トライアリスト

2013年2月 3日 (日)

『SOHO翻訳者の仕事部屋』を読んで

ひとつ前の記事で、表紙だけを紹介させていただいた『SOHO翻訳者の仕事部屋』(まな!著/トライアリスト東京)。

まな!さんは、私が受講している医薬翻訳講座「トライアリスト」の大先輩です。

文系出身、専門知識ゼロのまな!さんがトライアリストで学習し医薬翻訳者になるまでの道のりから、在宅翻訳者の仕事の実情、翻訳業界・翻訳会社事情(裏事情?)まで、興味深くて役立つことや、とても大切なことがこの一冊にぎっしり詰まっています。

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読み始めたらほんとうに止まらないよ! 一気に読んでしまいました。

会社帰りの電車のなかでそれを読み終えた私は、電車を降りてから家まで20分歩くにも、何だか興奮して走り出したくなるような気持ちになりました。

一度読み終え、もう一度読み返しているいまでもやはり、翻訳に対するさまざまな感情が心の底からわき起こってきて、それをここに感想としてうまくまとめることができそうにないのですが・・・少し、書いてみようと思います。

この本は、まな!さんのブログ『SOHO翻訳者の仕事部屋』を書籍化したものです。トライアリストに入会し学習を開始したころから私はこのブログをたびたび訪問し、記事を何度も読み返していました。

そのときは、まな!さんのブログのことを、(トライアリストのこと、辞書のこと、学習方法のこと、仕事とお金のこと、翻訳に対する考え方など)、「具体的に」自分にとって有益な情報がいっぱいで、学習を続けていくうえでの力強い味方のような存在だと思っていました。

ところが、1冊の本として今回読ませていただいたところ、ブログで興味のある記事を見つけては飛び飛びに読んでいたときにははっきりとは見えなかった(私が鈍感だから、ですが)あるひとつの大切なものを発見することができたのです。

それは、この本の最初から最後まで、すみからすみまでに貫き通されているまな!さんの「とてつもなく強くて頑丈な一本の筋(←私が感じたままを表現すると、です)」でした。どんなことが起こったって、少しもゆらぐことなく、ましてや切れることなんて決してありえないものです。

それはたとえば、翻訳の品質に対する責任感とか、翻訳に対する考え方や情熱だとか、そういうことだけに関わるものではありません。もっともっと広い・・・、

「翻訳者として生きていくこと、まるごと」です。

ある理由から、収入の多くの部分を占めるほどおつきあいのあった大手翻訳会社との縁を自ら切ったというまな!さんのエピソードが書かれていましたが、このようなエピソードも含めて、「翻訳会社 対 個人」のやりとりのなかで起こるさまざまな問題に対し、まな!さんのように筋を通して仕事をすることは、ちょっとやそっとでできることではないと思います。

自分がそのような状況に陥った場合を考えてみても(仕事をしていると仮定して、です)・・・。
まな!さんのような行動に出る勇気があるのかと、いまの自分の胸に聞いてみたところ、「正直言ってそのような勇気はないかもしれないなぁ・・・」と、私の胸は小さな声で何とも自信なさげに答えました。

そう、いまの時点では、自分に自信がないんですね。そこまで言い切れないんです。

でも、思います。いまはまったく仕事をできるレベルにはない私だけど、いつか仕事ができるようなときが来るまでには、筋だか骨だか幹だかはわからないけれど、頭のてっぺんから足の先まで、その何者かを一本、貫き通してみせようと思います。そういうものが確立していないうちは、まだ自ら仕事を求めてはいけないのだと思います。

それだけの実力と自信をつけるということ。翻訳の品質についてはもちろん、個人事業主として生きていくことについても。

それは、翻訳者として、人とやりとりをしながら「自分が」気持ちよく仕事をしていくためであるという以上に、人や社会に迷惑をかけないために最低限必要なことなのだと思いました。

ご自身のエピソードをあるがままに淡々と綴られているまな!さんの語りは一見、厳しいようにも受け止められそうですが、私にはそうではなくてその真逆、とてもあたたかいものに満たされているように感じました。

私のように翻訳者をめざして学習されている人をはじめ翻訳にかかわる仕事をされているあらゆる方々にぜひ、読んでほしい。じゃなくてほんとうは、翻訳者にかぎらず世の中で働くあらゆる人が読んでもいい、読んでほしいと強く思います。

トライアルに関することでは例えば、「トライアルに落ちないコツとは」「合格率1%~2%の超難関?」「本当に『合格=受注ではない』のか」などについて書かれていますが、その答えを知ると、なるほどそういうことだったのかと深く納得でき、翻訳を仕事にするまでの自分の姿勢や取り組み方がまた変わってきます。

少しでも気になられた方、読んでみたいと思われた方はぜひ!こちらをご覧ください。

まな!さん、ほんとうにありがとうございました!

