家族のこと

2012年5月13日 (日)

母の日に思うこと

もう何年も前のことだけど、母がある一枚の写真を見せてくれたことがある。

小学1年生(だったかな)の母が映っているクラスの集合写真。

30人くらいいるうち、母は最前列、担任の先生の隣に腰かけていた。

「ほら、お母さんね、貧乏だからひとりだけ、靴下はいていないでしょう」

ほんとうだ。母だけ、はだしだった。

母の家はほかの子と比べてもずっと貧しかったそうだ。たとえ家庭訪問があるといっても、母の両親(祖父母)は仕事に出なければならず、実現できないこともあった。あまりにも貧乏であることが、学校の先生の母に対する態度までをも変えてしまったこともあったそうである。家族4人は、たったひとつのとても狭い部屋で暮らしていた。

それでも、写真のなかの母は、ほかのだれよりもいい笑顔をしていた。思いきり歯を見せてにっこりわらっていた。集合写真だからなのか、先生をはじめ子どもたちの表情は固く、母みたいにわらっている人なんてほかにはいない。

母はただ、そういうことをわきまえず無邪気すぎただけなのかもしれないけれど、その笑顔は何かの賞をあげたいくらい素敵だった。いまでもその笑顔は私の頭のなかにしっかりと焼きついている。

生活は貧しくとも、きっと、いつでも精一杯の笑顔でいようとしていたのだろうな。何があっても元気に笑っていれば平気だよ! 写真のなかの母から、そんな声が聞こえてきそうだ。

*

そんな母は、私が小学校に入学したあと、外に出て働くようになった。私は鍵っ子(←なつかしい、この響き)だった。それ以来ずっと、働きつづけている。

私が何不自由なく暮らすことができ、学校にも行くことができたのは、母が(もちろん父も)働いていてくれたおかげだ。大好きなピアノも習わせてくれた。習い始めた当初はオルガンで練習していたけど、途中でピアノも買ってくれた。

いまの私の年齢のとき母はすでに私(たぶん4歳かな)と姉を育てていたのだ。

それを考えるとますます感謝の気持ちがあふれてくる。

いまの私は、自分で稼いだお金を子どものために使うわけではない(子ども、いません)。自分で稼いだお金を、自分のために使っている。自分につぎこんでいる。ほんとうに、やりたいように生活させてもらっているのだ・・・。

お金のことだけじゃないけれど、33年間、母からもらいつづけているものを、生きているかぎり少しでも多く返したい。母も私も、生きている時間、一緒にいられる時間はかぎられている。いまこうやって自由にやらせてもらっている時間を、もっと大切に過ごさねばと今日あらためて思う。

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2011年9月19日 (月)

スーパーおじいちゃん&おばあちゃん

夕方、名古屋に住む祖父母と電話で話をした。

昨年の敬老の日。朝のテレビ番組で見た「敬老の日に子や孫にしてもらいたいことランキング」。その一位が、「電話をかけてきてほしい」だった。その日、さっそく実行した。

今年も、やろう。

祖父母とは一緒に住んでいたわけではなく、年に1、2回合う程度だったから、久しぶりに電話をするのもとても緊張するものだ。用事がないのに好きな人に電話をかけようとするときと同じで、相手が一体どんな調子で電話にでてくれるのか、ドギマギしながらボタンを押す。でも大丈夫、今日は「敬老の日」なのだから――なんて理由をつけて気持ちを落ち着かせながら・・・。

