。性別不明)は脇役ではないと思う。こうして私たちの心に感動をもたらしてくれた彼女(または彼)の存在は大きい。魚となじんた時点で、彼女(または彼)も同時に主役になったに違いない。

美しい、大根おろし。私も大根おろしのようでありたい―。

***

ふゆのさくら     新川和江

おとことおんなが

われなべにとじぶたしきにむすばれて

つぎのひからはやぬかみそくさく

なっていくのはいやなのです

あなたがしゅろうのかねであるなら

わたくしはそのひびきでありたい

あなたがうたのひとふしであるなら

わたくしはそのついくでありたい

あなたがいっこのれもんであるなら

わたくしはかがみのなかのれもん

そのようにあなたとしずかにむかいあいたい

(後略)

詩集『比喩でなく』 より

***

あなたが旬を迎える秋刀魚であるなら

わたしはその傍らにひかえる大根おろしでありたい

―秋刀魚のおいしいこの季節。こんなことを思いながら・・・。

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