この本を読ませていただき、まだまだあふれ出る感情はいっぱいなのです。
今日はこの辺でせき止めておきますが、翻訳に関することをまた少しずつ、書いていきたいと思います。

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2013年1月29日 (火)

冠詞に対する思いの変化

現在受講している医薬翻訳の通学講座10回シリーズ、「冠詞の考え方」も先日で7回目となりました。

10回とにかく、冠詞の勉強をします。

英語の冠詞といえば、a とthe です。
日本語には冠詞は、ありません。
そのほかの言語についても、冠詞のあるものとないものがあります。

7回目の授業を終えたいまの時点で、冠詞の捉え方や冠詞に対する思いが以前とくらべて大きく変化していることが自分でもよくわかります。

さまざまな言語について、

ただ単に、

冠詞があるか、ないか

ということではないのだな。

どの言語にも、「(たとえば英語でいう)冠詞が果たすべき役割」のようなものは必ずある。

英語では、たまたまそれをa とthe または無冠詞というかたちで表しただけなのだ。
日本語なら助詞などがその代わりとなるし、ほかにも語尾の変化や語順、さらに(なんと)音の変化によってもそのような役割を果たしてしまう言語だってあるらしい。

世界に存在する言語の数だけ、方法があるのでしょう。

英語の場合、中学1年の授業の最初の時点で

a=ひとつの、the =その(既出のもの) 

という図式が頭にこびりついていて、ずっと消えることがなかった。

とるにたらない存在のようなふりをして実は大変に悩まされる存在であった冠詞。
学校の授業で英作文なんてものがあると必ず、冠詞でつまずく。

そんな厄介者の(←冠詞さん、ごめんなさい)冠詞が、「冠詞の考え方」講座の回を重ねるごとに、なんだかとてもたのもしいような、そばにいてほしいような気さえしてくるようになったのだから不思議です。

そんなことを考えていたら、頭にホットケーキ作りの行程が浮かんできた。

小麦粉、卵、牛乳、砂糖にバター、バニラエッセンス・・・。

各材料(たとえば英語なら、名詞、動詞、形容詞、冠詞など・・・)はもともと独立したものだけど、それがひとつのボウルに入れられて、次第にひとまとまりのタネになっていく。

ほかの仲間とくっついたり、それ自体かたちを変えたりしながら、うまく混ぜ合わさっていくのだ。互いに隙間を埋めるように。自分以外のものに働きかけ、相手が持っていないものを与えたり受け取ったり。
どう混ざり合うかは、それぞれの材料が持つ性質や、それが机の上に準備された時点で果たしている役割によって決まる。

そうやってなめらかになったタネがフライパンに流し込まれて上手に焼かれれば、最後にふっくらとおいしいホットケーキ(文章)が出来上がる。

ホットケーキがおいしくなるかどうかはもちろん、調理する人(文章を書く人)の腕にかかっている。

材料同士がうまく絡み合わなくて、「ダマ」ができちゃったりなんかしたら、おいしくないぞ(文章がごつごつ、くっつくべきでないもの同士がくっついちゃったりしたら・・・まずくて食べられません)。

さまざまな国の言語の例を交えながら、あらゆる英単語についての説明が可能となる共通の法則を見つけ出し、それを私たちに惜しみなく分け与えてくださる先生のお話。「ことばってなんておもしろいんだろう」と、毎回たくさんのお土産を手に感動しながら家に帰ります。冠詞からはじまり、ことばの仕組みのいろいろまで世界はどんどん広がります。もちろん、冠詞のひみつを知り、得られた知識を自分自身で活用することができれば、翻訳にぐーんと生きてくることは間違いありません。

私の受講している医薬翻訳講座(通信と通学)は、トライアリストという講座です。

語りだすと熱くなって止まらなくなるので・・・またの機会にしますが、最後にひとつだけ。

○●○●○

Soho
届きました! できたてほやほやの本です。とってもうれしい~!!

『SOHO翻訳者の仕事部屋』 まな!著/トライアリスト東京

これは、トライアリスト受講生である私の大先輩である「まな!」さんの著書です。

○●○●○

後日あらためて、紹介させていただきたいと思います。わくわく!

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2012年10月28日 (日)

この10月から通学も!

私は医薬翻訳者をめざしています。勉強は通信講座がメインです。

私の受講しているその講座はもともと通信しかなかったのですが、今年の4月から通学バージョンが登場しました。春から、通いたくてうずうずしていたのですがいろいろな面で余裕がなく・・・。第2期がちょうど始まったこの秋から、通うことをついに決意したのでした(余裕がないのは変わりませんが、やっぱり行きたいものは、なんとかして行きたい)!