じいちゃんが出た。元気そうな声。でも、私が「元気?」と尋ねると、「まあまあ元気」と少しはっきりしない返事。どうやら、腰が曲がってしまい痛みもあるらしい。

「でも動かなぁかんで、グランドゴルフ行ったり、畑やったりしとる。今日はまた、耕して種をまいてきた」

まいた種は、ブロッコリー、カリフラワー、白菜などで、冬にも収穫できるのだそう。少し前にまいた大根は、今日芽を出していたんですって。

「昔は、野菜も果物もようけ作っとったけどなぁ」

「そうだね! おじいちゃんの桃やいちじく、大好きだった」

「いちじくは、いまなっとるけど、鳥がつっついてまうんだわ。朝、はよ行きゃあええけど、鳥のほうが早いで。ああええかなーちって見るとよ、裏に穴があぁとるでかんわ」

じいちゃんは、今年で90になった。

90になっても、趣味で畑をやりつづけている。車も運転する。スポーツもやる。昨年遊びに行ったときも、私を車に乗っけて畑に連れて行ってくれた。

ちょうど2年程前、甲状腺に大きな病気が見つかり、じいちゃんは手術を受けた。担当のお医者さんによれば、じいちゃんほどの年齢の人が手術に耐えるのは難しいのだという。それを見事に乗り越えてあっという間に退院。驚異的な回復をみせたじいちゃん。

「たきゃあ(高い)声が出んくなってまってな」
手術後に会いに行った時、首に残る傷あとを指さしながら、カラオケ好きのじいちゃんはちょっぴりさみしそうにそう言っていた。ほんとうに、スーパーおじいちゃんだ。

「ばあちゃん(86)は元気?」と聞いてみる。

「ばあちゃん、いま、デイサービスから帰って来て、ごはん食べとる。でもいつもちょっと食べてすぐ、「じいちゃん、もう寝てもええ?」って言うんだ。で、夜中にわしの手をひっぱって、「じいちゃん、トイレ」。で、戻ってふとんかけてやるとよ、暑いっちってはねとばす。クーラーの温度調節したり、扇風機の風が直接当たらんようにしてやったりしとるわ」

じいちゃん・・・。

母や母の兄が頻繁に行くけれど、普段はこうして、小さな家でふたりきりで暮らしているじいちゃんばあちゃん。ずっと一緒にやってきたばあちゃんに対するじいちゃんの愛情と、それを受けとめてじいちゃんを心から信頼するばあちゃんの気持ちが伝わってくるようで、じーんとしてしまった。同時に、弱音なんて絶対言わなさそうなじいちゃんが、今日の会話で少しだけぽろっとこぼしたのを聞いて、じいちゃんがとても大変な思いをしていることもわかった。

ばあちゃんに電話をかわってもらった。「ばあちゃん、元気?」と私が言うと、

「ああ、どんぐりちゃんの、いい声が聞こえる。じゃあ、じいちゃんにかわるね」と、ばあちゃん。

あぁー! 待って、ばあちゃん。全然会話してないやんか。と思ったけど、元気そうなばあちゃんの声がひと言でも聞けてとても嬉しかった。

ほんの10分くらいの会話だったけど、ふたりからすごく元気をもらった。なんてったって、スーパーおじいちゃん&おばあちゃんだものね。

また会いに行くね。いつもありがとう。

どうかこれからも、元気に、長生きできますように。

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2011年7月 5日 (火)

ドーナツブームに揺れ動く気持ち

わたしの姉の夢は、いつか、シフォンケーキを主役としたカフェを開くこと。

そんな姉とわたしとの最近のやりとり(メール)。

++

<姉>    最近、ドーナツ屋さんがブームらしいな。本で見たんだ。
         私もドーナツ屋をやればよかった。ドーナツ研究しとくべきだったかな。

<わたし> うむ。ブームね、確かにね。焼きドーナツやらなまドーナツやら。
       行列も見かけるね。

<姉>      コーヒー&ドーナツの店。ドーナツは食事にもなるしなぁ。方向性を間違えたな。

<わたし> ドーナツやりたいならいまからやればいい。

<姉>      コーヒー&ドーナツはみんな好きだろ。あの形も平和な感じだ。
          今から研究しても遅いしどうしようかな。シフォンカフェ危機だ。

<わたし>  新しい考えが出てきたらいつでも変更したらいい。

<姉>       シフォンを15年研究してるからな。見捨てるのもおしいな。
          何がやりたいのかわからんくなった。今度はピーチシフォン作る予定なんだが。

<わたし> 作ってていちばん自分が楽しいものと思えるものにしたらどうだ。
             じゃないとつづかんだろ。

<姉>      自信があるのはシフォンだ。
         誰にも負けたくないと思って開発するからな。

<わたし> おお、じゃあそれで行こう。まちがいない。

++

焼きドーナツや生ドーナツ、召し上がったことはありますか。私は食べたことがないのですが、どんな食感でどんな味がするものなのでしょう。私はブームに乗り遅れてしまう人で(もったいない・・・)、ずっと前からとても話題になっているドーナツ店などにもいまだに行ったことがないのですが(ああ、でも大好物の大福なんかだったら飛びつくかも!)・・・。
春に上野駅構内の工事が終わって新しいお店がたくさん登場したなかにも、ドーナツ屋さんがあります。毎日、行列しています。やっぱりみんな、ドーナツが好きなのですね。

ドーナツって、見ているだけでなんだかウキウキしてきますしね! 楽しいよね、かわいいよね!

と、ドーナツの話はいくらでもふくらみそうなのですが・・・ちょっとストップして。

今回のお菓子づくりの話に限らず、ときどき姉から、「やっぱりこうすればよかった」などというややネガティブなメールが送られてきます。少しやりとりをすればおさまるのですが。

ドーナツブームを目の当たりにして揺れ動いた心も、どうやら落ち着いた様子。たぶんもともと、「シフォンケーキをやりたい」という強い気持ちが心のなかにあるから、いろいろ揺れ動くけど最後にはそこに帰りたくなるのかもしれない。
ちゃんと継続して研究していたということや、誰にも負けたくないという気持ちがあったということが意外で、私はちょっと驚かされたのでした。うん、シフォンでもなんでも、やりたいことが実現できるように全力で応援するよ~!

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2011年6月21日 (火)

父の日に思った父のこと

ひと月まえの母の日に母のことを書いたので、父の日には父のことを(もう2日も過ぎてしまったけれど)。

父は、あまり料理をしたがらない母とは反対に、料理が好きだ。いろいろと作っては、私たちに「食べろ、食べろ」を連発する。でもとてもおいしい。かなり大ざっぱで雑なところもあるが、料理のセンスがあると思う。

作ってくれるものは、焼き魚や煮魚が多い(父も、私たちも魚が大好き)が、母の好きなさつま芋の天ぷらやかき揚げ、炊き込みご飯にお好み焼きなど何でもあっと言う間に作る。ただし、肉がメインの料理は我が家の食卓にはめったに登場しない。焼きそばに入るのも、肉の代わりに焼きちくわ。牛肉なんてものはまず見かけない。年に一度くらい、父が張り切ってステーキ用の肉を買ってきたり、正月にすき焼きをやったりするくらいだ。

肉の日は、父の「食べろ、食べろ」にますます力がこもる。うんうん、食べとるで、と言うのだけど、父にとっては、子どもに牛肉を食べさせるということがよっぽど重要なことのようで、お皿をどんどんこちらに寄せてくれる。

小学校高学年くらいのときだったと思う。ある日、父に焼き肉屋に行こうと誘われた。母は肉が得意ではないのでパス。姉も興味を示さなかった。というわけで、父と私のふたりで行くことになった。それも、父の職場の近く、電車で一時間以上もかかるところにあるお店らしい。うまい焼肉屋にどうしても私を連れて行きたい。うまい肉を食べさせてやりたい。そういうことだ。

店は、高級店でもなんでもなく仕事帰りのサラリーマンたちが集うような庶民的で小さな居酒屋のようなところだった。周りは父と同じくらいの年齢の男性ばかり。小学生の女子というのは場違いな気がして、体が縮こまってしまう。でも父が、嬉しそうにどんどん肉を焼いてくれる。確かに肉はとてもおいしかったのだろうけど、その肉の味よりも何よりも、「食べろ、どうだうまいだろ」を繰り返し、私がおいしいと言うと満足げな表情でビールをのむ父の姿が、ほどよく焼けて香ばしいにおいを放つ焼き肉のようにいまでも私の心に焼きついている。