翻訳分野は医薬のみの講座なのですが、講座の内容はとってもユニークなものがいっぱい。

どれもこれも魅力的だけれど、欲張らずに今回はひとつだけにしました。

「冠詞の考え方」というコースです。

10回シリーズ、とにかく冠詞のお話なのです。

私が通信講座を開始してまる3年が経ちました。先生の著書にも冠詞のこと、冠詞と翻訳のことが書かれていて、はじめて読んだときにはこれまで学校で習ってきた常識をくつがえされた! という感覚がありました。そして、翻訳の作業が以前と比べてものすごく楽になり、ますます楽しくもなりました(冠詞についての部分だけでなく、先生の理論すべてから、ですね)。同時に、自分が言語というものに対してどれだけ鈍感だったのかを思い知らされもしました。

何か国語もの言語――冠詞のある言語もない言語も――を知りつくされている先生のお話。とにかく、ことば(どの国の言語も)のおもしろさに驚くことばかりです。もちろん、それを知ってことばに敏感になることができれば、翻訳に生きてくるのはまちがいありません。

あぁ、ことばっておもしろい!

冠詞のひみつ、おもしろい!

数年前に翻訳を勉強したいとはじめて思ったとき、ただ自分が勉強した経験のあった(といっても、義務教育だけですが・・・)言語が英語であっただけの理由で英語の翻訳を選んでしまったのだけど、ほかにもさまざまな国の言語を学んでみたい、学んでみなくてはなといま、思います。

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2012年4月 1日 (日)

5年目の終わりと、6年目の始まりに。

4月1日。新年度の始まりだ。

翻訳の勉強をするために都会にやってきて、この3月で丸5年が経過した。

上京前、翻訳とはまったく関係のない仕事をしていた私。あるとき書店で偶然、「あなたも翻訳家になれる!」なんて題名の本を手にとって読んでみたことがきっかけで、生まれてはじめて翻訳というものに興味を持った。翻訳とは何か、どうしたら翻訳者になれるのか。翻訳関係の本を何冊か読んで自分なりに研究したけど、どうやらものすごく厳しい世界であるようだった。そのうえ、自分には語学力も専門知識もない。でも、やってみたかった。文章を書くことが好き、言葉が好き。翻訳をやりたいというただそれだけの思いで、2007年春、ひとり、都会にやってきた。

「10年計画で行ってくるね」周りの人たちには、そう伝えた。当初は出版翻訳をやりたいと思っていたから、両親が生きているうちに訳書1冊、出せたらいいなと思っていた。

でも最初の1年を終えた時点で、実務翻訳に興味が移った。いまでは、両親が生きているうちに、「翻訳者です」と胸を張って言えるような翻訳者になっていたいと思う。

実務翻訳者になろうと考え始めてからも分野が定まらずいろいろとさまよっていたけど、ようやく、いまから2年半前(ちょうど半分の地点ですね)に医薬翻訳者をめざすことに決め、通信講座での学習を開始した。

*

毎週課題を提出すると、先生の手によってきっちりと添削されたものが後日返ってくる。提出できない期間も少しあったけど、2年半、それをずっと繰り返してきた。

郵送でのやり取りだから普段は先生にお会いすることはないのだけど、今年2月の直接講義で、初めてお会いすることができた。

通信講座では、「こんな日本語ありません」、「こういう言い方は絶対にやめてください」などという厳しいお言葉や、A4用紙の半分くらいにわたる大きな×をくださる先生なのですが、お会いしてすぐに、あたたかくてやさしいお人柄であることが伝わってきた。講義中も、私は、先生のユーモアたっぷりのお話に惹きつけられっぱなしだった。

バックグラウンドのない私が医薬翻訳だなんて、とてつもなく無謀な挑戦であることは自覚していたけど、それでもやってみようと思って歩き始めた道。最初は、まったく形にもならない訳文だった。でも、まだまだほど遠いことはわかっているけれど、ほんの少しずつだけど、めざすべきものに近づいていることは確かだ。苦しいけれど、険しいけれど、高い山を一歩ずつのぼっていき、その手ごたえを感じられることはとても楽しい。ものすごくスローペースで何も持っていない私だけど、こんな自分にだって、無理なことではないのだ。

もっともっと、いい日本語を書きたい。もっともっと、日本語の力を磨きたい。

そして、医薬の文章がどんなものか知らなきゃ自分で書けるはずがないから、もっともっと、専門書を読まなきゃいけない。

上京して2年半でやっと、めざす方向が決まった。そこからさらに2年半たったいま、引き続き医薬翻訳者への道を歩んでいくうえで、「この先生の下でやっていきたい」という気持ちがはっきりした。いまあらためて先生の著書を読み返し、その思いをますます強くした。それと同時に、何をしなきゃいけないのか、何をすれば力を伸ばすことができるのかが、やっとわかった。これまでそういうことを考えもせず、目の前にあるものだけを、時間に追われながら何とかこなすことしかできなかった。そのうえ、何が大切なのかを考えようともせず、あれこれまた別のものに手を伸ばそうとしたこともあった。

6年目の始まり。

明確に見えてきた道、進んでいくべき道を、これからしっかりと踏みしめて歩いていこう。

(ウソじゃないよ。4月1日だけど)

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