父の日には、この夏少しでも涼しく過ごせるようにと思い、スポーツ用のメッシュのTシャツを贈った。とてもささやかなものだけど。私と似て散歩好きな父であるが (と言いますか、私の散歩好きは父から譲り受けたもの。気の向くまま足の向くまま、父とは近所をよく散歩したりつくしを採りに行ったりしたものです)、あれほど散歩好きだった父が、最近は体調がすぐれず出かけようとしない日も多いとか。涼しげなTシャツを着て、少しでも外に出かけてもらえるといいなぁということを願って。

女子には必ず訪れる(と私が勝手に思っているだけなのかもしれないが)お父さん嫌いの時期が、私の場合は20代前半にやって来た(遅いのかな。そして、ふと疑問・・・男の子にも、お母さん嫌いになる時期があるのかな)。そのまま私は家を出てしまったので (言いわけだけど)、実はいまでもその名残であまりうまく言葉を交わすことができない。
姉から、「荷物が届いた。お父さんがありがとうと言っていたよ」とメールが来た。「寝る前にトイレいったときの横顔が喜んでたよ」と。

そうやって言われるとやっぱりちょっとだけ嬉しい。父がいまでも私の父であって、家族としてつながっていられてよかったと思う。何度も家庭の危機があってバラけてしまいそうになったときもあったけど、あのときは何も考えられなかったけれど、当たり前のようだけどちっとも当たり前ではない家族が家族のままでいられてよかったと、いまはちゃんと思える。

どうかこれからも、元気でいてくれますように。

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2011年5月15日 (日)

うずまきクッキーパワー

この土、日は最高のお天気。いつもの散歩道、いまは色鮮やかな花も咲いているし、足取りも弾んだ。でも、家に戻ったら、最近くもり気味だったその気持ちがまたよみがえってきてしまった。
こういう気持ちにとらわれることなく過ごすにはどうしたらよいか。

部屋をすみずみまで掃除して、キッチン台を磨いてみた。切干大根を煮てみた。とれかけのボタンをつけなおした。勉強は、集中できなかった(だめじゃないか!)。植物の種をまいた。頂き物の土つきごぼうをきれいに洗い、包丁の先でひたすら皮をこそげとった(これは、無心になることができてなかなかいい)。どれもこれも、一時的に気を紛らわしてくれたが、でも手をとめるとまたその気持ちがよみがえってくる。なかなかうまくいかない。

と、そんなとき。

「うずまきクッキー作った。 ひといろはうまく模様ができずに失敗だ」

Photo_3

こんな、写真付きのメールが送られてきた。

Photo_2

姉からだった。

うぁー! うずまきだ!!

なんだかこの映像がかわいくて、おかしくて、心の底から笑いがこみあげてきた。このうずまきが、一気に心のもやもやを吸い取ってくれたみたい(単純な私なのです)。

特に私は、うずまきが好きなのだ。うずまきのとりこなのだ。数年前、『うずまき』(伊藤潤二作・小学館)というコミックを読み、うずまきの魅力にとりつかれた。

ということは、どうでもいいことなのだけど、このクッキー、かわいい!

*

姉はお菓子作りが好きで、そしてとても上手だ(身内ながら、ほめてあげたい)。いつかお店を出したい、それが姉の夢だ。ほんとうの話。

メインはシフォンケーキ。すでに開発したオリジナルメニューは、プレーン、オレンジ、コーヒーマーブル、かぼちゃ、よもぎかのこ、抹茶かのこ、カフェモカ、ピンクグレープフルーツ、フルーツミックス、などなど。シフォンだけじゃさみしいから、クッキーやマドレーヌなどの焼き菓子もやりたいといって、いま開発中なのである。名古屋にある行列のできる焼き菓子専門店などに出掛け、人びとが好む焼き菓子を研究しているみたい。

みんなはどんな焼き菓子が食べたいのかな、と姉は言っています。どなたか、何か思いついたら、いつでも私に教えてください。よろしくお願いします。
私は、昔ながらの真ん中がぷっくりふくらんだ小ぶりのマドレーヌ(と言ってわかるかな)が好きだな。

姉のつくるお菓子やパンやベーグルなどは、ほんとうに、ピカイチさ(くどいけど、またまた、身内ながら)! もちろん、お金を出して食べていただけるまでには、もっともっと腕を磨いて、いつでも同じ味が出せるようにならなきゃいけないのですが。姉よ、頑張って!

一目みれば思わずぷぷっと笑いたくなるような、悩みもふきとぶこのクッキー、いつかお店を出した時、絶対ならべてほしいです。

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2011年5月 8日 (日)

母の日に思う母のこと

きょうは母の日。

実家のある岐阜から離れ都会に暮らす私は、いまでは母とは年に1,2回しか顔を合わせない。でもことしは、つい2か月ほど前に会ったばかりだ。

3月12日、大震災が起こった翌日に。

本当は3月11日(金)の夜、母と待ち合わせをしていた。しかし昼間に地震が発生し交通機関がストップ。お互いに動けず、ようやく会えたのは翌日の午後3:00すぎだった。
ホテルのロビーの椅子で一夜を明かした母。ほとんど眠れなかったうえ、その日も電車を乗り継ぐのにものすごく苦労し、へとへとだった。

どこへも行けないけれど、せめて、と近くの和菓子やさんで甘いものを調達し、アパートへ戻った。余震も続き、テレビに映し出される光景を見ながらだから穏やかな気持ちではいられなかったけれど、草餅や桜色のおまんじゅう、お団子を食べながら体を休めた。

母は一泊し、翌日朝早く、電車が心配だからとすぐに帰った。せっかくはるばる来てくれたのに何もできなかったなぁと申し訳ない気持ちになる。仕方がないけれど。

また別のとびきりおいしい和菓子やさんを発見したから今度一緒に食べようね(母も私も和菓子に目がないのです)!

*

母に教わって、私がいまでもかたくなに守り続けていること。

・ランドセル(かばん)をまたがないこと。

・夕方5:00以降につめを切らないこと。

・玄関のくつをそろえること(←でも、うちの母、守っていないことがあるよ!)

うちの母は、はっきり言ってあまり家庭的ではなく、私があこがれる母親って感じではない。もっともわかりやすいのが、料理をあまり作りたがらないこと。でも最近、実家に帰った時は、ちくわの卵とじとみそ汁を作ってくれた。作ってくれたことに驚き、感動した。でもそんな母とは逆に、姉と父が料理好きなのでバランスがとれていると言える。

そうして、母は外へ、外へ出かけたがる。きょうも母の日だっていうのに夜勤らしい。ほんとうによく働く。仕事が好きなのか、せずにはいられないのか。占い師にも、あなたは70すぎまで働くと言われたと、自慢げに報告してきた。たぶん、体力がもたなくなるまで働きつづけるような気がするけれど、あまり無理はしないでほしいな。

料理を教えてもらったことはないけれど、いつも部屋の掃除が行き届いていたわけではないけれど、母から教わったことは限りなくたくさんある。

幼いころは誰もがそうだったのかもしれないけれど、親や先生などの大人の存在は、スーパーマンだった。でもいつしか、自分の親もひとりの人間であることに気づくようになる。親の弱い部分が見えてしまったときが本当に一番つらい。目をそむけたくなるけれど、認めて乗り越えていかなくてはならない。中学、高校、大学時代の私にとって、それは相当の苦しみだったけれど、でも同時に、それ以上に、母の強さがものすごいものであることも知った。

どんな逆境にも絶対に負けない。途中で弱ることもあるけど、絶対に、絶対にダメになってしまうことはない。彼女のさまざまな逆境を目の当たりにまたは共にしてきたけれど、本当に、よく生き延びてきたものだなと思うほどの強靭な精神を持っているものだ、と自分の母ながら、思ってしまう。普段ははちゃめちゃな寅みたいな(寅年うまれ。でも肉が嫌い)ひとなのですが。

私が勝手に都会に行くと決めたとき、周りのひとみんなが「心配だね。気をつけて」という言葉をかけてくれるなか、うちの母は、「遊びに行けるわ~♪」なんて喜ぶばかりだった。うんうん、また遊びに来てね。いつもありがとう。待ってます。

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2011年1月 8日 (土)

すき焼きの奇跡

2010年12月31日、大晦日。あと数時間で新しい年を迎えようとする夕暮れどき、姉が晩ごはんの支度を始めた。

今夜はすき焼き。「里帰りの日、なにを食べたい?」と、姉から聞かれ、私がリクエストしていたメニューだった。我が家にとって、なんともぜいたくなメニューをリクエストしてしまったのだが、それを聞き入れてくれたのだ。

もともと我が家の夕食は魚が多い。みんな魚が好きなのだ。時々肉も登場するけれど、それは焼きそばに入っている豚肉とか親子丼に入っている鶏肉とか、地味で控えめなものなのだった。

そういえば、何年か前のお正月にすき焼きを食べたなぁ・・・。そのことを思い出し、今回、思い切ってリクエスト。
そして、ぜひ今回こそは家族4人で食卓を囲みたい、鍋料理を一緒に食べたいという願いもあった。

*

姉が、棚の奥にしまいこんであったすき焼きの鉄鍋を引っ張りだし、何やらつぶやいている。どうやら、長年使っていなかったせいで錆が出てきてしまっているらしい。「錆は大丈夫よ~。ちょっとこすればとれるから」母が姉に言い、姉は仕方なく鍋を磨く。

「そろそろお皿と卵、準備して」姉にそう言われた私は台所に行き、4人分の器を食卓に置いた。うわ~、本当に、すき焼きだ!

4人が席につき、食事をはじめた。寅年生まれなのに肉が苦手な母も、今日はすこし頑張って肉にも箸をつけている。

――ほっとした。ああ、よかった。こうして家族全員ですき焼きを食べることができて。本当に、よかった。こうして家族全員で食卓を囲むことができて。食卓の4つの席は、全部埋まっている。みんながひとつの鍋を、つついている。
「舞茸、おいしいね。舞茸入れてみてよかったねぇ」「肉、固くなるからはやく食べやぁ!」・・・なんということもない、普通の家庭にありそうな食卓での会話も聞こえる。

何年ぶりかの家族でのすき焼き――、いや、実はすき焼きに限っての話ではない。こうして家族全員で食卓を囲むこと自体、ものすごく久しぶりのことだ。5,6年ぶり、いやもっと前なのかもしれない。何事もなくこうして穏やかな夕食のひとときを家族全員で過ごせていることが、我が家にとっては奇跡的なことなのだ。

うまくみんなで食卓を囲むことができなかったこの数年間。

やっとのことでひとりも欠けることなく――たとえ数十分というほんの短いひとときではあったけれど。そして明日からまた実現できなくなってしまうのかもしれないけれど――、家族全員での食卓を、この日、取り戻すことができたのだ。
2010年の締めくくりである12月31日が、我が家にとっては、いろいろあったけどそれでもギリギリ家族であり続けることができた十数年間の一区切りであったようにも思えた。

帰ってきて、よかった。すき焼きをリクエストして、よかった。

姉へ。すき焼きおいしかったね。おいしかったよ。ありがとう。またちゃんと帰ってくるから待っててね。
母へ。布団敷いてくれてありがとう。デラックスで暖かくてよく眠れました。
父へ。ブリカマの煮付け、おいしかったです。作ってくれてありがとう。

今年の大晦日は、しゃぶしゃぶの奇跡、になるといいなぁ。

 

 

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